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Q:誰が勇者を殺したか?  作者: お花畑
第二章:招かれざる客
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或る夜の出来事

 闇は水中に似ている。

 泳ぎ方を知っている者には力を貸し、知らない者にはとことん無慈悲であるところが、よく似ている。

 闇の中では外の常識が通用しない。

 故に、いかなる武の達人であろうとも、身の振り方を一つでも誤ると、あっけなく人生にピリオドを打つことになる。


「──喩えばこんな風にな」


 そんな言葉と共に、アイリスの喉元に背後から一振りの短剣が添えられた。


 ほんのりと赤みを帯びた首皮とそれを間近に捉える鋭利な刃。

 その距離、およそ小指一本分。

 少し力を加えれるだけで、容易く引き裂けそうな近さである。


 一見剣呑に見えるこの光景だが、ある勝負に決着がついたことを意味していた。



「……何となく、見えては来てるんだけどなあ」



 やがてアイリスは装備していた短剣を放棄し、両手を上げて降参の意を示した。

 落下する刃物を星光が照らし、遅れて闇夜に無粋な雑音を鳴り響かせる。


 勝利を確認するとイルヴェドも拘束を解き、アイリスの喉元から凶器を遠ざけた。

 そして道具を仕舞うと、フィードバックを口にする。


「執拗に後ろを取ろうとする姿勢自体は悪くない。だが全体的に動きが大振りな上、攻め方が直線的過ぎる」

「動きが大振りって言われてもなあ。これでもかなり小回りを利かせているつもりなんだけど」


 落とした短剣を拾って再度構えを取るアイリスだったが、即座にイルヴェドの待ったが入る。


「だから順手で持つなと言ってるだろうが」

「……あっ。ほんとだ。聖剣を扱うときの癖で、つい」

「その悪癖はさっさと直しとけ。逆手と比べて決定力が大きく劣るし、手を痛めやすくもなる。順手なら普通に長剣を使った方がいい」

「確かにそれは言えてるね」


 アイリスは短剣を逆手で握り直し、軽く数回素振りをした。


「──ちょっと分かったことがあるから、もう一回試してみてもいいかな?」


 見上げた向上心だ。

 この気構えこそが元修道女にもかかわらず、たったの一年で西方剣術の上段を修めた所以なのだろう。


「また10秒数える。それまでに身を潜め、数え終わったらかかってこい」

「了解。また胸を借りさせて貰うよ」


 それを受けると、イルヴェドは目を閉じ10から0までの数字をそらんじた。



 場所は宿に隣接する空き地。

 一帯は樹木が伸びるがままに生い茂り、それに混じって第一紀のものと思しき遺跡の支柱がほどよく立ち並ぶ。

 身を隠す場所に不自由はしない理想的なフィールドだ。



 約束通りの10秒をカウントし終えると、イルヴェドは辺りを見渡した。

 当然ながら視界にアイリスの姿はない。


 ──さて、と。


 音を消し、気配を消し、イルヴェドは闇へと潜水する。


 いくら地の利があろうとも、たとえ模擬戦だとしても、相手は勇者の聖痕を宿す者。

 一切の手を抜くつもりはないし、手を抜いては訓練にならない。

 いや、そもそも手を抜けるような余裕もない。


 単なるスペックの話をするならば、パーティメンバーの中でもやはりアイリスは群を抜いていると思う。

 アヤメをもってしても勇者の人間離れした膂力には敵わないだろうし、瞬発力に自信のあるイルヴェドだがアイリスに及ばないことは自覚している。

 術式に関してもアランの持つ膨大なマナ貯蔵量を軽く凌駕しているし、ラベンダーの繰り出す高濃度の魔術より更に完成されたそれを無詠唱で生み出せる。


 一見する限り、聖痕の加護がなくとも完全無欠だ。


 しかし、まったくつけ込む隙がないかといえば、そうでもない。

 聖痕という無敵要素のある実践はともかく、模擬戦ならいくらでもやりようはあるし、実際さっきはそれで一本取った。


 アイリスは良くも悪くも愚直で融通の利かない性格だ。

 駆け引きが苦手で、さらには流されやすくもあり──要するに心理戦に弱い。


 だから、イルヴェドが攻め方が直線的であると指摘をすれば、まず間違いなく戦略を変えてくるだろう。

 あるいは一回くらいはなんちゃってフェイクを混ぜてくるかもしれない。


 アイリスの行動を想定し、あとはフィールドから居場所を逆算してやればいい。

 それで潜伏先の候補をかなりのところまで絞り込むことが出来る。



 ──まあ、十中八九で獅子の支柱の裏側だろうな。



 イルヴェドは忍び足で迂回しつつ、目標地点の背後に回った。

 それから茂みを利用しつつ、息を殺してにじり寄る。

 


 ──いた。



 暗闇なので顔までは見えないが、この外形はアイリスのそれに相違ない。

 どうやらどこか見当違いの方向を窺っており、まだこちらに気付いていないようである。


 攻勢に出る前にイルヴェドは脳内で五秒後の世界をシミュレーションをしてみた。


 ──問題ない。


 この距離なら一度の跳躍で王手をかけられる。

 ならば後はもう、刈り取るだけだ。


 だから、もはや音のことなど気にせず地面を蹴った。

 そして勢いのまま目標との距離を貪り──



「……!」



 ハメられたことに気付いてイルヴェドは思わず舌打ちをする。


 早計だったか、と。

 一杯食わされたか、とも。


 結論から言うと、これはアイリスではない。

 術式で作られた(デコイ)だ。



 だとすれば、本物は──



 イルヴェドの反射神経が強引に身体をよじらせ、背後の一撃を左手の短剣で受け止めた。

 遠心力を用いて相手の短剣を弾き飛ばし、片方の武装を解除する。

 そして勢いそのままに右手の短剣も振りかぶり、アイリスの喉元に──届かなかった。


 理由は至って単純だ。

 アイリスの速度がイルヴェドのそれを上回った──ただそれだけのことである。


 一弾指早く喉元に突き付けられた短剣を見て、イルヴェドはため息をついた。



「ったく、早速教えることがなくなっちまったじゃねえか」



 アイリスの突出した身体能力については元より織り込み済みだ。

 敗因は彼女がこのような搦め手を使ってくるなどという発想に至らなかった見通しの甘さである。

 確かに術式の使用は禁止していない。


「こういうずる賢いやり方はあまり好きじゃないんだけどね」

「俺もてっきりそうだと思っていたんだが」

「でも師匠の真似をしてみたら自然とこうなったんだ」

「まるで俺がずる賢い奴みたいじゃないか」

「違うのかい?」

「……まあ、否定はできねえな」


 言葉を交わしながら、イルヴェドは心中でアイリスの成長速度について舌を巻いていた。

 頼もしいというべきか、末恐ろしいと言うべきか。

 この少女には天井というものがない。


 聖痕の力か、本人の才能か、はたまたその両方か。

 彼女は何でも吸収し、即座にモノにしてしまう。


 このまま正しく成長を続ければ、魔王を倒すのも時間の問題だろう。

 


 イルヴェドが武器を捨てると、アイリスも短剣を離して、生殺与奪の権を放棄した。

 自由になったイルヴェドはこれで終いだとばかり武器を片付け、それから宿に戻るよう水を向けようとして──、



「あっ……あーあ。さっき弾かれたときに切っちゃったかー」


 それとはなしに呟くアイリス。

 そしてそれを受けて、目を皿にするイルヴェド。


「怪我? お前がか?」


 見やれば、驚くべきことに、右の脇腹のあたりにうっすらと切り傷が入っている。

 その奇妙な光景を受けて、イルヴェドは思いっきり眉根を寄せた。


「──勇者ってのは魔王の攻撃以外では傷つかないって聞いたが」


 その問いかけに、アイリスは何でもなさそうに返事した。



「他者からの攻撃は、その通りだね。でも自傷は別なんだ」



 より一層目を細めるイルヴェド。

 その心中を察したアイリスが捕捉説明を加える。



「──えっとね、つまり勇者の聖痕と魔王の邪痕ってのは本質的に同じ代物だと言えば分かるかな?」

「同質であると聞いたことはあるが、同じだとして、どうなるんだ?」

「聖痕は邪痕によって、あるいは邪痕は聖痕によってのみ破られるってのは知ってるよね?」

「世界の常識だな」

「で、聖痕と邪痕の二つがイコールだとすると、以下の命題が成り立つ。すなわち、聖痕は聖痕によって、邪痕は邪痕によって破ることが出来る、ってね」


 一応筋は通っている。

 勇者と魔王というのはどこまでも合わせ鏡のような存在同士であるらしい。


「ってことは、アレか。勇者も自殺は出来るのか?」

「理論上はね。試したことはないし、試す気もないけど」


 回答しつつ、アイリスは回復術式で傷を癒やした。

 赤い直線がみるみる塞がり、元の肌色へと回帰する。


「──よし、これで大丈夫。もう夜も遅いし、宿に戻ろう」


 聞きたいことはまだいくらでもあったが、確かにそろそろ引き返した方がいいだろう。

 当初の予定より大幅に時間が押している。


「そうだな、ひとっ風呂浴びたい気分だ」

「結構動いたから僕もヘトヘトでベトベトだよ。早く身体を洗って床に就こう。明日の朝も早いからね」


 欠伸をしながらアイリスが言う。

 相づちを打つイルヴェドだったが、しかしその言葉に同調するつもりなど毛頭なかった。



 というのも、この後どうしても確認しなければならない事柄があったからだ。




    *    *    *    *




 確率としてはちょうど五分五分程度のものだと思っていた。

 だからその結果について特に驚きはなかったし、同時に失望もなかった。


 アイリスと就寝の挨拶を交わしてからおよそ一刻と半分。

 東の空から雷龍座がうっすらと姿を見せ始めた頃のこと。



 ──ふっ、と。



 影が宿のロビーを横切った。

 

 相変わらず、その動きに音はなく、また一切の無駄も無い。

 まるで花を撫でるそよ風のように、あるいはゆらめく蝋燭の炎のように。


 影は最短距離で玄関を抜けると、そのまま外へと消えていく。

 そして、また扉は閉じられた。


 突風が吹きつのり、窓の揺れる音がした。


 本人としては誰にも気付かれなかったつもりなのだろう。

 確かに実際、今眠っている仲間たちの誰一人として気付いていないはずだ。


 しかし、影は一つだけ見落としていた。

 暖炉の中に身を潜めていたイルヴェドの存在を、見落としていた。


「まったく、こんな夜分にどこへ行くのやら」


 などと独り言を口にしてみるが、おおよその見当は付いている。


 暖炉の外に出ると、イルヴェドはポケットからグレイスコッドの地図を取り出した。

 一箇所、赤い印のつけられた地図である。



 そして、その印が示す場所には『ラムゼイ商会』と書かれていた。

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