薬師ののんびり旅紀行 六話
朝起きて。
私は顔を洗って口を漱いで、一階に降りると軽く朝食を済ませた後に、小銭入れを首からぶら下げて懐に入れて観光へ出かけることにした。
なんで小銭入れを首からぶら下げるのかというと、それはスリ対策よ。
今日は王都の大通り以外にも、掘り出し物がないかいろいろ探そうと思っているから、裏通りにも少しだけ行ってみようと思うのよね。
本当は行かないほうがいいのだけれど、隠れた名店っていうのは、裏通りにひっそりと、こじんまりとした店でやっていることが多いの。これはおばあちゃんが言っていたんだけどね。
だから、少し危険だけど、護身用におばあちゃんから渡された短剣を忍ばせて、私は気配に気をつけながら裏通りへと入っていく。
まあ、素人の私が気配をいくら気をつけたところで、プロの悪人にはなんの対策にもならないんだけど。ただの気の持ちようというかなんというか、あれね、気をしっかり持っていれば、急な何かが起きたとしても、少しは頭を働かせて逃げるなりなんなりできるだろうっていう、それね。
いくら短剣を持っているからといって、私はそれで応戦するような馬鹿じゃないわよ。
そんなことをしたら捕まって売り飛ばされるか、殺されるかの二択だもの。
だから、逃げるきっかけさえ掴めれば、それでいい。
最悪、自分の身になにかが起きようものならば、自決だって厭わない。そのくらいの覚悟を持っておかないと、こんな裏路地や、もちろん、旅にだって出れっこないのよ。
話が脱線したわね。
とまあ、私はそんな隠れた名店を探しているのだけど、でも、やっぱりそういうところって中々みつからないわけで。
気づいたらすでにお日様は真上。
お腹が空いてぐーっと鳴った。
「もう少しだけ探してみようかしら」
なんとなく空を見上げて視線を横へ落としていくと、煙突から煙がもくもくと流れているのが目に入った。
普通の煙ならばなんでもないように見過ごすんだけど、それは違かった。
緑色をしていたのよ。信じられる? 煙が緑なんて。これはなにかあるはずよ。
私はその緑の煙の出所へと小走りで向かう。
だけど。
そんな時に限ってよくないことって起きるものなのよね。
「へっへ。穣ちゃんこんな危ないところで何してんだ。いけないことでもしようとしているのかなあ?」
「しようとしているのは、そっちでしょ!」
私はそう言うと、近場にあった木箱を倒そうとした。
お、重い!
小説なんかじゃこういう時って木箱とか倒して道を塞いで逃げたりするけれど、現実は上手くいかないものなのよね。
なんて考えてる場合じゃなかった。
ひとまずは来た道を逃げた方がいいわよね。私は転ばないように、でも全力で疾走する。時々かくんと膝がなるけど、こんなところで転んだりしたら、追いかけてくるあの悪人に捕まってどうにかされちゃうに決まってる。
あの悪人面が実は道案内をしてくれる善人でした、なんてオチがあるわけもなく。
「おら待てやコラ!」
悪人はそう言って私を捕まえようと追いかけてくる。
はあ、はあ、はあ。
どのくらい走ったのかしら。
あの悪人の足音はまだ聞こえてくる。どんだけ執念深いのよ。私なにも悪いことしてないでしょ。
もうそろそろ私の俊足もだんだんと失速していくのが自分でもわかった。
ああ、こんなところで捕まってしまうんだ。荷物の大半は宿屋にあるから、身一つで済んだけど、その身ってのが一番大事だってのに。やっぱり裏路地になんて入るんじゃなかった。そう思った時。
あれ!?
あの人。
あの男の子。
私、知ってる。ポーション三つ渡した男の子だ!
横目に男の子を見ながら私はそれでも止まらない。走って、走って、走り続けるのみだ。
男の子は私を見ようともしない。きっと、自分には関係ないから、しらない振りをするんだ。なんて薄情な奴。私は三つもタダでポーションを渡してあげたってのに。
キッっとすれ違いざまに睨んで、私はこけそうになるながらも汗だくで走る。
「うごぅお!」
後ろで何かの変な動物が潰れたような声がした。
振り返ってもいいかしら。でも、まだ追いかけて……こない?
足音が聞こえない。
私はばっと後ろを振り返った。
「あ……っ」
見ると、私を追いかけていた悪人が、男の子の前で派手に転んでいたのだった。
私は男の子を見る。
すると、それに気づいた男の子がひらひらと手を振って、にこっと笑った。その様子はすごく余裕があって。なんだかもう逃げなくても大丈夫なんじゃないかって、そう思えるくらいの安心感があった。
「か弱い女の子を追いかけるなんて、大人のすることじゃないよね」
「っのガキが……っ!」
「僕にはちゃんとした名前があるんだけどなあ。ねえ、聞いたことある? 鮮血のアグニってさ。……血飛沫あげたいなら手伝ってもいいけど?」
「せっ、鮮血の!? ま、まさか……」
「ふふ。まさか、なにかな?」
「ひっひい!」
悪人はそう言うとただひたすら逃げることしか頭にないって感じで、要するに、背中ががら空きで走って逃げていった。
なんだったの。
話し声が小さくて、私にまで聞こえなかったけど、男の子がしゃがんで悪人の耳元で何かを呟いたら、顔色が青くなったってことはわかったんだけど。
きっと、私には聞こえないようにわざとそうしたんだろうけど、なぜかすごく気になって仕方がなかった。
「ありがとう。助けてくれて」
「いや。君こそ大丈夫? 怪我とかはないかな」
「うん。大丈夫。それよりも、あなた、あの時の人だよね。レンブルトンで大蜥蜴の……」
「ん、ああ。そういえば、そんなこともあったかな」
なんだ。どうやら私のことはすっかり忘れさられてたみたいね。私は覚えてたから、ちょっとがっかり。
あ、だからといって、男の子がカッコイイから好きだとかそんなんじゃないからね?
ただ、三つのポーション代のことが気になって……。でも、それも今回のでチャラかな。ううん。それ以上だよね。どう考えても。
「お礼、させてもらえる? じゃないと私の気がすまないの」
「別に構わないんだけど、それで気が済むのなら」
「ありがとう」
やった。
なんとか次に繋げられたわ。……深い意味はないからね。
「じゃあ、私の泊まっている宿屋でどうかしら。ちょうどお昼時だから、なにかご馳走するわ」
「それはいいね。後腐れもないし、いい提案だ」
なんだか。
なんだか私、あまりよく思われてない?
少しショックだけど、裏路地なんて一人で歩いてるんだもの、危機感のない馬鹿な子って思われてても仕方ないのかもしれない。なんとか汚名返上しないとね。
そう思いながら、私とその男の子、あ、名前まだ聞いてなかった。
「私はユーリィ・アスコットっていうの。あなたは?」
「僕はアグニ・レイドット。鮮血のアグニって通り名持ちなんだけど……、君は知らないみたいだね」
「ごめんなさい。私、通り名には詳しくなくて」
「別に構わないよ」
「あ、そうだ。ポーションは役に立ったかしら。レンブルトンで渡したやつ」
「ああ、あれ。うん。ちょうど僕が畑に着いた時に、怪我してた人が一人いてね、その人に使った。ありがとう。すぐに効いたおかげで何事もなく終われたよ」
「そうなんだ、よかった」
そっか。アグニは使わなかったのね。いえ、使わなかったってことは怪我をしなかったってことだから、とても良かったのだけど。
でも、最初はとても良い人なのかと思ったけど、アグニって以外と怖いのかもしれない。
だって、鮮血のアグニっていうくらいだから。
鮮血よ? 血をよく吹き出させているのよね、きっと。でも、それはさっきの悪い人用であって、普通の時は、今みたいに少しだけとっつき難いだけなのかも。
だから、私は怖がる必要なんてないんだわ。うん。
この再会がどうなるのか、まだ私にはわからないけれど、良い方向へ向かってくれるといいな、とその時の私は思った。