それは、三度目の…
流星の先導で、元オークの巣だった場所までやってきた一行だったが、サリアの魔法と液体燃料で派手に炎を上げたこの場所は、その原形すら留めていない。
「中に入るまでもない。この分なら近いうちにここを崩しておくだけでも十分だな」
流星の目には、外側から洞窟内の様子を伺っても、黒焦げになった巣の残骸が残っているようにしか見えない。この分では、中に入ったとしても危険なだけで何も見つからないだろう。
「サリアどんだけ火力籠めたのさ」
「私はそんなに火力籠めてないから!えっとほら…多分」
サリアは、反論しようとするが、途中からその声は小さくなり、そのまま視線を逸らした。リオンからしてみれば、いつもの彼女の"悪い癖"が出てしまっただけだろうと察しながら苦笑する。
「あー…多分、液体燃料と魔法で想定以上に燃えただけだろうな、うん」
思わず助け舟を出す流星だったが、途中から面倒になり、サリアから視線を逸らしてほかの場所の探索を始めた。
「リオンにもその気遣いを学ばせてくださいよー…」
まだ、未熟な彼らを連れている以上、特に警戒するほどの魔物がこの辺りに住んでいないだろうが、最低限の警戒を怠るわけにもいかない。なにより、索敵を怠って敵の接近を許す情けない事は流星のプライドが許さなかった。
探索を始めて10分。
未だに弄られてコロコロと表情を変化させるサリアに苦笑しながら探索を続けていると、洞穴から少し離れた位置には、なにかを引きずるような痕が森の奥まで続いている。
「…これは?」
流星は、なにかが通った際に残された痕に眉をひそめる。
それなりの大きさのなにかを引き摺りながら持ち去った際にできたであろう地面に刻み込まれた痕跡。
「なんですかね、この痕?武器を引きずっていくような…」
昨晩戦ったオークたちは、それなりに連携もしており偽装工作もでき、村の戦力を測るために斥候を出すような知恵も持っていた。
斥候とは、つまりオークの本陣を出す前に送る偵察や警戒を行う仕事。
手馴れた変異体を送り込み、戦力の削られた村から出てきた残りの冒険者を斥候がジワジワと追い詰めていくような戦術を行えた相手。目の前の不自然すぎる痕を辿れば、待ち受けるのは、オーク…あるいは、別の何かだろうかと訝しむ。
「2人は先に戻ってろ。ここからは俺の仕事だ」
有無を言わせぬ流星の言葉に静かに頷き返すリオンとサリアは、目つきを変えて村への撤収準備を開始する。撤収準備を始める二人に手持ちの装備品のいくつかを預けて、ハルバードを覆う布を剥ぎ取り、外気にその刃を晒す。
日の光に晒されたハルバートは、鈍い光を刃から放ちその存在を主張する。
「スレイさん、気をつけて」
心配そうな視線を向けてくるサリアの頭を軽く小突いて、視線を森の奥へ向ける。
「サリア、俺の荷物を頼む。後、リオンは支部長によろしく言っておいてくれ」
「分かりました!僕らは、非常時に備えておきます」
「責任もって運ばせてもらいます!」
僅かに頼もしさを感じさせる二人に軽く手を振り、痕跡の続く森の奥へと歩を進めていく。進んでいくたびに何かが通りすぎた時に折れた枝や抉れた地面の痕が続いているのが、はっきりとしている。
「これは…大分めんどくさい事になってたりするのか?」
更に痕跡を追っていくと流星の索敵に何かが引っかかり、即座に身体が警戒態勢に切り替わる。
ガサッ。
音が響いた瞬間、限りなく地面と水平にうつ伏せになり、素早く自身の存在を隠蔽し、近付く脅威から身を隠す。自然を知り、調和する事で自身の存在を極限まで隠蔽すると同時に周囲の情報を自然から受け取る技術。
それが、流星の隠蔽術の基本だ。
「ナンノオトダ?」
「ドウシタ、ダレモイナイゾ」
どこか曇った様なオーク独特の喋り声が辺りに響く。
流星は、身丈が十分隠れるであろう林の中へとゆっくりと匍匐で移動して、声の主の様子を伺う。普段よりも甘くなっていた索敵に内心舌打ちするが、目の前のオークたちは、昨日戦ったオークたちよりも洗練、もしくは敏感のように感じさせる。
昨日までなら一筋縄ではいかないが、手元に握った獲物があればどうにでもなると僅かに口元を歪ませ、ハルバートを握る拳に力を籠める。流星には、ショートブレードよりも攻撃力の高いこの武器があれば、多少のリスクは無理やり回避できるという確信があった。
「キノセイカ?」
「オマエ、クスリノツカイスギダ」
雑談を続けるオークを這い蹲りながらやり過ごし、周囲を警戒しながらオーク達の後をつけて行く流星。
優れた肉体を持つオーク。
その聴覚は人並みだが、その音を判別するだけの知能が足りていない。そのため、人間よりも遥かに優れた肉体を持つオークだが、一度視覚から外れてしまえば隠れてその場を乗り切ることも容易い。
「キノウ、トナリノスガモエタナ」
「エルフノムラ…オソウニンズウヘッタ」
「アイツラツカエナイナ」
薬、エルフの村いくつかの単語から想像するにいくつかに拠点を分けて同時にエルフの村を襲う算段だったようだ。それにしても、オークの使う薬となると少々不味い事になるかもしれない。容易に想像出来る可能性にハルバードを握る手に力が入る。
オークの精製する薬と言えば、肉体強化薬。
その本質は、主に生存本能を増幅することで、耐久性や筋力を一時的に増幅させるブーストドラッグ。人間なら少量の摂取で廃人にしてしまう程の劇薬。
肉体的にも人間やエルフよりも強固なオークが使うことで、生存本能を刺激させ、一時的にその力を更に高めることができる。新人達の使う防壁程度ならば一撃で抜いてしまうだろう。
森を知り尽くしたエルフと言えど、薬で強化されたオークを前にしては、クマの目の前で吊るされたハチミツといったところだろうが、あまり面白い事態ではない。
流星は、早速面倒事かと内心舌打ちをしてしまう。
下手に人間が手を出すことで、余計なトラブルを招くことになるかもしれないが、交渉事にも優秀そうな参謀もいる。ここで、エルフに借りを作るのも悪くないだろうと結論付け、林に身を隠しながら移動を続けていると、ヒュッという風切り音が響くと同時に先頭を歩く1匹のオークの足に突き刺さる一本の矢。
その矢は、エルフとの戦闘に巻き込まれたことを意味する。
思わず勘弁してくれと内心呟きながら、手早く状況を確認すると自分の隠れている場所は、矢の放たれたであろうポイントとオークとの間で完全に板ばさみ状態にされてしまっている。
オーク達から少々離れたい位置から弓を使った狙撃をしたエルフは、森の中を疾走しながらオークに向かって矢を放ち続けている。どちらの勢力も刺激しないようにその場を抜け出すのは、少々厳しい状況だ。
「エルフダ!ツカマエロ!!」
周囲に散らばっていた薬で強化されたオーク達が、傷を負いながらも矢を放ち続けるエルフを徐々に追い詰めていくが、それを見越したかのように隠れていたもう1人のエルフが、強力な魔術を放つことでその数を減らしていく。
質で攻めるエルフと量で潰すオーク。
どちらも譲らない戦いを繰り広げているが、エルフ二人に対して、オークの数は、すでに十五匹を超えている。近辺にかなり大きな巣がある事を確信した流星は、醒めた瞳で目の前の光景を見守り続ける。
「ミリシャ、まだ!?もう、矢がもたない!」
「お姉ちゃん、まだ待って!」
透き通るようなエメラルドグリーンの長髪を揺らしながら、2人のエルフの少女たちは、果敢にも迫るオークに挑み続けるが多勢に無勢。質がよくても、圧倒的な量が僅かな希望も無残にひき潰して行く。
弓を使いオークを足止めしている姉の矢が尽きた時、オークに捕捉されてしまった姉は、抵抗する間もなく悲鳴を上げながら片手で持ち上げられてしまう。宙吊りになる形となった姉のエルフは、ずり落ちる服を片手で抑えながら、小さなナイフで必死に抵抗を続けているが、彼女の抵抗も無駄な足掻き。
ナイフを握る手をオークに軽く握られ、握力を奪われたその手から小さな希望は零れ落ちた。
「エリナお姉ちゃん!!」
「ナエドコ、ツカマエタ」
宙吊りにされた姉は、必死に全身を動かして、なんとかオークの拘束から抜け出そうとするが、その行為はオークを更に刺激し、数匹のオークが彼女の元へと迫っていく。布越しにそそり立つそれが彼女の恐怖を煽らせるが、妹の為に手の震えを握り締め、最後の気力を振り絞る。
「逃げなさいミリシャ!早く逃げて!!…こっちを見ないで 走って逃げなさい!」
捕らえられた姉を救おうと術を展開している妹に向かって強く叫ぶ。
これから行われるであろう行為から妹を守る為、自身に行われるであろう光景を妹に見せない為に姉は叫び続ける。
「お姉ちゃんを置いてはいけないッ!」
反論して術を編み続けながら闇雲に術を行使する妹にも徐々にオークが迫ってきていた。彼女に与えられた選択肢は、姉を救うか、術式を中断して逃げ出すか、自分も捕まるかの三択しか残されていない。
そう、あくまで少女には。
「それは見ちゃいられないな」
突如、エルフを捕らえていたオークを宙を舞うように回転するハルバードの凶刃が襲いかかる。肉体強化された身体と遠心力で破壊力を増したハルバートの無慈悲な一撃が繰り出され、滑るようにその胴体を引き裂き、着地と同時に腕を切断されたオークは、自分の身に何が起きたのかも理解できずに絶命する。
「っと、危ない危ない」
力を失った腕から零れ落ちたエルフを空いた片腕と身体でしっかりと受け止めて、エリナと呼ばれた少女を地に下ろす。
「に、人間がどうして…」
突然現れた人間に命を救われたエルフの少女は、困惑しながらもすぐさま自身の武器を探そうと辺りを探るが、大型の刃を持ったナイフは、崩れ落ちたオークの下敷きになってしまっている。
「それは、ここを切り抜けてからだ。とりあえず、武器がないならこれを使え」
エリナに自身のショートブレードを鞘ごと投げ渡すと同時に身体強化術式を走らせ、手近にいたオークとの距離を詰め寄り、ハルバードの先端を頭部に突き立てる。鋭い槍は、眼球を貫き、その先も抉っていく感触が手元に伝わるが、すぐさま手元に引き寄せ、そのまま斧部で叩き割るように頭部を破壊する。
「礼は言わないわよ、人間」
突然奪われた同胞の命と開放されたエルフの片割れに動揺するオークだが、すぐに体勢を立て直し、自分達の狩りの邪魔をする新たな敵へと襲い掛かる。
「お姉ちゃん大丈夫!あ、後、誰か分からないですけどありがとうございます!」
警戒すると姉とは、対象的に魔法を展開しながらも例を告げるミリシャと呼ばれた妹の態度に思わず苦笑しながらもオークを片付けていく。薙ぎ払い、突きたて、武器を絡めとり、ハルバートを自身の腕の延長のように扱いながら時に音もなく宙を舞いその数を着実に減らしていく。
「なんなら火を吐くような空飛ぶトカゲが追加で出てきてもいいぞ?」
狩場は逆転した。
足りなかった前衛の守りを流星が受け持つことで、劣勢であった状況は大きく好転する。元よりエルフの力を存分に振るうことができる森という環境と魔法の詠唱まで、確実に足止めすることができる腕前を持つ前衛。
生存本能を高めて耐久性の高くなったオークといえど、量を勝った圧倒的な質に勝てる道理もなく、次々にその数を減らし続け、森に静寂が訪れる。
「人間がエルフを助けるなんて、何の真似?」
背後から首元に自身のショートブレードを向けながら、ゆっくりと流星の正面に回りこむエリナ。彼剥き出しの敵意と探るような警戒心を見せながら、冷ややかな視線を送る彼女の姿にやはり、こうなったかと溜息をつきながら視線を返す。
「こっちに敵意はないから場所を移さないか?全部片付けたとは言え、暴れすぎた。この場に残ると次のオークが来る。話はそれからでもかまわないだろう」
「その時は、足を切り裂いて、この子を連れて逃げるから安心しなさい」
「エリナお姉ちゃん、助けてもらったのにそんなのダメだよ!」
非難するミリシャの意見にどこか渋るような表情を見せながらもエリナは、自身の意見を崩さず、ショートブレードの刃を流星に向け続ける。
「いくら妹の頼みでも、これは譲れない。人間が私達にした仕打ちを考えたら当然の事よ…」
エメラルドグリーンの髪に似たその瞳から、静かな闘志を感じさせる彼女の過去に何があったのか分からないが、このままの状態では、埒が明かないだと判断した流星は、素早く行動を移す。
「なら、こうするまでだ」
左手に持ったハルバードを投げ捨てると同時に左足を軸に身体を僅かに屈ませて、ショートブレードの根元を右手で掴み取り、彼女の行動を拘束する。肉が裂け、血が滴り落ちることも躊躇いもない流星の行動にエルフの少女達は、驚きを見せる。
「は、離せ!」
根元を捕まれてまったく動く気配のないショートブレードを必死に動かそうとするエリナ。流星は、そのままショートブレードをひねり取り、ハルバードの落ちた傍まで放り投げる。
「武装解除だ。悪いが、俺もこんな場所でやられるつもりはない。場所を移してくれないか?」
「っ――」
肉が裂け、滴り落ちる拳を突きつけた少女達は、思わず口を閉ざしてしまう。
正気なのか狂人なのか分からない突然の行為。
オークを目の前にした時に感じた生理的険悪感による恐怖よりも圧倒的な強者を目の前にした恐怖や緊張感が二人を包んでいく。強気な表情を崩さない流星に対して、少女達は緊張した面持ちで口を開いた。
「…わかったわ。一旦、安全な場所まで案内する」
「あぁ、この状態で連戦なんて御免だぞ」
強気な表情を崩し、苦笑いをしながら左手で武器を拾う姿。
少女達には、自分達を硬直させるだけのプレッシャーを放った人間と本当に同一人物なのかと顔を見合わせながら困惑してしまうが、その場を離れるために手早く歩き出した。
「あの、手の怪我は大丈夫ですか…?」
流星の隣に来て赤く染まった右手を心配そうに見つめる。折れない姉を動かすために自ら負傷した命の恩人に対しての罪悪感が、逸早く彼女に行動させた。
「まぁ、見てな」
そんな彼女の行動に苦笑しながら、水筒の水を使って血を洗い流した後に乾いた布で拭いとり、彼女に右手を見せ付ける。
「この程度なら自前で直せるから大丈夫だ」
少女に見せた右手の怪我は、すでに塞がっていた。