『チャリオット・戦象』~古代の戦闘用馬車~
戦車の歴史を振りかえると、大きく二つの源流に別れる。
ひとつが戦艦、もうひとつが『チャリオット』だ。
何故戦艦が戦車の源流なのかと言えば、戦車はもともと“陸上戦艦”として計画されたからである。
第一次世界大戦当初、陸を戦艦のような防御力で海の如く邁進できる兵器がほしいというものから、戦車の研究が始まった。だから当初、戦車開発を行っていたのはイギリス“海軍”なのだ。
そして今回紹介するのが、もうひとつの源流である『チャリオット』だ。
チャリオットとは紀元前から用いられた戦闘用の馬車で、二頭から四頭の馬で2輪の馬車を引くものだ。
馬車には御者(馬を操る人)と、一、二名の弓兵や槍兵が乗り込み、馬の機動性と、車ならではの大型武装による攻撃力を生かして、古代の戦場を蹂躙した。
ヒッタイトやペルシャが利用したが、大国でなければ配備が進まなかったようである。
というのも車輪や馬車は高価かつ貴重で、作ることすら小国ではままならなかったからだ。
漢帝国のチャリオット
ペルシャといえば、もうひとつ戦車と似た兵器がある。
『戦象』と呼ばれる、象鎧を纏った象に兵士が乗るという迫力満点の巨大兵器だ。
かのアレキサンダー大王が治めるマケドニアに対し、ペルシャ軍が利用した記録が残っている。またローマ帝国に手酷い打撃を与えたことで知られるカルタゴの将軍、ハンニバル・バルカも使用した。
ザマの戦いで使われた戦象(カルタゴ軍)
また我らが日本においても、中世に戦車と似たような兵器を作っていたらしい。
それが“亀甲車”というもので、豊臣秀吉の朝鮮出兵で利用された。
見た目はそれこそ亀の甲羅で、前方に槍をつきだす穴が幾つか開いており、幾人かの兵士がそれを被って前進するという物だ。
交代する際は後ろに控えた兵士がロープで引っ張った。
この他にも幾つか戦車の原型となったものがあるが、有名なものはこれくらいだ。
木製で作られた戦車から、蒸気車、キャタピラの発明と続いた戦車の発展。
これが第一次世界大戦の中で融合し、人類初の戦車が作られる事となる。
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