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とある城主の最後の主命は

作者: マビ



 大勢の大人が彼の表情を覗きこんで様子を伺った。たくさんの眼はその子どもが大人と同じように考え大人と同じように行動することを望んでいる。


 我らが御大将。


 我らの若様。


 この大局をどう見るか。


 この小さき背中に我らの子孫の命運は託されている。





「子どもではいられなかった。子どもではなく、この城の将でいなくてはならなかった。」

「そう、」

「だから、」

「あなたを、」



「あねうえ。」











 それまで己のものであると思っていたすべては自分のものでは無かったのだと知った。


 父が倒れ母が倒れわたしを後見する者が居なくなり、お飾りの姫は御免無用、そういうことなのだろう。閉じ込められた部屋でわたしはじっと膝に揃えた両の手を見つめていた。この手で掴んでいると思っていたそれは一体何であったのだろう。矜持も誇りも、所詮与えられたものであった。


あねうえ。


 月を経る毎に変わってゆく弟の顔は、面影を残してはいても別人のようであった。ああ、こうして少年は男になってゆくのだと思ったのは彼の声が突如様変わりした時である。


あねうえ、そこは暗くはありませんか。寒くはありませんか。どこか痛いところはありませんか。


 そう聞く弟はどこまでも優しく、愚かで、愛おしかった。

 わたしは泣き虫で意地っ張りで短気で、良い姉ではなかったけれど精一杯の強がりを言う。


だいじょうぶ。ここは暗くもありませんし寒くもありませんし、痛いところなどほんのすこしもありませんよ。


 嘘だった。そこは暗くて寒くて、体中が冷えて切傷のように痛い。それでも嘘を吐いた。ここへわたしが閉じ込められているのは、まぎれもなく弟の所為であったから。

 結婚にでも使ってさっさと城の外へ出してしまえば良いものを、そうしなかったのはきっと家臣どもがわたしを恐れたからである。よもやこの城から引き離した恨みで嫁ぎ先共々我らを喰らおうと画策するのではないか。あるいは弟君を唆して我らを廃するのではあるまいか。政治を知った姫君を持て余したのでろう大人の都合だということを弟は理解していた。だからこそ、わたしを気遣ったし、逃がそうともしなかった。それがまた愛おしく、わたしは逃げようなどとはほんの少しも思わなかったのである。





 若い城主が戦で亡くなり城に火が放たれたのは、弟の顔を格子ごしに見るようになってから長く経ったある日のことである。地下の牢に何年も囚われた女が1人、誰が助けに来る訳でもないだろう。このまま城と共に死ぬのかとぼんやり考えていた頃に、一人の忍びがやってきて、牢をぶち壊して、笑った。


逃げるぞ。


 そう言ってわたしを抱えて走りだした。わたしは燃えるかつての居城を、その忍びの肩からぼんやりと見ていたのである。


 そうして『忍の里』に辿り着いたのは、17の時であった。屋敷の主は今は世を忍ぶご隠居さまで、忍びはその主を「御館様」と滑らかに呼んだ。忍びは冗談めかして今からでも忍びになるか?と笑って尋ねたが、御館様は無言で首を振った。この子が今から忍びになるのは無理だ。わたしに必要だったのは十分な栄養と十分な休養、それから安心できる暖かな寝床だった。


 御館様は骨ばったわたしの手を取り、言った。この家で人を愛しなさい。そして人に愛されなさい、と。


 わたしは人に精一杯、優しくしてあげたいと思った。

 あの優しくも愚かで愛おしい弟がわたしにそうしてくれたように、今度はわたしが。


 御館様はこうも言った。親元から離れている子どもたちを、めいいっぱい甘やかしてやって欲しい、と。ここは裏を知りすぎたものばかりが集まる屋敷だから。その中でどうか、あの子たちが帰りたいと思えるような暖かな場所を、と。


「もちろんお主もそうじゃ。ここがお主にとって帰るべき場所になるよう、しかと励めよ。」



 そう言われて、泣いてしまった。

 ああ、弟よ。優しくも愚かで愛おしい、今は亡き弟よ。

 今なら分かる、どれだけあなたが偉大であったか。

(あねうえとわたしをよぶ声はあまく、すがるようであった)














 



 若き忍びはかつてこのぼろぼろと涙を流す女の子の父君と母君、弟君の守り刃であった。

 女の子には知らされなかったことであるが、彼らは彼らの腹心たる1人の男に殺された。それを知るのは今となっては自分のみ。


 若き忍びは男に顔を見られて、主の御子によって逃された。

 逃げて、逃げて、逃げて、この屋敷に匿われた。


 そうしてようやく仇の居る城へ戻って来た時にはもう、己を逃した少年は仇によって斬られていた。


 忍びは仇の首を刀の一振りで落として、城に火を放った。


 それが若き城主の、忍びの主の、最期の主命だったからである。



「お前。どこの忍びか知らぬが、おれはもう死ぬだろう。頼みを聞いてくれぬか。」

「何でしょう。」

「地下牢の姉上を助けてくれ。この城に火を放ち、全て燃やし尽くしてしまえば、姉上を探す者も居なくなろう。」

「・・・・・・。」

「この男は、あねうえをずっと探していたのだ。おれは隠すことでしかまもれなかった。この男をころしては、くにが、かたむく。」

「・・・・・・。」

「だが、もう、良い。あねうえをがいするものはない。あねうえ、あねうえは、ようやく、じゆう、に、」

「・・・・・・死ぬのか、頼政。」

「あぁ、ようやく顔が見えた。・・・お前だったのか。ならば、ちょうどよい。あねうえを、おまえ、どうか、しあわ、せ、に。」

「頼政。」

「あねうえ、を。」

「頼政、俺は、お前の姉姫を助けよう。安心しろ。お前の刀はお前の姉を生涯守る。お前の姉が、傷付かぬように、その一生を。」

「そうか・・・・・・・ありがとう。」


あねうえ、あねうえ、あねうえ。ごめんなさい。ごめんなさい。

だけど、もう、きっときずつかなくていい。

もうあのつめたくてくらいところにいなくてもいい。


あねうえ。


あねうえ。



 うわごとのように繰り返した弟は、やがてゆっくりと瞼を閉じた。眼の端から涙が零れ落ちて、その腕から力が抜けたのを、忍は確かに見届けた。


 頼政が姉姫を隠したのは、父と母の仇が姉姫を邪に想い、手に入れようとしたからだ。

 子を成し、頼政を殺せば、実権を握れよう。

 けれども、それより、何より、頼政は姉姫が10にもなった頃から男が姉姫を見る眼が醜悪であることを知っていた。

 

 だからこそ、姉を隠したのだ。


 男が姉を手に入れようと探し始めたのを知っていた。

 頼政は、姉姫を差し出すことなど出来なかった。できなかった。


 この城の主として以上に、たった1人、あなたの弟として。


「よりまさ。」


 姉が自分を呼ぶ声の、何と頼りないことか。 


「だいじょうぶ。ここは暗くもありませんし寒くもありませんし、痛いところなどほんのすこしもありませんよ。」


 嘘を吐く声は凛としていても、日に日にその腕はやせ細る。


「よりまさ。だいじょうぶ。だいじょうぶよ。」






 うっすらと開いた眼のぼやける視界で忍びが背を向けて地下牢へ一目散に駈け出したのを見届けて、頼政は眼を閉じた。





 あねうえ。もうだいじょうぶ。

 わるいやつは、おれのしのびがやっつけたから。


 だいじょうぶだよ、あねうえ。

 もうつよがらないで、ないていいんだ。




 だって、あねうえ。おれのしのびは、なきむしなあなたがないたって、おこったことなんてなかったでしょう。


 おれのしのびは、あなたのことがすきだから。

 きっとあなたがどんなにいじをはっても、おこっても、ないても、わらってゆるしてくれるよ。





 あねうえ。 だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。

 もうだいじょうぶだよ。


 




とある城主の最後の主命は、たった1人のおんなのこのしあわせ。

それは言われるまでもなく、忍びの大事な使命であった。


だって、女の子の小さな手が忍びの指を握り締めた時から、忍びはずっと同じことを願ってた。


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