盗賊イルヴェド・ロクスリー
イルヴェド・ロクスリーといえばイーストブルグではそれなりに名の知れた悪党だった。
当時のイーストブルクはすこぶる治安が悪く、その惨状たるや『犬も歩けば賊に当たる』と揶揄されるほど。
事実、この街は奴隷商人ギルドや盗賊ギルドがしのぎを削り合う、ならず者たちの吹き溜まりであり、上記の逸話は誇張でもなんでもなく、これ以上なく的確に街の現状を言い表していた。
ちなみに当時一番流行っていた話題は事情を知らない貴族の旅行者が一夜にしてパンツしか持たない文無しの奴隷に成り果てた、というエピソードだ。
さて、イルヴェドが所属していたのはイーストブルグにあるギルドの中でもとりわけ著名な盗賊ギルド、『森のムササビ』で、そこの元締めを務めていた。
いわゆるギルドマスターというやつだ。
そのためイルヴェドが勇者の一行と最初に接触したときは和やかとはほど遠い雰囲気で、互いの印象はお世辞にも良好とはいえなかっただろう。
では、どうしてイルヴェドが勇者であるアイリス・ホワイトフォードの仲間になったのか。
そもそも別世界に住んでいた二人の道がどうして交わることになったのか。
こういう相入れぬ者同士が手を組むきっかけというのは昔から『共通の敵の出現』と相場が決まっており、この二人についても例外ではなかった。
「──だからね、ロクスリー。これは君たちにとっても重大な問題なんだよ。もう一度よく考えてみてくれ」
場末の酒場の一角。
柄の悪そうなごろつきを1ダースほど引き連れたイルヴェドを前に、アイリスは臆することなく説得を試みていた。
「いいかい、デスプリーステスは本当に危険な魔物なんだ。奴は魔王の右腕とも言われる魔族の幹部中の幹部なんだよ。こう言っちゃ悪いけど、君たち盗賊ではとてもじゃないが歯が立たない」
凛とした表情でそう語るアイリスに、ごろつきの一人(以下ごろつきA)が口を挟む。
「おうおう随分な言い種じゃねえか、勇者様よお。ほんなら、本当に歯が立たねえのか試してみるかい?」
ボキボキと指を鳴らしながら不細工な顔でアイリスに詰め寄るごろつきA。
「僕は君のボスと話しているんだ。頼むから話の腰を折らないでくれ。それからその暑苦しい顔を近づけられるのも勘弁して欲しい」
それだけで沸点の低いごろつきAの怒りは容易く臨界点を振り切れてしまう。
彼は勢いのまま斧を降りかぶり──そして勢いよく吹き飛ばされた。
それから少し遅れて酒瓶の割れるガラスの音が鳴り響く。
言葉そのまま一瞬のできごとだった。
切り裂く疾風──瞬時に衝撃波を発生させる風魔法である。
魔法自体は中級レベルだが、特筆すべきは無詠唱で、しかも魔方陣さえ用いずに発生させたところだ。
これは本当に稀有な才能で、仮に初級魔法であろうと完全なる無詠唱で術式を発動させることのできるのはこの世界に両手の指ほどもいないらしい。
まさしく勇者の名に恥じぬ妙技である。
「すまない。つい反射的に」
アイリスは掲げた手を下げながら謝罪する。
するとずっと押し黙っていたイルヴェドが口を開いた。
「この街では皆息を吸うように人を殴る。別に謝るようなことじゃない」
「それは助かるよ。なら、僕の提案は、」
「だが、それとこれとは話が別だ」
イルヴェドはぴしゃりと断言した。
「──話を整理するぞ。そのデスプリーステスとかいうヤバめな魔物がこのイーストブルグに潜伏していて、勇者のお前はそいつを倒す責任がある。んでもって、そいつを探し出すために俺たちのコネやツテを借りたい、と。ここまではいいか」
アイリスは首肯して、
「そうなんだよ。それでデスプリーステスさえいなくなれば、この街の平和が守れ、」
「それで俺たちに何の得がある?」
と、イルヴェドがまた遮った。
「……え?」
理解が及ばず目を白黒させるアイリス。
「街の平和? 笑わせないでくれ。そこから一本路地に入って突き当たりまで散歩してみるといい。スリや追い剥ぎにはまず間違いなく出くわすだろうし、運が良ければレイプや殺人も見れるだろうよ」
イルヴェドの生々しい解説にアイリスは二の句を継げなかった。
「要するに、元々ないものは守りようがねえって話だ。愛と理想の世界に生きている勇者様にはどだい理解できない話だろうがな」
すると、勇者の後ろに控えていた老人が声を荒げた。
「言葉が過ぎるぞ、盗賊風情が! 今の状況が理解できんのか。奴はこの街を滅ぼすつもりなのじゃぞ。ほっとけば毎晩少しずつ人口が減り続け、そう遠くないうちに誰もいなくなる。それからでは遅いのじゃ」
と白髪を揺らしながら叫んだのはちょうど還暦を過ぎた頃と見られる初老の男。
荒々しく激昂するその様子はただの頑固ジジイにしか見えないが、しかし、迸るそのマナの濃度から彼がそれなりに高位の術師であることは分かった。
その辺りはさすが勇者の仲間といったところか。
とはいえイルヴェドも伊達に暗黒街で成り上がったわけではない。
切った貼ったは慣れたもの。
この程度の脅しは子守歌みたいのものだ。
「威勢がいいな、ご老体。だが、ここは俺たちの街で、お前たちが頼みに来たんだ。そちらこそ自分らの態度を省みたらどうだ?」
「態度じゃと? 悪党共に尽くす礼儀はない」
「ほう、悪党が相手なら横柄な態度を取っても許されるし、タダ働きさせてもいいってか?」
「なっ!」
図星だったのか、老人は悔しそうに強く歯ぎしりをする。
「だが」
と、イルヴェドは続けた。
「だが、それ相応の報酬を頂戴できるなら、協力するのもやぶさかではない。俺たちは金に目がないからな」
「……いくら用意しろというのじゃ?」
ためらいがちに尋ねる老人にイルヴェドは即答する。
「50万ガレンだ。ビタ一文負ける気はないのでそのつもりで」
言下に老人が憤慨した。
「抜かしおる! 50万ガレンが何人分の生涯賃金に該当するかを知っての暴言か!」
「そうだな、ざっと20人分くらいか? 勇者様ご一行ならこれくらいははした金かと」
「貴様は勇者を何だと思っとるのじゃ!」
「さしずめ、しこたま金の詰まった宝箱ってところだな」
勢い余ってイルヴェドにつかみかかろうとする老人だったが、しかしそれはアイリスによって阻まれる。
「……もういい、アラン。他を当たろう」
言いながらアイリスは老人の肩をきつくつかんだ。
アランと呼ばれた老人は正気に戻り、それからもう見たくないとばかり酒場から出ていった。
アイリスの後ろに佇んでいた仲間とおぼしき二人がアランの背中を追う。
どうやら勇者を含めて四人のパーティのようである。
「──残念だよ、ロクスリー。『森のムササビ』といえば悪人しか狙わないイーストブルグ唯一の義賊だって噂を聞いていたんだけどね。その実はただの守銭奴か」
「噂ってのは得てしておひれとはひれがつくもんだ。いい勉強になったな、勇者殿」
小言を叩くイルヴェドに蔑むような一瞥をくれると、アイリスもきびすを返して仲間の後を追いかけた。
やがてその姿が完全に見えなくなり、酒場が元の淀んだ空気を取り戻す。
イルヴェドは葉巻に火をつけ、ゆっくりと煙を吸った。
葉巻のちょうど半分を消化すると火を消し、それから配下のごろつき共にこう命じた。
「総力を挙げてデスプリーステスを探せ。発見次第俺に報告を入れろ」
想定外の言葉だったのか、配下の一人が驚いたように頓狂な声を出した。
「マジっすか、お頭!! ……でも、それならどうして勇者の申し出を断ったりしたんすか?」
「いくら勇者だからって……いや、勇者だからこそ連中の言うことをそのまま受け入れるのは癪だろうが。俺には俺の、森のムササビには森のムササビなりの流儀ってもんがある」
「……あ! なーるほど。さては先に魔物を見つけてその情報を勇者に高く売りつけるとかそんな感じっすか」
浮き立つ手下にイルヴェドはぶっきらぼうな返事をした。
「……まあ、だいたいそんなところだ」