薬師ののんびり旅紀行 四十四話
一日中のうちに、何とか国境を越えられてたみたい。
少しずつ生えている木々も変わってきた。大きめな葉っぱの気が増えてきたの。
「もう完全にイングラスに入れたみたいだな」
「うん。こっちって暖かい気候で、雨も多いって聞いたころとあるけど」
「ああ。もう一、二日進んだら気温も上がってくるだろうね。けど、スコールがあるから、多少暑くても、外套は外さないこと。それと、この塗り薬を全身に塗っておくといいよ」
「これは? 初めて見るけど」
「それはイングラスでしか使わないからね。ヒルを寄せ付けなくする薬なんだよ」
「ヒル?」
「そう。ここからもっと進むと、生き物の血を啜る虫がいるんだ。そいつらが嫌う葉をすり潰して練りこんだものなんだ。それを塗っておけば、ずっとマシになるはずだよ」
ヒル。そんな虫がいるんだ。初めて聞いたわ。しかも血を啜るって、なんだか吸血鬼みたいね。どんな見ための虫なのかしら。少し興味が湧いたけど、虫って薬の素材にするもの以外はあまり好きじゃないしなあ。
そんなことを考えつつ二日、三日と歩き続けてとうとう私はそのヒルとご対面することになった。
「なんか、変」
「ユーリィ?」
「……何かしらって、うえ! なにこのうにゅうにゅした気持ち悪いの! やだやだアグニとって!」
「ああ、これはヒルだね。……よし、と。他はどこかある?」
私の太腿から取ったヒルを指でプチンと潰したアグニ。よく触れるわね。というか、これがヒル。グロイ。なんかぬめぬめするなって思ってたら、血が出てる。いつの間に吸われたのかしら。
「……? あれ。……あ、大丈夫か」
「どうしたの?」
「ううん。大丈夫。ヒルかと思ったけど違った」
少し治りが悪かったけど、ちゃんと傷口も消えたみたい。私は血を拭い去って、他にもないか探してみる。だけどその一匹だけだったみたいで、他に血を流しているところはなかった。
「ねえ、ヒルって、何か毒とか持ってたりするのかな」
「いや。そんなことは特にないけど」
「そっか。ならいいか」
じゃあ、きっと血を多く啜るために、血が固まらないようにするなにかの分泌液でもあるのかも。きっと普通の人ならもう少し流れてると思う。
私はヒルに血を吸われてからは、全身を服で覆って、袖口も紐でしばって、首周りにはタオルを巻いてヒルに吸われないように対策をした。
そのおかげか、その後からは一度も据われないで四日目が過ぎた。
それにしても暑い。ヒルのせいで脱げないから汗だくだわ。お風呂に入りたい。スコールに数度あったけど、撥水加工の外套で雨をしのいでたし、顔くらいしか洗えなかった。
ベタベタする全身をすぐに洗い流したいけど、まだまだモルストには着かなくて。アグニの話では、海沿いを歩いて、そのまま南下していけば、右側に港が見えるそうよ。
「あとどのくらいかしらね」
「そうだな。このペースならあと一日程で着くと思うよ」
アグニは過去に三回この森を同じように通ってモルストまで向かったことがあるんですって。
修行だ! っておじいちゃんに森の中にぽいってされたんだとか……。
頑張ったのね、アグニも。私も修行という名目で、素材集めのために森の中を彷徨い数日を過ごさせられたことがあったなあ。
「なら、もう少し頑張る。お風呂に早く入りたいもの」
「たしかに。全身汗まみれだから蚊も寄ってくるし、うっとうしい」
「うん。今度は街道をちゃんと歩いて旅したいね」
「同感」
道なき道を行くって本当大変。自分で草木を切り倒したり、避けたりしながらじゃないと駄目だし、そんなだからペースも上がらないしで、ヒルや蚊もいるし。この国にはあまり長くいたくないわね。
それと、アグニとおじいちゃんには悪いけど、私、イングラスの国とクレスメンの国があるこのクイラス大陸では、お店は開かないことにするわ。
でないと平穏に暮らせそうにないし……。追われる生活なんてしたくないものね。
そうして、そんなことを考えつつ、やっともう一日が経過した。
「あ! あそがそう?」
「ああ。あれがモルストだよ。この分昼過ぎには到着できるんじゃないかな。もう少しだ。頑張ろう」
「うん」
最南端に着いて、今度は海沿いを右に進む。その先に今は少し小さいけど、港街が見えた。
それからはまず、上着を脱いで軽装になった。
時々、潮風がふいて気持ちのよい波音とで、疲れているからか、それが子守唄のように聞こえてきて、眠気が襲ってくるようになる。
早く街に着きたかったけど、砂浜は歩きにくくてしっかり歩かないと転びそうになるし。でも、森の中よりはずっとマシで、私達は海水で水遊びもしつつ、濡らしたタオルで体を拭いて汚れを落としてから、ようやく港街に着いた。
「はあ。やっと着いたー!」
「お疲れ様。後もう少しだけ頑張ろう。宿屋を探さないと」
「そうだね。そしてお風呂に入らないと!」
「ああ。じゃあ行こうか」
お風呂だ。やっとお風呂に入れる! 私は小躍りしたくなるのを我慢して、アグニの後をついていった。
値段的にも中級の宿屋をとることができて、さっそく私はアグニには悪いけど、先にお風呂に行かせてもらうことにした。だって、本当にもう我慢ならなかったんだもの。
汗だくで臭くてそして潮風で更にベタついて。
温泉があるというこの宿を選んで正解だったかも。体を洗った後にはいった露天風呂は、それはもう良い景色で、風呂から海が見渡せるようになっていて、すごく開放感があって心地よかった。
「ふわあ……。気持ちいい」
このまま寝てしまいそうになる。だけど何とか我慢して、私は旅の疲れを癒す為に体を自分でマッサージする。そうして一通り終わったら、髪の毛も洗ったし、ぽかぽかにもなったしで、部屋に戻ることにした。
「お待たせ、アグニ」
「さっぱりした顔してるね。よかった」
「うん、それにすごく気持ちよかったよ」
「そうなんだ。じゃあ俺も行ってくるよ。誰かしらない人が来ても開けちゃ駄目だからね」
「わかった」
まったくもう。子供じゃないんだから大丈夫よ。過保護ね。
風呂から上がった私は水差しからコップに水を移して、ゴクゴクと水を飲み干す。はあ、生き返る。
着替えもしたし、ちょっとベッドに横になろう。
なんだかすごく疲れたわ。
ちょっと、のはずだったけど、いつの間にか私は熟睡していたみたい。
だって、気づいたら朝だったんだもの。十六時間以上は寝ていたかもしれない。あの五日間は野宿だったし、こうしてベッドの上で眠れることの幸福感。いつまでも味わっていたいものよね。
だけど、すぐ隣で私の腰に腕を回して眠っているアグニを見て、私はゆっくり静かにその腕から抜け出して、心臓のどきどきを抑えるのだった。
今日からは迷宮に行くのよね。
私は探検目的で中に入るのは初めてだから、ちょっと楽しみなの。だけど、ついでになにかの素材は欲しいわよね。ここ数日は薬とか作ったりしなかったから、何かを作りたくってうずうずしてるし。
あ、あと。商業ギルドにも顔出ししておかないとね。ついでに迷宮内での販売の許可も貰っておこう。もしかしたら、薬が切れてる冒険者がいるかもしれないものね。




