勇者は赤く染まる ~勇者のその後のその後~
前回の短編『勇者のその後』をパイロット版として、ちゃんと物語を作って書いてみました。
魔族を救済すると決意した勇者のお話です。
よろしくです。
◇1◇
血しぶきが霧のように空を舞う。目の前が赤く染まる。肩で息をしているその者の周りには無数の人間達の屍が地面に転がっていた。刀を足元に突き刺して、片膝をついてしゃがみ込む。これだけの人数を相手にして、そして、今しがた最後の人間の命を奪い気が緩んだのか、まるで電池が切れたロボットのように力尽きた。
いや、彼は世界を救った勇者だ。この程度の数で力尽きる事などありえない。加えて相手は魔族でも魔獣でもなく、ただの人間の兵士達。彼にとってしてみれば大量の蟻を足で踏みつけているようなものだった。それほどの圧倒的な戦力の差である。疲れるはずもない。
では、いったいなぜこんなにも疲弊しているのか。肩を大きく上下させ、必死に呼吸を整えている。勇者はしゃがみ込んだまま、口に手を当て、必死に逆流してくる胃の内容物を抑えていた。顔が真っ青であった。勇者の精神がもう限界だったのだ。ほんの数年前までは、魔族から人々の命を守ってきたのだが、今は自らの手でその多くの命を奪っていた。
頭から離れない。脳内をねっとりとまとわりつく。罪悪感が重く圧し掛かってくる。人の断末魔、苦痛の表情、憎しみにあふれた目。この日、勇者はとうとう一線を越えてしまった。今まで人間の命を奪った事のなかった勇者が、初めて人間の命を奪っている。自らの意思で人を殺めてしまったのだ。
勇者は人間達がお互いを殺しあう事ができる存在だと知っていた。私利私欲のため、己が欲に目が眩み争いを起こす。自分よりも劣る存在、異なる存在、人種差別による暴力。人間という生き物は他の動物達とは明らかに異なる。生きるために生命を頂く、食物連鎖の輪から逸脱した存在なのだから。
欲望、憎しみ、様々な感情に従って平気で同族の命を奪えるのが人間だ。生きるためだけではなく、自分が幸せになるために、欲しいものを手に入れるために、人は互いに争い殺しあう。
勇者が魔王を倒した日以降も世界から争いや殺し合いは無くならない、それでも大多数が平和だと感じるのなら世界は平和なのだろう。人一人が知りえる世界なんて狭いから、人一人が生きている世界なんて狭いから世界全体を見てきた勇者にとっての世界平和と人々が感じる世界平和には差があるのは当然の事だ。
◇
初めて経験する人間との殺し合い、そこには今まで繰り広げてきた魔族や魔獣との闘いでは感じられなかった様々な感情のうねりが存在している事を身をもって知った。明確に感じる殺意、苦痛、憎しみ、恨み、恐怖、絶望。負の感情の大きなうねりの中で戦う事がこんなにも精神を蝕んで、削られるものなのかと勇者は痛感していた。
『僕が今まで経験してきた闘いは――本当の意味での命のやり取りとはまったく別物だったんだ』
それゆえに、自責の念が生まれる。魔族が元人間だったと知っていたならばもっとほかの方法があったんだと。自分がしてきたことは彼らからしてみれば殺戮と同じだったんだ。
魔族との闘いを繰り広げていた頃、魔族と内通していた貴族の男を敵にしたことがあった。初めての人間の敵だった。当時16歳の彼は人間の命を奪うことに反対だった。倒すべきは魔族や魔獣だけ、そう決めていた。明確な敵、人間ではない化け物。世界を滅ぼそうとする脅威。それは心のどこかで相手も同じ生き物だという事を頭から完全に消し去っていたのだろう。
そのためパーティの戦士が勇者に知られる事なく陰で貴族の命を奪った。後に勇者にばれてしまうが、済んだ事を咎めることはできても、なかったことにすることはできない。勇者は黙って貴族を殺したことを責め立てた。殺すことはないだろうと、相手は人間だと、それは正義でもなんでもないと。いろいろな言葉でまくし立てた。
それをきっかけに戦士はパーティから抜けた。いや、勇者に追い出されたのだ。彼は人々の平和のために戦う勇者だったから、戦士の行動を許すことができなかった。まだ若い勇者だ。きれいごとをキレイ事とは思わない。当たり前だと、勇者として当たり前だと思っていたのだろう。彼は世界がどんなに汚れているのかを知らなかったから、本当の人間の黒い部分をまだ知らなかったから、パーティの仲間達からはお人よしだの、甘ちゃんだのと言われていた。姉のように慕っていた武人の女性からは、ずっと『ボウヤ』と呼ばれていた。
そんな勇者がこの日、人間を殺した。総勢250名の兵士を斬って斬って斬って斬り殺した。たった一人の魔族の少女を守るために、勇者は英雄という栄誉を捨てた。世界を敵に回す第一歩を踏み出してしまったのだ。
◇2◇
魔王を倒して二年が経った頃には、勇者は18歳になっていた。もう大人扱いしても全く問題ない年だ。しかし、この二年間、世界の汚い部分を見てきて、人間の黒い部分を見てきて、人間に対しての怒りが心の中で積もり積もっていた。そして、自身の正義心からくる怒りがやがてとてつもない殺意へと変わる事を勇者は気が付けなかった。
ある日、ある町に広まっていた噂話で『アルケルド王国』と呼ばれる国に魔族の残党で、しかも魔王の血を受け継いでいるという女が囚われていると耳にした。勇者はそれを聞いてすぐに町を出てその国へと向かった。
魔王討伐から最初の一年間は準備期間に充てた。魔族を救済する活動を開始するための調査と準備。最初は本当に生き残りなんているのかと不安に思っていた。けれど、調査するとそんな不安が払拭されるように多くの情報が手に入った。魔族の生き残りは皆、ひどい人体実験の末に命を落としているという。
しかし、勇者は希望を見出していた。あの当時、魔王はしっかりと戦闘に不向きな魔族達を魔都から脱出させていたのだ。であるならば、生き残りはまだ相当数いると彼は考えていた。捕らわれずに何処かに隠れ潜んでいる魔族もいるのだろうと考えた。
◆
アルケルド王国に到着した勇者が今いる場所は、王国の城下町からは離れた場所に位置する荒れ果てたコロシアムと呼ばれる遺跡だ。すり鉢状に作られた観客席の後方に闘技場を囲むように等間隔で高さ200メートル程、円周20メートル程ある巨大な柱がいくつも建てられている。勇者はその内の一本の柱の上部に立っていた。そして、そこから闘技場を見下ろしていた。
そこには、鎖に繋がれ吊るされている一人の魔族がいた。薄紫色の肌に赤い瞳、髪の毛は薄い紅色でお尻まで伸びていた。右半身の肩から腰のちょうどクビレまで浮かび上がる紋様が魔王の血を引く者の証。勇者はそれを見て確信する。魔王の娘であると。
さらに、少女を囲むように大勢の兵士達が円形に陣取って集まっていた。少女が吊るされている真下には
他の魔族達も集められていた。少女を守ろうとしていた者たちだろうか。傷だらけで疲弊していたが皆、屈強な男たちであった。そして、他にも女子供問わず多くの魔族が集められていた。
そして、勇者は次に起きた光景を見て、拳を強く握りしめていた。指の隙間から血が滴るほどに。
彼女の目の前で、兵士達が集められていた魔族たちを斬っていく。少女が何かを叫ぶ中で次々と斬り殺していく。あっという間に出来事であった。
一人の兵士が、少女の細い足に槍を突き刺した。少女が苦痛の声を上げる。少女の足は赤黒い血で汚されていく。周りは敵だらけだ、しかし、助けを求める声をやめない。少女は信じているのだ、自分達を守ってくれた魔王がまだどこかで生きているのだと、あの勇者を倒して生き延びている事を今でも信じているのだ。ゆえに少女は心の中で叫ぶ。人間達には決して聞かれたくない言葉を心の中で叫ぶのだった。
『助けて! お父さん!!』
◇3◇
勇者が柱から跳躍する。すぐに少女を助けようと空気抵抗を少なくするために体を槍のようにまっすぐにして降下する。たった200メートル超しかない高さからの降下だ。あっという間に少女の元へと着地する。勇者は地面に降り立つ。勇者の足元は半径4メートル程のクレーターのようなくぼみが出来上がる。
けたたましい地面が爆ぜる音と共に彼女の元に降り立ったちょうどそのタイミングで勇者は目にしてしまう。目の前で最後の魔族が、しかも年端もいかない男の子の首が刎ねられる様を。その光景をみた少女がより大きな声でその子の名前を叫ぶ。その子にも魔王の血を引く紋様が体に浮かび上がっていた。弟なのだろう。少女の目から大粒の涙があふれていた。
勇者の理性はこの瞬間、かき消えた。
勇者は魔素が使えない。ゆえに大多数の敵を前に広範囲の攻撃はできない。しかし、勇者の起こす風で十分に吹き飛ばせる相手であった。勇者は全力で刀を一振りして、すさまじい風圧を起こして兵士たちを後方へ吹き飛ばす。そして、次の瞬間には勇者が蹴った地面は爆ぜ、兵士の一人を斬り殺していた。
理性を失った勇者は近くにいる兵士たちを次々と斬り殺していく。周りにいる兵士たちは皆、唖然としていた。目の前で起きている出来事をうまく理解できなかった。勇者が鬼人のような表情で仲間を襲っていたのだ。しかし、指揮官にして戦士長の男が叫ぶ。
「な、なにをしている。反逆者だ!! 殺せ!!」
その一言で兵士達が勇者に襲い掛かる。冗談じゃない。勇者様がなぜ? という思いを抱きながらも今はただ目の前で暴れている反逆者を倒さないと自分達がやられてしまう。そんな思いで向かっていく兵士達。そして、そんな彼らを容赦なく斬っていく勇者。二年前には想像すらできなかった光景が目の前で繰り広げられていた。
◇
いったい何人斬ったのか。すでに勇者の姿は、英雄なんて呼べるものではなかった。兵士達の返り血で赤く染まっていた。
そして、その光景を意識を失いかけながらも見つめる少女がいた。体はひどい傷を負い、今にも意識を手放しそうな彼女は目の前で鬼人のように戦っている勇者を見て、魔王の姿を幻視する。
『ああ……お父さん――よかった……生きていてくれた』そう心の中で言葉を紡ぎ、彼女は意識を手放す。その時、戦場に風が吹く。その優しい風が彼女の体を癒すようにそっと撫でるのであった。
『全員、皆殺しにしてやる!!』
一方で、その風が吹き荒れる勇者の怒りを戦場にまき散らしていく。その風は世界の平和を望んだ勇者の悲しい叫びが乗せられていたに違いない。
この出来事は、後に人間達にとっては世界に新たな魔王が誕生した瞬間だったと語られるかもしれない。しかし、魔王などと命名するのは間違っている。
なぜなら、魔族が元人間だという真実が明るみに出たならば、勇者は今まで長年にわたり虐げられた弱き人々の救世主になったにすぎないからだ。そして、勇者の敵が今まで弱き人間を虐げてきた者達に入れ変わったに過ぎない。人間同士の争いという構図は何も変わりはしないのだ。
◇
大地に血の海を作り、多くの屍を築き上げて、勇者は悲しそうに天を仰いでいた。
太陽が地平線の向こうに沈みはじめる。徐々に世界が赤く色づく。闘技場の遺跡が逆光で黒く影絵のような姿へと変える。そして、その影絵の中には、傷つき倒れ、涙で目を腫らした少女と、太陽を背に真っ黒なシルエットとなった勇者がいつまでも立ち尽くしていた。
この日から世界は大きく動き出す。
◆ 一週間後 ◆
「勇者がシナリオ通りに事を進めております」
「……そうか。正義感が強く、まっすぐな性格。これ以上操りやすい駒はいないな」
「これで、また魔族が台頭してきますでしょうか?」
「そうなってくれなくては困る。魔石が勝敗を分ける世界になって以降、魔石の需要は拡大してきた。争いが我々に巨万の富を与えてくれるのだ」
「しかし、この星の大気は魔素で汚染され続けています。これ以上濃度が上がれば魔人化が自然発生する可能性もありますが」
「そのために、魔王を排除してまで、魔素使いを生み出したではないか。魔石がなくとも大気中の魔素を集めて力を行使できる。大気中の魔素の濃度はそれで抑えられる。逆に体内に魔素が溜まり魔人化するようなら、処理してしまえばよいこと。循環構造さえ築きあげれば、未知の鉱石も運用できるわ」
「……左様で」
「ところで、局長はどちらに?」
「二日前から北の地へ行っておられる」
「北の地?」
「お前は知らないのか。今の勇者を拾った地だ」
「それでは、あの噂は真実で?」
「ふはは、噂か。そうとも、勇者は我々が偶然拾った未知の生命体よ。古文書には星の守人なんて表記もあるがな」
「大丈夫でしょうか。今度は我々の敵として動いてもらうわけですが」
「その辺は局長に聞いてくれ。だが、この世界において、魔素を扱えない者など敵ではない。いよいよこれからが本番よ。この世界のすべてを手に入れる計画の始まりだ。ふはははは」
読んでいただきありがとうございました。