勇者と盗賊
「とんだダークホースがいたものだよ。あのときの君は完全に気配が消えていた」
アイリスが嘆息するように言葉を漏らした。
「──正直君を戦力とは数えていなかったんだけど、この場を借りて謝罪するよ。とてつもない才能の持ち主だ」
「いくら褒めても何も出てこねえぞ。それに言ったはずだ。隠密行動と不意打ちは盗賊の十八番だってな。あれくらいは朝飯前だ」
「だとしたら僕は盗賊を舐めていたことになる。これを機に認識を改めないとね」
デスプリーステスの討伐から半日空けた夕方、イルヴェドはアイリスから誘われ二人きりで食事を取っていた。
他の面子は買い出しを理由に断ったそうだが、口実の真偽はさておき好都合であることに相違ない。
ラベンダーはともかくとして、いちいち突っかかってくるアランがいてはまともな会話にならないし、無言で佇むアヤメは同行されても単に不気味なだけだ。
正直サシでホッとした。
ただ一つ欲を言うならば、一応打ち上げなのだから出来ればいつもの酒場はご遠慮願いたかったのだが、いかんせんギルドの後ろ盾を失ったイルヴェドが選べる店は非常に限られる。
それで数少ない選択肢から色々比較検討した結果、この酒場に落ち着くことになったのだ。
「──何にせよ君には感謝している。危うくデスプリーステスを仕留め損なうところだったよ」
「礼には及ばん。俺は俺の復讐を果たしただけだ」
出されたのは豆のスープとオムレツ。
親の飯より見た食事だ。
奢られる立場で言うのもなんだが、今の気分も相まってまったく食指が伸びない。
「それでどうだい、手ずから仇を討った感想は?」
イルヴェドは回答に困って肩をすくめた。
「一言じゃ言えねえな。自分でも意外なくらいに複雑なんだ」
「……あ、ごめん。もしかして悪いこと聞いたかな」
「いや、そういうわけでもねえ。ちょっと説明しにくいだけだ……何つーかな、最初は義務だと、これは大義ある戦いだと思っていたんだよ。だけどな、」
「だけど?」
「あいつの心臓を抉ったときに、名状しがたい快感、というかカタルシスのようなものを感じて……それで気付いちまったのさ。『ああ、これは俺のエゴだったんだ』って」
「……そうだね。復讐というのはどう言い訳してみても利己的な行為であることを否定できない」
アイリスはなぜか神妙に頷きながらそう言った。
「まったくさ。だから今は絶賛自己嫌悪中ってところだよ」
一つ白状したところで、イルヴェドは豆のスープに手を付けた。
味は……相変わらずマズい。
「でもそれを認識するのが大事なんじゃないかな」
必要以上に真面目腐った顔でアイリスは続ける。
「認識するのが大事?」
「完璧な人間なんて存在しないからね。必ずしも正しいことだけで生きていくことは難しい」
「……勇者のお前がそれを言うか」
「勇者だから言うんだよ。ともかく、間違ったことをしているときに大切なのはそれが間違っていることだと認め、戒めることだよ。そうすればそれ以上は道を外さずに済む」
色々と考えさせられる言葉だった。
アイリスは気を遣って言ったのかもしれないが、手下を失ったばかりのイルヴェドとしては心に来るものがある。
とは言えそれを悟られたくなかったので、とりあえず「そういうものかね」とお茶を濁しておいた。
小娘にこれ以上慰められるのは癪だったし、何より他人から理解されるのが怖かったのだ。
互いにしばらく黙っていたが、沈黙に耐えかねたイルヴェドは逃げるように席を立った。
「ごちそうさん。俺はここらで失礼するよ。魔王討伐は大任かと思うが、せいぜい頑張ってくれ。じゃ、達者でな」
暇を告げて、手をひらひらと振る。
それからきびすを返すと──背中からとんでもない言葉が飛んできた。
「一緒に来ないか、ロクスリー」
イルヴェドは大きな溜息をついた。
懸念していたことが現実のものになった、という類いの溜息である。
驚いた、と言えば確かに驚いた。
しかしまだ短い付き合いではあるが、アイリスの性格ならばやりかねない、そんな提案をしてきてもおかしくはないだろうな、といった考えが脳裏を掠めるくらいのことはあったのだ。
「……寝言は寝てから言うもんだ」
けれどもその程度でアイリスは諦めない。
「僕は本気だ」
「自分が何言ってるか分かってるのか?」
「当然理解しているさ」
「だったら医者に診てもらえ。俺は盗賊、世間様の定義に当てはめれば立派な悪党だ。それを仲間にするとか正気じゃねえよ」
「君が悪党かどうかは僕が判断することさ」
──こいつはなかなかどうして頑固な女だ。
などと心中で悪態をつくイルヴェドだったが、実のところ、この申し出を受けてかなり動揺していた。
確かにイーストブルグは住み慣れていて便利だし、何だかんだ愛着も持っている。
一方で勇者の仲間として冒険するというまたとない提案をフイにするのは如何なものかと思う気持ちもあったのだ。
──いや違う。
それは己を騙すための方便だ。
包み隠さず語るなら──自分でもあまりに意外なことではあるが──現在進行形でアイリス・ホワイトフォードという一人の少女に惹き付けられつつあるのだと思う。
もっとも、これは恋愛感情なんていう綺麗なものではない。
そんな上等なものではなくて、もっと下品な──あえて表現するならそう、『興味』という単語が最も近いだろう。
純粋に見届けたくなったのだ。
アイリスの旅路と行く末を。
このうら若き少女が旅を通じて何を見て、何を思うのか。
何より、勇者というおよそ尋常ではない重責に押し潰されずその使命を果たせるのかどうかを知りたいと思ってしまったのだ。
──だって面白そうじゃないか。
ただ唯一、手下を無駄に死なせてしまったことに対する呵責が、錨となって胸を引きずったが、けれどもそれは別の発想が自由にしてくれた。
勇者と共に旅をすることが罪滅ぼしになるかもしれない、という発想だ。
──そうだ。俺が魔王討伐の旅に参加することで、無念を晴らしてやればいい。
ひとたび考えが固まってしまえば、言葉にするのは簡単だった。
「ま、こんなヘッポコ勇者をほっとくわけにもいかねえか」
言下にアイリスは顔から溶岩を噴火させた。
食ってかかってこようとするが、ギリギリのところで自制心が仕事をしたらしく、頬を膨らませながら抗弁をするに留める。
「君は随分と失礼なことを言うね。誰がヘッポコだって?」
「だってそうだろうが。昨日の戦いでお前は何か役に立ったか?」
ストレートに指摘してやると、アイリスは「うっ」と図星を突かれたように喉を詰まらせる。
「……いや、それは……その」
「ほらな。反論できねえ」
「あ、あんな罠さえなければ、上級魔族だろうと一捻りだったんだよ」
「ほう、それならこれ以上の仲間は必要なくねえか?」
今度は拗ねたように横目を向けてくるアイリス。
「……意地悪だね、君は」
「そういう性格なんだ」
「嫌な性格だなあ」
「嫌なら無理して仲間にしなくてもいい」
するとアイリスは呆れたようにふっと笑った。
表情の忙しい奴だ。
「……それでも一緒に来て欲しい、ロクスリー」
目の前に差し出されたのは細くて色白い一本の手。
イルヴェドはまじまじと見つめた後でその手を取った。
「イルヴェド、でいい」
「よろしく、イルヴェド。なら僕のことも、」
「そうだな、アイリス。こちらこそ世話になる」
固い握手を交わすと、二人は酒場を出た。
日はすっかり沈んでおり、イーストブルグの喧噪がより狂った熱気を帯びようとしていた。
イルヴェドはあまり好きではなかったはずのその熱気に、ふとノスタルジーのようなものを感じてしまった。
これにて第一章終了です。
ひとまずここまでお付き合いいただきありがとうございました。
書きためストックがなくなったので今後は週に一回から二回程度の投稿になるかと思いますが、今後も真相に辿り着くまでご愛読頂ければ幸いです。