夕空と恋模様
空が赤く染まり、辺りの建物も色を変える夕暮れ時。
校舎からも人がはけて行く頃。
その学校のとある教室に、2人の男女が近い距離で見つめ合っていた。
「ほら、ここは曲線上の点が2点わかってるので、その点のところで微分してあげればいいんですよ」
「なんで微分するんだ?」
「微分っていうのは、詳しくは違うんですけど、グラフの傾きを表すんです。この問題は2点の接線の交差点を求める問題だからーーー」
「ああ、なるほど。つまりーーー」
まぁ、俺と彼女は色気のあることなんて全くしてないんだけど。
俺、入谷景介はどこにでもいる普通の高校生だ。
そんな俺は彼女、辻本綾奈に勉強を教えてもらっている。
どうしてこんなことになったのかというと、話の始まりは一週間前に遡る。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
どこにでもいる普通の高校生、と話した通り、俺はどこにでもいる学生が悩む様なことで悩んでいた。
「何やってんだろ・・・俺」
小さい頃は何も考えず、遊びたいだけ遊んで、知らないことを知ることが何よりも楽しかった。
だから、友達と沢山遊んで、学校の授業も真面目に受けて、いい解答をすると褒められて、そんな日々が楽しく感じていたのを覚えている。
変わった様に感じたのは中学に入ってからだ。
小学校の時とは授業の内容も学校の仕組みも全然違う様に感じた。
だからだろう。
俺はそれから成績が下がり、それに対してどうでもいいと感じてしまっていた。
どこか、自分の居場所がない様な感覚。
周りの人は楽しそうにしているのに、俺は今の環境が息苦しかった。
必死に勉強してるわけでも没頭できる何かを持っているわけでもない。
俺は、何も持ってなくて何かを欲しがる奴だった。
「ちょっと」
俺が高校に入って半年程が経ったある日、そんな声で俺は目を覚ました。
とは言っても、そこは自室のベッドじゃない。
目の前の壁一面に張り付いてる大きな黒板に沢山並んだ勉強机。
右側の壁は磨りガラスになっていてその奥には廊下があるのだろう。
左側は窓ガラスから外の景色が見える。
そこは俺が在籍している学校の自分のクラスの教室だった。
時計を見るともう既に午後5時を回っている。
外も薄っすら暗くなり始めているのがわかる。
「入谷くん。いつまで寝ているんですか?」
そんな声が耳に入り、声のする隣を向くとそこに彼女はいた。
綺麗に整えられた黒髪に、丸っこい目をしながらキリッとした真面目そうな表情をした顔立ちが可愛らしい。
背は女性の平均くらいでスタイルはいい。
服の上からだとわかりづらいけど、胸は大き過ぎず小さ過ぎずといった感じで、ウエストが細い分少し強調されている様にも見える。
腰は割と大きめで、そこから伸びる脚は肉付きがよく健康的な美しさがある。
そんな体を包む制服はきちんと着こなされていて、彼女の真面目さを表しているかの様だ。
という話を、クラスのエロ男子が話しているのをこの前聞いた。
彼女、辻本綾奈は俺のクラスメイトで、ついでに言えば隣の席だ。
同じクラスになってからずっと隣同士だが、特に話したりすることはない間柄だ。
ましてや、こんな風に、放課後に寝てたら起こしてくれる、なんて仲ではないはずだ。
「悪い悪い。午後の授業を受けていた記憶はあるんだけど」
先程は色々と言ったけど、別に俺は授業をボイコットしたり、堂々と居眠りをしているわけじゃない。
ただ退屈な授業を面倒臭がりながら受けているだけだ。
「HRもちゃんと起きていましたよ。ただ、HRが終わったら糸が切れた様に机に突っ伏しましたけど」
「そうなのか?記憶にないな・・・」
寝る瞬間の記憶なんて持ってないのが普通だろう。
しかし、疲れていたわけでもないのにそんな風に寝たというのは少し不思議に思える。
「入谷くんっていつもそうですよね。授業を受けてはいるけど、どうもやる気がないというか」
「本当にやる気がないんだから仕方ないだろ」
「それで本当に大事な時に焦ってるんですもん。こっちが心配になっちゃいますよ」
「・・・・そんなにか?」
「そんなにです」
どうやら冗談で言ってるわけではなさそうだ。
俺って普通に興味持たれてないと思っていた。
「いや、でも、わざわざ待っててくれなくてもいいだろ?」
そろそろ日も暮れて、部活動中の生徒も下校する様な時間帯だ。
辻本はそんな時間まで俺のことを待っててくれたんだろうか。
「確かに、私もそう思ったんですが、今日ばかりは見過ごせませんよ」
あはは、と苦笑いする辻本。
それってどういう意味だろうか。
「ねぇ、入谷くん」
「はい、なんでしょう?」
真剣な表情でまっすぐ俺を見つめる辻本に俺は思わず敬語で返す。
少し不安そうに、言葉を出そうか迷っている様に口を開閉するが、しばらくして意を決した様に言葉を紡ぐ。
これはもしかして、愛の告白ーーーー
「入谷くん。これから私と一緒に勉強をしませんか?」
ですよねそんなことあるわけないですよね。
「勉強?」
唐突な言葉に俺は思わずそのまま言葉を返してしまう。
「はい、勉強」
「えっと・・・」
どうやら俺は辻本に勉強に誘われているらしい。
俺は時計を見る。
「今日は時間も遅いし、また今度でいい?」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから一週間ほど、俺と辻本は放課後に一緒に勉強している。
正確には、俺が一方的に教えてもらっている、という感じだけど。
「しかし、辻本はちょっと変わってるな」
「そうですか?」
「だって、昨日も、歴史の勉強で学校の授業外の範囲も教えてくれたじゃんか」
「それは仕方ないじゃないですか。そもそも入谷くんは中学の範囲から歴史を分かってませんし、教科書の範囲だけじゃ理解できませんよ」
「そういうもんか?」
「それに、話を理解するには理由を知ることは大事ですし、その方が楽しいですよ」
「楽しい?」
「どうして、どうやって、歴史上の人物が行なったことをただ知るよりもそういった理由や話の流れが分かると面白いなって思えるじゃないですか?」
「確かに・・・」
辻本の勉強の教え方は大抵、その教科の理解を深める様な教え方だ。
どうしてそうなっているのか。
そういう部分の理解は大抵学校では後回しにするところだから、辻本の授業は理解ができて助かるし、何より楽しい。
もう俺にとって辻本と勉強をする時間はなくてはならないものになってしまっている。
だからこそ気になることもある。
「どうして俺にここまでしてくれるんだ?」
「どうして、ですか?」
「勉強も見てくれて、この前なんて俺が起きるまで待っててくれただろ?」
「ああ、そのことですか」
納得、といった様に辻本は頷く。
「そっちだって色々と都合はあるだろうに、なんでこんなに面倒見てくれるんだよ」
俺がそう問うと、辻本はやれやれと言わんばかりに首を振る。
「そんなこと気にするくらいならちゃんとしてください。そうすれば私もここまで強引なことをしたりしませんから」
「むぅ・・・」
なんだかはぐらかされた気がする。
「私は自分がしたいと思ったことをしているに過ぎません。だから入谷くんが気にすることではないです」
そう言って、辻本は勉強を再開するのだった。
しかし、それでは俺の気がすまないのも事実だ。
ここまで世話になっておいて、ただ貰いっ放しというのも気持ちのいいものではない。
理由がわからないというのも、なんだかモヤモヤする。
俺はどうすればいいのだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
とりあえず辻本との勉強の帰り、俺のできる恩返しとして何ができるのか考えた結果、贈り物をしようということになった。
しかし、贈り物をするにしても、何を贈ればいいのだろう。
相手は女の子だ。
女の子が喜びそうなプレゼントなんて、俺には皆目見当もつかない。
とりあえず俺は近所の店を回ることにした。
「あれ?ケースケじゃーん!ひっさしぶりー!」
「つい一週間前を久しぶりと言うんならそうなんだろうな・・・」
アクセサリーの店を回ってたところ、俺は顔馴染みの人物に出会った。
染められた薄い色の髪はウェーブがかかっており、整った顔立ちに化粧が目立つ。
身長は女性にしては少し高く、スタイル抜群な体をしている。
特に胸が大きく、足がスラッと長い。
一見すればギャルっぽくも見えなくないが、今着ている服は肌の露出が控えめでしっかりと着ていて、妙なところで真面目さがある。
彼女は相坂華夜。中学からの知り合いだ。
「こんなところにいるなんて珍しーじゃん。どったの?」
相坂はチラリと俺の近くにある猫のストラップを一瞥した後、俺に向き直りそんなことを聞いてくる。
「ちょっと探し物をしてるんだよ。気にするな」
「えー?」
相坂は不満そうな声を上げる。
そして、何を思ったのかいやらしい笑みを浮かべる。
「まぁ、それはいーや。今暇でしょ?ちょっと付き合ってよ!」
「は?」
俺はいきなり腕を取られ、そのまま引っ張られてしまう。
「れっつごー!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待てぇ!」
とりあえず、腕に当たっている柔らかいもののことはしばらく忘れられないだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
俺が現在何をしているのかと言うと、とある喫茶店で相坂にケーキを奢らされている。
「いやー、いつもありがと!このケーキ絶品でほっぺた落ちそー!」
「そりゃ良かったよ」
相坂が言った通り、俺は会う度に相坂にねだられ、奢らされているのだ。
一度、流石に俺も意固地になって断固拒否していたことがあったが、そういう時はいつまでもねだってくるのだ。
しかも相坂はスキンシップが多いため、ねだる時は抱きついたりと肉体接触をしてくるのだ。
割と他人と接するのが苦手な俺としては相坂のおねだりは精神衛生上問題があるので仕方なくいつも奢ってしまうのだ。
「ん〜♪おいし♪」
ケーキを口に入れ、本当に蕩けた笑顔を見せる相坂。
「この笑顔が見られるなら奢るのも最高だな、って思ったっしょ〜」
「思ってねーよ」
流石にいつもほぼ笑顔の相坂の蕩けた顔を見るためだけに千円かけるのは高いと俺は思う。
こちとら少ない小遣いをやりくりしてる高校生だぞ。
まぁ、俺としてはこいつといるのは楽しいし、その代金としては安いと言えるが。
そもそも、どうしてこいつが俺に絡んで来るのかと言うと、理由がある。
それは2年ほど前のことだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
俺はある路地裏で1人の少女を見かけた。
その少女はダンボールに向かって何かをしていた。
よく見ると、ダンボールの中には猫が入っていた。
捨て猫なのだろう。
その捨て猫にスルメを食べさせているのが見えた。
「何見てるのよ」
少女が鼻水を垂らしながらジト目を俺に向けてくる。
「いや、珍しいなって思って」
「何がよ?捨てられてる猫に食べ物あげちゃダメって言いたいワケ?ウチじゃ飼えないんだから仕方ないじゃない」
「いや、消化に悪いから猫ってスルメ食べられないのにあげてるから」
「えっ!ウソッ⁉︎」
びっくりした顔であげているスルメを落とす少女。
どうやら知らなかったらしい。
でも、知らずにあげていたんだし仕方ないんじゃないだろうか。
「いや!この子は大丈夫!だってアタシがいっつもスルメあげてるから鍛えられてっし!」
前言撤回。仕方ないのはこいつの頭だ。
どうやら目の前の少女はアホらしい。
「いや、そういう問題じゃないだろ。猫はスルメ食べちゃダメなんだって」
「なんで?」
「え?」
突然の質問に俺は素っ頓狂な声を上げてしまう。
「ダメだなんて、人の決めたことで、人から言われたことじゃん。本当にダメな理由なんてわからないのにそーやってなんでもかんでもダメってしてたら、何もできなくなるじゃん」
「・・・・」
確かに一理ある。
見た目や言動にいまいち統一感のない子だ。
「だからこの子にスルメあげちゃダメってわかるまではアタシはあげ続ける!」
「そうだな。じゃあダメかどうか確かめるために病院連れてこうか」
「その手があった!」
アホの子はその手があったかとばかりに手を叩いたのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それからというもの、そのアホの子こと相坂との付き合いが始まった。
彼女はどうやらこの辺りに住んでいるらしいが、俺もこの辺りに住んでいるというのに中学の時に相坂を見かけたことがない。
おそらく通っている学校が違うのだろう。
それでも、彼女とは結構頻繁に会って、その度に絡まれる。
なぜ絡まれるのかと言うと。
「ね〜ね〜!いい加減まんだらに会わせてよ〜」
病院に連れて行った後、猫は俺の家で引き取ることになった。
俺の家は別にペットを禁止されていないし、相坂の家には連れて行けないみたいだから、なんとなくの流れでそうなった。
ちなみにまんだらは猫の名前だ。
それ以来、相坂は俺に必ず奢らせ、まんだらに会わせろと絡んで来る様になった。
別にまんだらに会わせる事はいいが、そのために俺の住所がバレるのは避けたい。
相坂といると退屈しないが、家の場所がわかったら毎日来られる気がする。
そこまで頻繁に会うのはお腹いっぱいだ。
相坂とは偶然会って遊ぶくらいの関係性が丁度いいのだ。
と言っても、偶然の頻度が高すぎてほぼ家に通われるのと大差ない気はするけど。
それに、まんだらを飼う時、家族には『勉強はできないのに猫の世話はできるのか』と皮肉を言われてしまったのだ。
相坂なんかを家に招いたらどんなことを言われるのか想像もしたくない。
というわけで相坂とまんだらは当時から一切会わせていないのだ。
まんだらを連れて相坂と待ち合わせでもするのもいいかもしれない。
「相坂の家ってペット禁止なんだっけ」
「そーそー!パパがアタシがエクセルギーがどーのって許してくんないの!」
「エクセルギー?」
聞いたことない言葉だ。
なんとかルギーと聞いてまず真っ先に思い浮かぶのはアレルギーだけど・・・って、そういえば相坂って、俺が初めて見た時、猫の前で鼻水垂らしてたよな。
「相坂、まんだらといた時、鼻水垂らしてた気がするけど、あの時何かあったのか?」
「あー、あれ?アタシ、猫といるとなぜかいっつも鼻水とクシャミが止まらないのよね〜」
猫アレルギーじゃねぇか!
これはますますまんだらと会わせるわけにはいかなくなったな。
「そうだ」
俺はあることを思い付く。
「相坂。今日奢ってやった分、見返りはもらうぞ」
「え〜?アタシのスマイルじゃ足りないって言うの〜?」
「足りない。全ッ然足りない」
そもそもスマイル0円って言うしな。
「わかったわよ〜。それで、この辺にあったっけ?アタシこう見えて初めてだから優しくしてね?」
「?」
いきなりの相坂の言葉に俺はキョトンとする。
「何の話だ?」
「え?奢った分カラダで返せって話じゃないの?」
「違うよ⁉︎」
なぜそんな話になったんだ⁉︎
「え〜?ホント〜?実は興味あるっしょ?」
わざとらしく胸とか色々強調する相坂。
「興味のあるなしで言ったら興味はあります。でもそういうのには順序があるとおもいます。だからしません」
「うわっ童貞臭っ」
「言葉のチョイスには気を付けろよ⁉︎」
そもそもお前もさっき処女ですってカミングアウトしたくせに!
確かに、男ならそういうことしたいって願望はあるさ。
でもさ?
流石に1000円のデザートの見返りにそういうことする、とか論外だろ。
色々と台無しな気がする。
「というか、お前もそんな風に安売りするなよ・・・」
「え〜?してないよ?アタシってばこう見えてちょ〜ガード堅いよ〜?」
「どこがだよ・・・」
「それに、アタシはケースケならいいって思うよ?」
「ぶふッ⁉︎」
いきなりとんでもないことを言う。
「相坂、お前・・・」
俺は思わず彼女の顔を見て、気付いた。
「からかってるだろ」
「テヘッ♪」
テヘッ、じゃねーよ!
からかうにしてもやり方考えろよ!
もっと自分を大切にしろよ!
言いたい事は山ほどあるが俺はそれら全てを飲み込む。
こいつは人の言うこと中々聞かないしな。
「とにかく、頼みがあるんだよ」
「アタシのカラダじゃなくて?」
「じゃなくて!」
こいつ本当にどうにかなんないかな・・・。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「女の子の喜びそうなプレゼント?」
「何かないか?」
俺は辻本へのプレゼント選びを相坂に手伝わせることにした。
相坂も女だし、女の子が貰って嬉しいものがわかるんじゃないだろうか。
「え〜?嬉し〜!何にしよっかなぁ〜」
「いや誰もお前にあげるなんて一言も言ってないけど」
「なんですと⁉︎」
「いや当たり前だろ⁉︎」
そもそも本人に本人のプレゼント選びを手伝わせるわけないだろ。
「だってケースケってアタシ以外に友達いないじゃん」
「いるよ⁉︎」
いくらそれなりの付き合いとはいえいきなりぼっち扱いは酷いと思う。
まぁ、友達って言ってくれるのは嬉しいけど。
こんな俺にだって仲のいい友達の1人や2人くらいいる。
ただ、年に一度くらいのペースで付き合いが切れるだけだ。
「ましてやケースケに女友達なんて・・・プッ」
「よぉーし相坂覚悟はいーなぁ?」
鼻で笑われた。
俺にだってプライドってものはあるんだよ?
「わぁーたわぁーた。で?どんなプレゼント贈るつもりなの?」
「・・・ったく」
急に親身になってくれるから調子が狂う。
「自分で決められないから頼ってるんだろ?」
「え?」
相坂がドン引きの表情だ。
「女の子へのプレゼントを別のオンナに任せるの?」
「言葉だけ聞くと最低過ぎる!」
俺はどれだけプレイボーイ気取りなんだよ。
「いや、実際やってることサイテーじゃない?」
「えっ」
相坂にそんなことを言われるとは思っていなかった。
「その相手だってアタシだってさ、女って前に1人の人間だよ?」
「ああ、そうだな」
少し、相坂の言葉の理解ができない。
「人間なんて1人1人違うのに、同じ女だからって好みが同じワケないじゃん」
「!」
目から鱗だ。
「アタシはその人に会ったことないし、好みなんてわかるワケないじゃん。なのに、その人とアタシのこと一括りにして、それってアタシにもその人にも失礼だと思わない?」
「確かに・・・」
相坂よ。
なんてマトモなことを言うんだ。
やっぱりキャラがブレてる気がする。
そんな事はともかく。
「本当にごめんなさい」
「うぇっ?」
俺はテーブルに手と頭をついて謝った。
「大変失礼な事をした」
「や、やめてよ!アタシそーいうことして欲しくて言ったワケじゃないし!」
相坂は慌てた様子で俺をなだめる。
「そういう訳にはいかない。これは俺の気持ちだ。俺がしたくてしてることなんだ」
「ケースケ・・・・」
相坂が小さく俺の名前を呟くのが聞こえた。
「ドMなの?」
「何でだよ⁉︎」
俺が誠意を見せてるのになんて扱いだ!
「いやだって、したくて女の子に土下座するとか、ガチで引くレベルの変態じゃん」
「土下座まではしてないから!それにしたくてって欲求的な意味じゃねえよ!」
「いや、それでも引くわ〜」
相坂の声のトーンは本当に引いてる様だ。
「何でだよ」
「だって、アタシ別に謝られる様なことされてないのにそんな事されるし〜。そーゆーことするくらいなら他にもっとあるっしょ?」
相坂がウィンクする。
俺はその意味にやっと気付き、ため息を吐く。
「ありがとうな」
「どーいたしまして」
相坂はにっこりと微笑んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「うぅ・・・・・」
「今日は一段と眠そうですね」
翌日。
放課後になり、まぶたを擦る俺は辻本に心配されてしまった。
「もしかして夜更かしでもしましたか?」
「まぁ、そんなところ」
辻本にジト目を向けられる。
その視線は痛いけど、流石に本当の事は言えないし、夜更かししてたのは事実だから甘んじて受け入れる。
「全く、ダメじゃないですか。夜更かしは生活リズムを崩す原因になりやすいんですから。そんなことをしていると最悪の場合病気になってしまいますよ」
プリプリと怒る辻本だが、元が美人なせいか怖いというよりも可愛いと思ってしまう。
「心配かけてごめんな」
「本当にそう思っていますか?そんなに笑って・・・」
再びジト目を向けられる。
「思ってるよ。でも、いつも心配してくれてありがとうな」
そう言って俺は辻本の頭を撫でる。
辻本は少し頰を赤らめる。
・・・・・。
自然とやってしまったけど、これは気恥ずかしいな。
「もうっ。勉強を始めますよっ」
「そっ、そうだな」
俺達は今のやり取りを忘れる様にいそいそと作業に取り掛かる。
周りの机をどかし、1つの机に2つの椅子を用意する。
そして教科書とノートを広げる。
「それでは今日は英語の勉強をしましょう」
こうして、俺達2人の勉強会はいつもの様に始まる。
例え眠くても、辻本との勉強の時は眠気も吹き飛んでしまう。
「英語の基本は単語と文法を覚えることです。この前言いつけた課題はやってきましたか?」
「ああ、宿題の合間にやるのは辛かったよ」
俺は辻本に全てのページに英単語を書き写したノートを渡し、辻本はそれをチェックする。
「ちなみに意味をちゃんと考えながら書いていましたか?」
「い、意味?」
「もう、ダメじゃないですか。単語だけ覚えても、身につきませんよ?子供の頃、日本語の単語が何を示すのかを学んだみたいに、ただ書くだけではなく、その単語から連想しながら書いてください」
「そんな風にやって身につくのか?」
「私はそうやって覚えましたから」
えっへん、と胸を張る辻本。
「俺はそれで覚えられる気がしないけどなぁ」
「ものは試しです、家に帰ってからやってみてください。とりあえず今は文法に取り掛かりましょう」
そう言って辻本は英語の文法について教えてくれる。
「基本的に言葉にはルールがあります。意識していないでしょうが、私達の話す日本語にもルールがあるんですよ」
「そのルールっていうのが文法ってことか」
「その通りです」
話しながらスラスラと文章を書いていく辻本。
その字と書き方がとても綺麗で俺は思わず辻本に見入ってしまう。
「言葉なんてものは、単語をルールの下に並べてしまえばそれだけで文になるんです。例えばこの文はーーー」
この勉強会は2人で1つの机を使うから、割と辻本との距離が近い。
顔を少し上げただけですぐそこに辻本の顔がある。
それに辻本はとてもいい匂いがする。
シャンプーの香りだろうか。
勉強会をする中で、この匂いや近さは未だに慣れる事はない。
「ちょっと入谷くん?」
「え?」
気がつくとすぐ目の前で辻本が俺を見つめていた。
「わぁっ!」
「きゃっ!と、突然大声を上げないでください!」
「わ、悪い」
女の子の顔が至近距離にあれば誰だってそうなる。
「それより入谷くん。ちゃんと聞いてましたか?」
「えっと・・・悪い」
「もうっ」
一からやり直しだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから数日後。
「どうしたんですか?今日は一段と顔色が悪いですよ」
「まぁ、ちょっとな・・・・・」
正直、今にも意識を失いそうに眠い。
授業中もほとんど寝た事はなかった俺だけど、今日は先生の言っていた事が思い出せない上にノートにはミミズみたいな謎の文字で埋められている有様だ。
でも今は寝る訳にはいかない。
今寝たら、今日までの苦労が無駄になるーーーーーーーーーーなんてことはないけど、どうしても今日がいい。
明日に回してしまえば、俺は一生渡せない気がするから。
「だから夜更かしはいけないと言ったじゃないですか。入谷くんが何に熱中したのかは知りませんけど、そんな状態では勉強は無理ですね」
「えっ」
「今日はゆっくり休んでください。勉強会はまた入谷くんが元気になってからにしましょう」
「ま、待ってくれ!」
俺は思わず立ち上がろうとする辻本の肩を抑えた。
「きゃっ」
「わっ、悪い」
どうやら勢いよくやり過ぎたのか、辻本が怯えた表情を見せる。
慌てすぎだ、俺。
どうやら眠くて思考が回ってない様だ。
俺はそんな自分に喝を入れるために頰を思いっきり叩く。
「い、入谷くん?」
そして、辻本に向き直る。
「辻本、渡したいものがあるんだ」
そう言って俺はポケットからそれを取り出す。
「これは・・・」
それはストラップだった。
とは言っても、店で売ってるものに比べたら全然拙いものだったけど。
使ってあるのはビーズと毛糸くらいで、シンプルなデザインになっている。
「辻本、いつも勉強教えてくれてありがとう。俺にはこんなことしかできないけど、それが俺の気持ちだ」
「これ、入谷くんが作ったんですか?」
「そうだよ。まあ、中々難しくて、時間がかかっちゃったけど」
俺は力無く笑う。
俺の感謝の気持ちを伝えるには手作りがいいだろうと思い立ったのは数日前、相坂に相談した時のことだ。
そう思い立ったはいいものの、俺は細かい作業が得意な方ではない。
そのせいで夜遅くまで作業したり、中々進まなくて今日までかかってしまった。
「・・・馬鹿」
「え?」
唐突に辻本の口から出た言葉に俺は驚いた。
その表情は、今にも泣きそうだった。
「ちょっ、辻本?」
「この勉強会は私が好きでしていることだって言ったじゃないですか。なのにこんなことして・・・」
「辻本・・・」
俺には辻本が悲しくてそんな顔をしているのか、嬉しくてそんな顔をしているのかわからない。
でも、俺はどうしても伝えたかった。
「言っただろ。それは俺の気持ちだ」
「えっ」
「辻本がしたくて勉強を見てくれてる様に、俺も辻本に感謝したくてしてるんだ」
「入谷くん・・・」
「だから、受け取ってくれないか?」
「もうっ」
辻本は少し拗ねた顔になる。
なんで?
「入谷くんはずるいです」
「ず、ずるい?」
「はい、ずるいです」
「なんでだよ?」
「それは言えません」
「は?」
なんだかよくわからないやり取りが続く。
やがて、辻本は柔らかい笑顔を見せた。
「でも、ありがとうございます」
この笑顔が見れただけでも、頑張った価値はあったかな。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「しかし、入谷くんがその調子だと、やっぱり今日は勉強は無理ですね」
「いや、大丈夫だって。これくらい平気・・・」
「ほら、フラフラじゃないですか。・・・・少し、こちらへ」
「辻本?」
「ほら、ここに頭を。少しくらい休んだってバチは当たりませんよ?」
「辻本・・・ありがとう」
「zzz...」
「ふふ、可愛い顔をしてますね」
「今日は・・・本当にありがとうございました。こんなものでお礼になれるかわかりませんが」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今日は俺がまともに勉強できないだろうということで、勉強会は中止になってしまった。
それでその間何をしていたかというと・・・まあ、その話はやめておこう。
俺は少し休めたので今は割と体調も戻っている。
そして、辻本はまだやることがあるそうなので先に帰ることになった。
「よっす」
校門で、意外な人物を見かけた。
「相坂?」
そう、そこにいたのは他の学校の制服を着た相坂だった。
俺は足早に相坂に近付く。
「どうしてここにいるんだよ?」
「ケースケって会う時大体制服だったじゃん?だから、ケースケがどこの学校通ってるかはわかってたんだ〜」
そんなことで身元がバレるのか・・・。
これからは気を付ける様にしよう。
「それもあるけど、理由だよ理由」
「あ〜、理由?そんなの決まってるっしょ」
相坂はいやらしい笑みを浮かべる。
「プレゼント、上手くいったの?」
・・・・・。
こいつ、そんなこと訊くためにわざわざ俺の学校突き止めたのか?
「そんなことのためにわざわざここで待ってたのか?」
「そんなことじゃないっしょ!そりゃ人の恋愛話なんて気になるに決まってんじゃん!」
「いやなんでだよ」
いつの間に俺が恋愛してることになってるんだ。
「違うの?」
「勉強世話になってる相手に恩返しがしたかっただけだよ。告白のためにとか、そういうんじゃないから」
「そっか・・・」
その表情は、どこかホッとしている様にも見えるけど何にホッとしてるかわからない。
「ありがとうな。相坂のおかげで助かったよ」
「ふっふっふ〜♪アタシってばできる女っしょ〜?」
「そうだな」
相坂の褒めてアピールを俺は軽くあしらう。
「あっ、そうだ」
思い出した俺はカバンの中を探して、それを見つける。
「相坂」
「ん?」
いきなり名前を呼ばれた相坂が次の言葉を待っている。
「はい、これ」
「へっ?」
相坂は素っ頓狂な声を出す。
俺が渡したのは、この前のアクセサリーの店にあった猫のストラップだ。
「俺からのプレゼントだ」
「うぇっうぇっ?」
相坂は驚いているのか呆然としている。
「相坂にはこの前プレゼント選びで助けてもらったし、日頃もお世話になってるしな」
この前、俺と会った時、相坂がこの猫のストラップに目を向けたのを覚えている。
それに、元々相坂は捨て猫を可愛がったりする様な奴だしな。
猫が好きなんだろう。
「ケースケ・・・」
相坂は大切そうにストラップを握る。
そんなに猫が好きなんだな。
「アタシこれ別に欲しくなったよ?」
「マジで⁉︎」
本気で驚いてしまった。
「この前の店のっしょ?単にケースケが選んでるの見てただけだし」
「マジかよ・・・」
確かに俺に近い方にあったけど。
何にせよ、俺は間違えてしまった様だ。
「でもありがと♪すっごく嬉しい」
相坂は満面の笑みを浮かべた。
それはとても嬉しそうで・・・・とても綺麗だった。
「じゃ〜!またね〜!」
そう言って、相坂は足早に去って行った。
俺は、少しの間身動きが取れなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
最初は早歩きの様な速度で、そして最終的には全速力で華夜は走っていた。
その顔はかなり緩んでいて、頰も紅潮して、とても幸せそうだった。
やがて華夜の足が止まる。
単純に体力の限界が来たのだ。
そして華夜は景介から貰った猫のストラップに目を向ける。
「まさかバレてたなんて・・・」
華夜は大の猫好きである。
本人はよくわかっていないが猫アレルギーの為両親が猫から遠ざけていたせいだろう。
その分華夜の部屋には猫のグッズが多く、身に付けるものも猫の柄ばかりだ。
この間、景介と会った時も、思わず猫のストラップに目がいっていた。
要するに、とても欲しかったのだ。
それを景介がプレゼントしてくれたのだ。
「・・・・」
華夜は猫のストラップを見つめる。
「ヤバい」
顔の熱さが引かない。
「ちょーヤバい」
口角が緩むのが止められない。
「えへへ」
華夜はそのストラップを大切そうに優しく握りしめた。