薬師ののんびり旅紀行 五十七話
「構うなってこと? 俺に帰れってそう言ってるんだよね」
「そうじゃないけど、最後の意思確認っていうか」
「意思確認? 今までずっと一緒に旅してきて、わからない? 俺はユーリィを自分で選んでここにいるんだ。始めのきっかけは祖父さんに言われてだけど、それだって俺に選択肢があった。今まで生きてきた中で俺はいつだって自分の意思で行動してきたんだ。そんなこと、ユーリィだってわかってるだろ」
「それは、そうだけど。でも、私とこのまま一緒にいたら、アラリス教の神殿騎士が探してるかもしれないし、もし見つかったらまた巻き込んじゃう」
「そんなの構わない。俺は好きでユーリィのそばにいるんだ。それともそんなの信じられない?」
「信じてる。だけどそれとこれとは別で」
「同じことさ。どっちにしろ俺は帰らないよ。ユーリィが逃げ出したくなっても放さない。ずっと閉じ込めて、嫌だっていっても君が逃げ出そうとするなら足を切る。這い蹲って逃げようとすれば腕も切る。俺が嫌いだというなら、その喉元を断ち切ってあげる。そうして君は俺から逃げられずにずっとそばにいるんだ。永遠に、逃がさない」
アグニが剣を抜いて近づいてくる。
私はなぜかそれがすごく怖いのと同時に、嬉しいという気持ちも溢れてきて、なんだかよくわかならくなってくる。
私が一歩下がるとアグニが一歩前にでる。距離を保ちたくてまた下がれば、アグニはまた前に出て距離をつめてくる。
どうしたらいいんだろう。やっぱり聞いたのが間違いだったかな。私の聞き方がまずかった?
「待って、アグニ。剣を戻して」
「そうしたら走って逃げるだろう。ああでも、ここは島だから、舟を出さないと逃げられないね。くす。追いかけっこでもする? 俺が狼で、君が逃げる羊。君の体を切り刻んで、残さず食べてあげるよ。どんな味だろうね? 試にその腕、齧らせてよ。食い千切ってあげるから」
「やめて。止まって」
「ああでも、血が噴き出すから勿体無いか。なら、タンクに君の血も保存しておかないとね。毎日飲んであげる。そうして君を全て食べ尽くせば、俺と君は一つになれる。こうして離れていることもできない。それってとっても素敵なことだね」
どこか恍惚とした表情で、そう言うアグニはどこかが壊れてしまったかのように見える。それに、あの目は本気だ。獲物を狙う捕食者。
ここで逃げ出したら、本当に実行する。
でも、待って。そうじゃないの。私は逃げない。本当は心の底からアグニと一緒にいたいんだ。この話を出したのだって、ずっと一緒にいられる確約が欲しかったからであって。だから、だから。
「アグニ」
「なに。逃げるのはやめたの」
「私を食べたいなら、食べて」
一瞬アグニが動揺したように見えた。私は一歩前に出る。
「ごめんなさい。不安になるようなことを言って。私が悪いの。でも、ただ言葉が欲しかっただけなの。アグニとずっと一緒にいられる言葉が。言ってほしかっただけなの。ごめんなさい」
ポタポタと涙が零れて床に落ちる。私があんなことを言ったから、アグニを不安にさせてしまったんだ。だからそれを怒りという表現で私に示してるんだ。
ひどいことを聞いたよね、私。
私だってアグニにそんなこと言われたら、きっと悲しくて、辛くて、寂しくて。どうすればいいのかわからなくなる。
「ごめんなさい。アグニ。私のそばにずっと居てくれますか? たとえ他に好きな人ができたとしても構わない。私はあなただけを好きだから。この気持ちを失いたくないから。だから、一緒に居させてください。私と、結婚してくれますか」
アグニは目を大きく見開いて私を見る。
駄目だっていわれたらどうしよう。私より可愛くて綺麗な人はたくさんいる。そんな人がアグニにアプローチしてきたら、今のアグニの気持ちだってぐらつくかもしれない。
だけど、私はアグニしか好きになりたくない。私はアグニが欲しいんだ。アグニが好きだから、離れたくない。誰かが引き剥がしにきても、そばを離れない。
アグニのことが好きだから、誰にも取られたくないなんて子供じみてるよね。だけど、この気持ちはなしになんてできないよ。
私は答えが怖くてぎゅっと目を瞑った。
「ユーリィ」
剣が落ちた音が部屋に響いた。
顔を上げると、アグニが目の前に居て。
「俺の方こそごめん。君が離れていくのが怖くて殺そうとした。逃がさない為に足の腱を切ろうとした」
ぎゅっと抱きしめられて、耳元でアグニの声が聞こえた。
「俺と、結婚してください」
すごい力でぎゅっと抱きつかれて、ものすごく苦しいけど、だけど、今の言葉。
いいの? 私で。
「私、離婚なんて絶対にしないからね。死んだらアンデットになってでもそばにいるからね。それでもいいの? 他に好きな子ができても離れないよ。それでもいいの?」
「ユーリィ以外の女なんて知るもんか。俺はユーリィがいい。君だから好きになったんだ。毎日君の声を聞いて、喜怒哀楽も共に分かち合っていきたい。君と一緒に生きることが俺の全てなんだ」
「アグニ……」
すごく嬉しい。私はアグニの背中に腕を回して、同じくらいきつく抱きしめ返す。このぬくもりをずっと感じていたい。
お父さんとお母さんも、今みたいに思って、大聖堂を出て駆け落ちしたのかな。きっとそうなら。私、愛されて産まれてきたんだよね? そう思っても、いいよね。
アグニの隣が私の居場所。
ものすごくほっとした。ここが一番安心できて心地よい場所。私の居場所なんだ。
「あなたと結婚します。アグニ」
「ユーリィ……。ありがとう」
私は今とても満たされている。
これから先なにがあっても乗り越えられるような気がした。
「怖いこと言ってごめん。だけど、俺は本気だから。君を放したくないんだ」
「ううん、いいの。怖かったけど、どれと同時に、こんなに求めてくれるのがすごく嬉しいの」
「ユーリィ」
「ん?」
「好きだ。愛してる」
「私もだよ。大好き。アグニ」
抱きしめる力が少し弱まる。私は顔を上げるとすぐ目の前にアグニの顔があって。とてもとても、割れ物をそっと扱うような、そんな優しい口付けをした。
その日はベッドは二つあったけど、二人で居たくて同じベッドで眠った。なんだかとても幸せな夢を見た気がする。
おばあちゃんと、お父さんとお母さん。それにお祖父ちゃんに見守られて、真っ白な建物で、真っ白なドレスを着た私を待つアグニ。私はそんな彼の元へ少しずつ歩み寄って。神父様の前で永遠の愛を誓う、そんな夢を見た。
朝起きたらいつもならすぐに顔を洗うんだけど、その日は夢の余韻に浸っていたくて、しばらくぼーっとしていた。
これが予知夢ならどんなに素敵なことだろう。私は一人くすりと笑って、まだ寝ているアグニの額にそっと口付けを落とした。
「やばい。ちょっと今のは不意打ちすぎる……」
「わ、起きてたの?」
やだ。なんか恥ずかしくなってた。
私は赤くなった顔を隠したくて毛布を頭から被る。だけど。
「おはよう。君の顔が見たいな」
そんなこと言われたら、出るしかないじゃない。
「おはよう、アグニ」
柔らかな微笑を浮かべているアグニは蕩けるような甘さで。そんな彼に答えたくて、私も自然と笑みがこぼれた。




