新たなる国、新たなる街、新たなる問題
『グレイスコッド』──アルメリアから国境を越えて少し進んだところに位置するストラティオン屈指の商業都市だ。
アルメリア国境のすぐ近くにありながら、レーム川の河畔にあるという非常に恵まれた立地ゆえ、古くから交通の要衝として両国を行き来する商人たちで賑わっていた。
その全盛期は豪華絢爛の一言で、金や銀はもちろん、エウラパ大陸中のありとあらゆる商品が集まり、『グレイスコッドを知らぬ者は商人にあらず』とまで言わしめたほどである。
しかし東西戦争の影響により、近年その繁栄には陰りが見えてきており、過去に語られたような活気は既にない。
それどころか大通りにすら物乞いの姿が散見され、ストラティオンの窮状が偲ばれた。
「確かにアルメリアを基準にしたら、今や中規模都市のレベルかもね。とはいえストラティオンでは上位に入ることに変わりなく、この先しばらくグレイスコッドほど大きな街はない。しっかり物資を調達しておうこう」
ひとまず宿を確保したところで、そうアイリスが提案をした。
するとまずはラベンダーが反応して、
「あー、あたしちょっち魔術書を買い足しておきたいかも」
続いてアランも、
「そうさなあ。ワシも魔石の補充をしておくかの」
それらを受けてアイリスが了解の意を示す。
「ってことは二人は北の魔法屋街だね。僕は防具の修理で鍛冶屋に寄りたいんだけど、二人はどうする?」
水を向けられたイルヴェドがふと隣を一瞥したところ、アヤメが無表情で短く首肯をした。
「ついてきてくれるのか。ありがとう、アヤメ。それでイルヴェドは?」
なかなか悩ましい質問だった。
あの晩以来、アヤメとは一言も話していない。
いや、アヤメとの会話がないのはいつものことだが、それまで見えなかった壁のようなものが顕在化し始め、以前にも増して気まずくなったのだ。
さりとてイルヴェドにとって魔法屋など無用の長物。
買いたい物など何もない。
「……ま、俺も短剣の買い足しをしておくか」
その選択はアイリスの笑顔でもって受け入れられる。
「オーケー。じゃあ、今日は二手に分かれて行動しよう。用事が終わり次第、宿に集合で」
と述べるアイリスをよそにイルヴェドはもう一度アヤメを盗み見た。
しかしその表情はいつも通りの鉄仮面を浮かべたままだった。
* * * *
「ところで、どうして盗賊ってのは短剣ばかり使うんだい?」
短剣の棚で品定めをしているイルヴェドの横顔を覗き込みつつアイリスが疑問を口にした。
無邪気に問いかけるその表情は汚れを知らない新芽のように瑞々しく、思わずどきりとしそうになる。
「……逆に訊くが、どんな理由からだと思う?」
イルヴェドはアイリスから少し距離を取りつつ回答した。
「持ち運びが楽だから?」
「それもある。あとは安価であること──それから、最も暗殺に適した武器である、というのもあるな」
「暗殺、か。デスプリーステスを倒したときみたいなやつかな?」
「ああ。あれはもし俺のエモノが普通の長剣だったら、まず決まらなかっただろうな。エモノが大きくなれば隙は増えるし、音も立つ」
関心したように首を上下に振るアイリス。
「そう聞くと短剣が最強に思えてきたよ」
「そうでもないぞ。盗賊ってのはあくまで略奪職であって、戦闘職ではない。この意味が分かるか?」
「……うーん。盗賊は戦いを目的にはしていない、ってことかな?」
「ご名答。盗賊にとって戦闘とはなるべく避けるべきものであり、そこから生まれたのが暗殺術だ。ゆえに正面切っての勝負は想定しておらず、そうしたケースに陥った場合は長剣や槍に対して後塵を拝することになる」
「つまりケースバイケースってことか」
イルヴェドは首肯した。
「──でも、だからこそ、正面から戦うより有用なケースもあるわけだよね?」
「そういうことだ」
するとアイリスはあごに手を当て、思考の世界に入り込んでしまった。
「勇者のイメージがなあ」とか「でも身に付けておくに越したことはないし」とか「実際使う機会あるかな」とかブツクサと呟いた後、ようやく意を決したようにこう言った。
「──もしよかったら、僕にも短剣の使い方を教えてくれないか?」
当然少なからず驚きはした。
しかし、特に断る理由もなかった。
一つ問題があるとすれば、アヤメから浴びせられる視線がいつもに増して険悪な感じになったことである。
* * * *
自身の買い物に加えてアイリス用の短剣を見繕ったためか、思いのほか時間が経過しており、鍛冶屋を後にしたときには既に黄昏時になっていた。
石畳は夕陽を浴びて橙色に染まりきり、街全体がどこか妖しげ雰囲気を醸し出している。
「お陰でいい買い物ができたよ、助言をありがとう」
相変わらずの笑顔でアイリスが礼を口にした。
「どういたしまして、だ。つっても無敵の勇者様に暗殺なんてコスい戦術、必要ないと思うがな」
「興味本位であることは否定しないよ。でも知っておきたいんだ。世の中にはどんな戦い方があるのか、その全てをね。知識があれば対処も取りやすい」
「そいつは真面目なことでして」
「君と比べればみんな真面目だよ」
アイリスはしたり顔でそう言った。
小癪な物言いだが、反論はできない。
「……悪かったな、不真面目で」
イルヴェドはそう言い捨てて、歩く速度を上げた──、
──と、そのときのこと。
「……っ!?」
突然、一台の馬車が目の前を横切ったのである。
たいした速度ではないが交差点での一時停止を怠って進んできたため、イルヴェドは危うく激突するところだった。
「──あっぶねえな! この野郎!!」
イルヴェドは反射的に石を拾うと、勢いに任せて投げつけた。
すると石つぶては二匹いるうち片方の馬の足に命中し、必定、馬が暴走を始め、馬車は停止を余儀なくされる。
しばしの混乱の後、何とか馬を鎮めた御者は下車すると、憤怒を露わにこちらに向かってきた。
御者は二人。
一人は一目で金持ちと分かるゴージャスな服装をしたケツアゴの男で、もう一人は重装な鎧を身にまとった剣士風の男だった。
「どういうつもりだ! 馬車が壊れたら弁償ものだぞ!」
などとケツアゴの方が食ってかかってきた。
どうやら徹底的に争うつもりらしい。
売り言葉には買い言葉と、イルヴェドも口汚く罵り返す。
「てめえの頭にはハチミツバターでも詰まってるのか? こちとら轢き殺されるかと思ったぞ」
「轢かれたくらいで何だ。野盗の分際で思い上がるなよ」
と言ってケツアゴは自分の背後を指差した。
すると剣士風の男が剣の柄に手をかけ、その厳めしいナリでイルヴェドを威圧する。
察するにケツアゴは行商人で、剣士はその護衛役なのだろう。
ケツアゴは典型的な小物の成金野郎だが、剣士の方は漂う雰囲気からそれなりの手練れであることが窺える。
長剣と短剣。
あまり分の良い勝負とは言えないが、ここで引くような慎み深さは持ち合わせていない。
イルヴェドも腰に吊した短剣に手をかけ、あわや一触即発の様相を呈した──が、背後から「待った」の声がかかった。
「いきなり何を始めようとするのさ! 頼むから冷静になってくれ!!」
言下に短剣から手を離した。
イルヴェドとしては至って冷静なつもりだったが、アイリスが出てきてくれるなら、任せるに越したことはない。
イルヴェドが武器を仕舞うと、ケツアゴがこれ見よがしに冷やかした。
「はっ、何だ。ただの腰抜けかよ」
けれどもイルヴェドは口をつぐみ、代わりにアイリスがそれを引き取った。
「石を投げたのは確かに悪いことだし、旅の仲間として謝罪する用意はある。でもね、馬車の運転についてもかなり問題があったように思うよ。あんな運転じゃ、いつか死人が出る」
その発言を受けたケツアゴがいきなり爆笑し始めた。
「『問題があったように思うよ』だとさ! ただの小娘が何しゃしゃり出て来てやがる」
「それは少し心外だな……一応、ただの小娘ではないんだけど」
不機嫌そうに呟くアイリス。
それをよそに殊更楽しそうに笑うケツアゴ。
「だったら何様だ? お子様か?」
アイリスは深くため息をついた。
さすがのお人好しでもこの阿呆が相手では尽くす愛想もあったのだろう。
彼女は腕をまくり、左肩の聖痕を見せつけながら嘯いた。
「僕の名前はアイリス・ホワイトフォード。天におわす父なる神より『勇者』の役目を仰せつかっている者だ」
このパフォーマンスは気持ちいいほどに効果抜群、てきめんだった。
アイリスが名乗り終えるなり、ケツアゴはまず目を丸くし、それから顔を青ざめさせながら縮み上がり、そして最後に頭を下げたのだ。
「こ、こ、これは失礼しました、勇者様! た、ただ今のご無礼をお許しください」
アイリスは据わりが悪そうに肩をすくめた。
「……分かってくれればいいんだ」
「もったいなきお言葉。勇者様の寛大なお心に感謝申し上げます」
イルヴェドは苦笑するしかない。
確かに権力に弱そうなタイプだとは感じたが、この手の平返しはもはや芸術的ですらある。
「ところで君は行商人だよね?」
と言いつつ馬車の荷台につかつかと歩み寄るアイリス。
すると何故かケツアゴが顔に焦りの色を浮かべた。
「……あ、あの。勇者様、出来れば商品に触れるのはご遠慮願いたいと申しますか……その、」
それとなく引き留めるケツアゴだったが、少々ご機嫌ナナメなアイリスは耳を貸そうとしない。
「──で、ですから、出来ればおやめ頂きたいと存じまして……あ、ああ」
アイリスはその哀願を無視して荷台にかかった幕を取り払い──、
──そして、絶句した。
まあ、無理もない話ではある。
というのも、檻で囲われた荷台の中は四人の少女たちが閉じ込められていたからだ。
軟禁されている絵面自体もなかなかにショッキングだったが、それ以上の衝撃的だったのは彼女たちの格好だった。
身にまとうのはかろうじて局部を覆う程度のボロ布で、首や手足には鉄の鎖が巻き付けられている。
その鎖の影響で身体のそこかしこに生傷ができており、見ているだけで痛々しい。
この商品から想起される職業はただ一つ。
「……奴隷商人って奴か」
未だ泡を食っているアイリスに代わってイルヴェドが発言をしたところ、ケツアゴ改め奴隷商人が決まり悪そうに「へへへ」と薄ら笑いを溢した。
そして、それを見たアイリスはより一層顔を歪める。
──まったく冷静じゃないのはどっちだよ。
発する雰囲気からアイリスの堪忍袋の緒が限界寸前であることを悟ったイルヴェドは、手遅れになる前にフォローを入れた。
「憤る気持ちは分からんでもないが、ストラティオンでは奴隷の売買は合法のはずだ。まあ、違法であるアルメリアでもイーストブルグみたいな例外もあるけどな。少し話が逸れたが、つまり俺が言いたいのは、こいつは勇者の仕事の領分じゃねえ、ってことだ」
アイリスは押し殺したような漏らす。
「……分かってる。分かってはいるんだ」
「だったらもう一度言う。こいつに関しちゃお前にとやかく言う資格はない。勇者は法律じゃない」
「そう、だね……うん、その通りだよ」
それを見て調子を取り戻したのか、奴隷商人は厚かましくもこんなことを口走る。
「こればかりはこの男の言う通りでございます、勇者様。奴隷売買はこの国では歴とした合法行為でして。ちなみに私は『ラムゼイ商会』という由緒正しき商人ギルドに属する、」
「黙れケツアゴ」
イルヴェドが遮ると、奴隷商人は素っ頓狂な声を上げた。
「け、ケツアゴ!?」
「アイリスの気が変わらねえうちにとっとと失せとけ。それとも自慢の護衛は勇者にも勝てるほど強いのか?」
少し脅してやると、奴隷商人は悔しそうにギリギリと歯ぎしりをしたものの、結局尻尾を巻いて馬車へと戻って行った。
イルヴェドの背後の方に一瞥をくれた後、護衛の剣士もまた主人の後を追う。
馬車が見えなくなってからも微妙な雰囲気に包まれ、しばらく会話が途絶えていたが、やがて沈黙に堪えかねたイルヴェドが口火を切った。
「しかし、よく我慢したな」
するとアイリスが同調をした。
「うん、本当によく堪えてくれた」
そして、イルヴェドとアイリスは同じ方向を見つめた。
「──同胞が奴隷として扱われているところを見るのはさぞかし辛いことだと思う。でもイルヴェドの言う通り僕らにどうこう出来る問題じゃない」
アヤメは相変わらず口を閉ざしたまま、目と首の動きでアイリスの言葉に応じる。
「だから、手出しするのは厳禁だからね。分かった?」
御意、とばかり頭を下げるアヤメ。
その顔はいつも通りに取り澄ましており、一見普段の彼女と変わらない。
──しかし、イルヴェドは見逃さなかった。
アヤメのこめかみが小さく、しかし何度も何度も痙攣していたことを。