提案返し
日はすっかり沈みきっていた。
繁華街には売女がたむろし、裏路地は強盗どもの欲望と殺気に満ち溢れている。
今日もイーストブルグは平常運転だ。
この時間帯の繁華街はよそ者ならばまず間違いなくトラブルに見舞われるところだろうが、イルヴェドには無縁の話。
庭を散策するかのような気安さで歩を進めること数十分、難なく目的の宿に辿り着く。
「──まさか君の方から訪ねてくるとはね」
アイリスは呆れたとばかりに苦言を呈した。
「隠密行動と不意打ちは盗賊の十八番なのさ。覚えておきな、勇者様」
「盗賊ってのは行儀が悪いなあ」
そう言いつつもアイリスはイルヴェドをもてなした。
干し肉とワイン。
極上とまでは言わなくとも普段食べている安物とは比べものにならない上物だ。
「さすがは勇者様、いいもの食ってるな」
「嫌味はやめてくれよ。これは客人を招くときだけさ。いつもはもっと節約している」
「そいつはどうだか……それよりお前は飲まないのか?」
勇者のグラスが水であることに気づいたイルヴェドが指摘する。
すると勇者より先に隣の老人が答えた。
「ふん、術式を使えぬ賊には分からぬか。アルコールはマナのコントロール力を鈍らせる。臨戦態勢のときに飲む術者は阿呆もいいところじゃな」
確かアランとかいったか。いちいち突っかかってくる爺さんだ。
「つっても俺ら無術者だってあまり酔っぱらうと動きが鈍くなる。術者とか関係ねえ話だと思うんだが」
「そんなことはもちろん織り込み済みよ。度合いの問題じゃ。術者と無術者ではアルコールによる障害の大きさが違う」
「説教臭いジジイだな。わかったわかった。わかったからもう黙っててくれ。せっかくの飯がまずくなる」
「ジジイじゃと!? 人が下手に出ておればつけあがりおって」
「下手が聞いて呆れるわ。あんたのどこに謙虚の要素あるってんだ」
いがみ合う二人だったが、「まあまあ」とアイリスが割って入って仲介する。
「落ち着いてくれよ、二人とも。それよりロクスリーは何か用があって来たんだろ?」
指摘されてイルヴェドは居直った。
「そうさ。話があって来たんだよ。何が悲しくてジジイと口論せにゃならん」
「まだ言うか、貴様!」
またいきり立つアランだったが、イルヴェドは構わず続ける。
「端的に言う。デスプリーステスの居場所を突き止めた」
「!!」
アイリスはピクリと背中を揺らし、アランは驚き余って持っていた杖を落とす。
昼から頑なにイルヴェドに話しかけようとしない他の二人も含め、勇者一行の全員が何らかの反応を示した。
「……まあ、君がここに来た時点である程度は予想はしていたよ。それで条件はお金かい?」
「金? まあそれも少しは考えたが、金ならわざわざ勇者に頼むことでもない。稼ぎ方は他にいくらでもある」
「だとすると君の要求は?」
「俺たち森のムササビをデスプリーステス退治に同行させて欲しい」
その奇怪な提案にアイリスは首をかしげた。
「僕らに同行? それで君に何のメリットがある?」
「勇者と一緒に魔王の幹部を倒した、という箔がつく。その功績を利用して今後のギルド抗争を有利に進めようって寸法さ」
「勇者に与したって評判はこの街だとむしろマイナスに働くように思うんだけど」
「問題ない。堅気に手を出さないって方針を取っているせいか、既に散々レッテルを張られまくってるんだ。『偽善者』ってレッテルをな。だったらいっそ突き抜けちまった方がいい」
一応の納得はいったらしく、アイリスは真顔で頷いた。
しかし彼女はその上で、
「申し訳ないけど、それは却下だ」
そう断った。
イルヴェドは眉一つ動かすことなくその拒絶を無表情で受け取る。
代わりに食後の葉巻に火をつけると、深々と一服をし、それからあくまで冷静に問いただした。
「理由、訊かせてもらっていいか?」
アイリスは葉巻の煙を不快そうに手で振り払いながら、
「一般人を危険に巻き込むわけにはいかないからだよ」
「世界の守護者たる勇者様としては百点満点の回答だな」
「茶化さないでくれ、ロクスリー。相手がそこらの中級魔族なら、君たちの力を借りるのもやぶさかじゃない。繰り返しになるけど、デスプリーステスは本当に危険な魔物なんだ。戦いに慣れない者を連れていけば必ず犠牲が出る」
イルヴェドはしばしの間、黙考をした。
足したり、引いたり、事細かに損と得の勘定をする。
「それならこの話はなかったことにしよう。邪魔したな」
彼は葉巻の火を消すと、立ち上がって勇者一行に目礼をした。
だが、
「待て、ロクスリー。デスプリーステスをどうするつもりだ?」
その背中を呼び止められる。
「悪いが魔王の幹部討伐の名誉を手放すつもりはない。てめえらが協力しないと言うなら俺たちだけでやるだけだ」
それを聞いたアイリスが声を上げた。
「ダメだ! それでは皆殺しにされてしまう。君は奴らを知らないから危機感が足りないんだ。魔王の幹部ってのは、」
しかし、アイリスの言葉は強制的に中断させられた。
──否、閉口するしかないような光景が突如として目の前に広がったのだ。
いきなり宿の扉が開いたかと思えば、森のムササビのメンバーの一人──昼間、アイリスに殴りかかろうとしたあの巨漢──ごろつきAが現れたのである。
だがそれだけなら特段に驚くことでもない。
ボスのイルヴェドに何か用事があって来たとしても別に不自然なことではないからだ。
問題は彼が今にも死にかけていることだった。
打撲というには深刻すぎるクレーターの痕が身体のそこかしこに出来ており、腕も片方なくなっていた。
全身が血で覆われており、一目見ただけでもう長くはないと分かる。
その陰惨な光景にアイリスは言葉を失い、イルヴェドは色を失った。
「……お、お頭」
彼はうめくように、絞り出すようにこう言った。
「──すみません。しくじっちまいました」
それがごろつきAの最後の言葉となった。
彼は目を開けたまま横転し、そのまま動かなくなったからだ。
そして、灰色の静寂が辺り一帯を包んだ。