復讐者の小太刀
森のムササビのアジトは文字通りの地獄絵図となっていた。
床は一面赤いペンキでコーティングされており、そこかしこに内蔵がぶちまけられている。
何より臭いが強烈で、鼻孔を貫くような腐臭に否応なく嘔吐感が込みあげた。
生存者はゼロ。
掛け値無しの全滅だった。
「……俺のミスだ」
イルヴェドは床に膝を突くと、掠れるような声で呟いた。
「──軽率だった。俺の馬鹿な考えでデスプリーステスを尾行しろなんて言い出さなければ、こいつらは」
その悔恨を慰める者はいない。
慰めてくれるはずの手下たちは既に全員この世からいなくなっていたからだ。
だからイルヴェドは己の犯した罪の重さと独りで向き合うしかなかった。
さきほどまで弔事を捧げていた勇者一行はやがて室内の調査を始める。
もちろんデスプリーステスの手がかり探るためである。
「それにしてもむごたらしい。どんな魔法を使ったらここまで残虐な殺戮ができるんだ」
憤るアイリスに仲間の一人が起伏のない声で反応する。
「炸裂魔法だねー。特定の空間に爆発を起こし、衝撃波で一掃しちゃうってヤツ」
気だるそうな口調で解説したのはずっと沈黙していた二人のうちの一人。
三角帽子を被り杖を持った二十歳くらいの女だ。
その格好と攻撃魔法に関する造詣の深さからして、職業はおそらく魔導師と思われる。
「僕の知らない魔法だ。詳しく教えてくれないか、ラベンダー」
ラベンダーと呼ばれた彼女はアイリスのリクエストに飄々とした態度で応じた。
「んーっとね、炸裂魔法が優れているのは効果範囲の広さだねー。代わりに火力は並で、相手が重装だったり固い皮膚を持つ魔物の場合ははじかれてしまうところが難点かな。ま、今回みたいに軽装な脳筋どもを大量に吹き飛ばすにはおあつらえ向きですよっと」
「盗賊には効果抜群ということか」
悔しそうに歯ぎしりするアイリス。
説明に一区切りが付くとラベンダーは何かの魔法を詠唱した。
すると床の一部が光り出し、模様のようなものが浮かび上がる。
それを見た彼女はやれやれと肩をすくめた。
「だよねー。上級悪魔にもなると魔痕を消すくらいのことは普通にやっちゃうよねー」
魔痕の可視化魔法。
過去に使われた術式を浮かび上がらせるという熟練の魔導師だけが扱える高位の黒魔術だ。
うまく行けばマナの糸を辿って術者まで辿り着く便利な術式なのだが、今回はデスプリーステスの証拠隠滅により不発に終わったようである。
「そう簡単に手がかりをつかませてはくれないか。用心深い相手だ」
溜息をつくアイリスに続いてアランが口を開く。
「魔術的な痕跡がないなら、物理的に調べるしかなかろうて。望みは薄いがな」
その提案に他の面々も同意、あるいは肯定の意を示す。
まずアランが率先して床を調べようとした──そのときのことだった。
「そんな手間はいらねえ」
突然割って入ったイルヴェドに一同から視線の束が投げかけられる。
けれどもイルヴェドはそれに臆することなく続く言葉を紡いだ。
「──こいつを使えばもっと容易に奴の居場所を突き止められるはずだ」
そう言いながらイルヴェドが懐から取り出したのは一筋の小刀だった。
見るからに切れ味の悪そうな年季の入った代物だ。
一見何の役にも立たない骨董品に見える。
しかし、それを見るなりアランがカッと目を見開いた。
「ま、まさかそれは『復讐者の小太刀』!?」
普段ならアランの慌てっぷりを徹底的に囃し立てるところだが、今のイルヴェドはそんな気分ではなかった。
「ご名答。ジジイのくせに詳しいじゃねえか」
動転しきったアランはジジイ呼ばわりされたことに気付かない。
「き、貴様のような盗賊風情がどうしてそれを」
「そら盗賊だからに決まってるだろ」
「……まあ良い。入手経路についてはまた後ほど尋ねよう。今はとにかくデスプリーステスを追うのが先決じゃ」
「ご理解感謝するよ」
「言っておくが、後できちんと説明してもらうからな」
釘を刺すアランだったが、ひとまずこの場では舌鋒を収めた。
しかしその代わり、別の方角から別の疑問符が飛んでくる。
「待ってくれ、アラン、ロクスリー。何なんだい、復讐者の小太刀ってのは?」
意外と言うべきか、やはりと言うべきか。
勇者の知識はあまり豊かではないらしい。
まあ、無理もない話である。
いくら勇者であるとはいえ、見ての通りアイリスはまだ十代のおぼこに過ぎない。
噂によれば一年前、聖痕に見出されるまではどこぞの修道院でシスター見習いをやっていたとの話だ。
「失われた魂を宿せし秘具、付呪遺物の一つだ」
「付呪遺物?」
オウムを返すアイリスにイルヴェドは説明を加えた。
「例えば武の極地に達した戦士の剣。例えば悟りを開いた賢者の石。他には例えば愛する者を殺された暗殺者が復讐に使った小刀。そういう曰く付きの道具が時折長い年月を経て現代魔法では再現できない摩訶不思議な呪術を宿すことがある。そういうものをまとめて付呪遺物と呼ぶんだ。この小太刀はまさしく今の例の三番目に当て嵌まり、他にはお前の持ってる聖剣なんかもこれに該当する」
それを聞いたアイリスは得心のいったように聖剣の鞘に手を置いた。
「確かにこれは長年に渡り代々の勇者に受け継がれたものと聞く。道理でデタラメな力を持つわけだ」
「そうだろうよ。聖剣といえば付呪遺物の王様みたいなもんだ」
「それで復讐者の小太刀にはどんな特殊能力があるんだい?」
イルヴェドは屈み込んで手下の一人の死体に寄り添いながら返答する。
「ある者が出血を伴って殺された場合──」
そして、冷たくなった手下の血を小太刀に吸わせると、
「──殺した奴が誰で、どこにいるか教えてくれるって代物だ」
小太刀が突然光を放ち出したのである。
そして小太刀はイルヴェドの腕を引っ張るようにある方向を指し示した。
上級魔法でも成し得ぬその超常現象に、程度のこそあれその場の全員が何かしらの反応を見せた。
「……すごいな、これは」
取り繕うことなく感嘆を漏らすアイリス。
「へー。便利じゃん。ちょっと欲しいかも」
と新しいおもちゃでも見つけたかのように目を輝かせるラベンダー。
「驚いている暇はない。先を急ぐぞ」
愛想無くあくまで事務的なアラン。
「…………」
眉を微動させるもあくまで無言を貫く未だ名の知れぬ黒髪の少女。
そしてイルヴェドは小太刀の指し示す方向を見定めるとアイリスに呼びかけた。
「……ここで今一度提案したいことがある」
その意味深な台詞にアイリスは「提案?」と小首をかしげる。
「既に一度言ったことだが、デスプリーステスの居場所まで案内してやる代わり俺を奴の討伐に参加させて欲しいって話さ」
言下にアイリスの表情が硬化した。
先刻断ったときと同じ神妙な顔だ。
「断ると言ったら?」
「一人で行くまでだ……分かるだろ、俺には通さにゃならん義理がある。こいつらの魂を鎮めてやる義務がある」
「美辞麗句を並べてるけど、要するに復讐だよね、それ」
そう言うアイリスの声音はどこか冷ややかだ。
「……ああ、その通りだ。悪いかよ」
どうせまた反対されるのだろうと思っていた。
だが、しかし。
「……それなら、護衛役が必要だね」
返ってきたのはそんな言葉だった。
「……確かに。復讐は果たせなければ意味がない」
「それなら僕らが護衛しよう」
「そいつは願ってもない話だが、一体どういう風の吹き回しだ?」
問いかけるとアイリスは取り澄ました顔でこう言った。
「明白な危険を傍観するのは勇者の倫理に反するからね」
ふと無警戒にアイリスを見上げたイルヴェドだったが、危うく彼女に見惚れそうになってしまう。
可憐かつ精悍。
その凛とした表情には得も言えぬ心強さがあった。