薬師ののんびり旅紀行 三十九話
そうして翌日。
神官たちが朝のお勤めをしている間に、聖水を汲んでしまおうということで、私はメイドさんに、赤髪のウィッグを着けてもらって、お化粧もしてもらった。できるだけ、お母さんの面影がなくなるように。
「すごく綺麗だよ、ユーリィ。とても似合ってる」
「本当? どこも変じゃない?」
「ああ。いつものユーリィは可愛いけど、今は綺麗って言ったほうがしっくりくるかな」
アグニがそう褒めてくれて私は頬に少し熱を感じる。
好きな人にそう言ってもらえるのはすごく嬉しい。可愛いって言われるのも嬉しいけど、綺麗のほうが、なんとなくだけど、大人の女性に近づいたような気がするの。
男の人は、たしか可愛いって言われるのが苦手なのよね。普段はかっこいいって思ってるけど、可愛いなあって思う時って、だいたいが女性がその男性に母性本能をくすぐられてる時だと思う。
私の場合は、アグニに対してはそんな感じかな。例えば無邪気に水浴びをしてて髪についた水滴を、頭を振って雫を落としてる時とか? そんなこと、アグニはしないか。
でも、寂しそうな顔をしてる時なんかはそうね、頭を抱きしめていい子いい子したくなる。そういうのなら、他の人にもわかってもらえる伝わり方かしら。
でもまあ、私には女の子の友達がいないから、聞くにも聞けないんだけどね。
「じゃあ、行きましょ」
「ああ。にしても今日は風が強いな。ウィッグ取れないように気をつけてね、ユーリィ」
「うん。一応ヘアピンで留めてるからたぶん大丈夫だとは思うけど、強風がきたらわからないものね。あそこに見えてる、ドーム型の屋根がいくつもあるところが大聖堂なんでしょ?」
結構遠くだけど、それでも大きい建造物だってことがわかる。だって、アグニの家からでも大きく見えるんだもの。
大通りの一番奥に王城があって、その隣に大聖堂があるんだって。
お城もすごい立派だし、ここのお城でゴルド様が騎士団長をしていたんだなって思うと、本当にすごい人なんだなって改めて思う。その孫のアグニ。
アグニは騎士じゃなくて冒険者だけど、騎士になりたいとか考えたことってあるのかな。
「大聖堂もすごいけど、王城もすごく立派ね。白亜の城かあ。素敵。アグニはお城には入ったことはあるの?」
「いや、ないな。俺は物心ついた後に両親をなくしてたし、その時はちょっと荒れてたから。騎士になんかなるもんかって、邸を飛び出してそのまま冒険者になったし」
「え、そうなの? それで大丈夫だったの。ほら、怒られたりとか」
「殴られたし、剣の指導だって言ってこてんぱんにされたな。それで余計反抗して、国中をあちこち回ったんだ。で、少し落ち着いたから戻ったら、今度はあらゆる武器をしこまれてさ。それで数年修行して、剣術だけは合格したんだ。だから、俺のお嫁さんになるっていわれてたユーリィを見に行ったんだよ」
「そんなことがあったんだ」
「ユーリィの家だけは、じじいに何度か連れて行かれて知ってたからね。その時に血のこととかも聞いてたんだ」
あ、じゃあ。私の最大の秘密も知られてたのね。なんだ、隠さなくてもよかったのか。
「大丈夫だよ。誰にも言う気ないし、じじいだってそれは同じだから。俺はユーリィを守りたいし、可愛がりたいからね。離されるようなことはしないよ。そんなことしようという奴がいたら、八つ裂きにしてやる」
「ありがとう。だけど、私のために危険なことや、罪になるようなことはしないでね。でないと私悲しいし、辛いもの」
「ああ。わかってる」
そんな会話をしている間に、やっと大聖堂へと着いた私とアグニ。
聖水が湧き出て流れてるという、建物の中にはまだそんなに人は居なかった。今のうちだね。
私は時魔法の指輪を使って異空間からタンクを沢山出した。それを手分けして泉に埋めていく。そうして持ってきたタンク、一〇〇個分を見たし終えると、アグニが引き上げてくれて、異空間の中にしまっていく。
そんな時。何かの一団が、聖水の泉の建物に入ってきた。
あれは……。
私はさっと血の気がひいていく。あの高貴な身分を想像させる服装。あれはこの大聖堂の神官達だわ。その先頭にお爺さんがいて、列を作って歩いてきた。
「教皇だ。何でこんな時に。帰るよ、ユーリィ」
「う、うん」
一〇〇個のタンクをしまい終わったから、ちょうどよかった。私達は急いでその場を後にしようと小走りで駆け出すように早歩きですれ違う。
「……アリア」
その時、お母さんの名前が聞こえた。
思わず振り返ってしまった私は、走りながらだったからこけてしまってウィッグが取れてしまう。
「あっ」
落ちたウィッグを拾って急いでかぶりなおすけど、その時にはもう教皇がこちらを見て目を見開いていた。見つかった。よりによって教皇に。
私はアグニに手を引かれて、駆け抜けていく。後ろで何か声が聞こえたけど、振り返る余裕もないくらい、私は転びそうになりながらもなんとかアグニに付いていった。
聖水の泉の建物を出ると、神官達が箒で周りの清掃をしていた。教皇も何かのお勤めであそこに来たのかな。あれが、あの人が私のお母さんの義理のお父さんなんだ。
初めて見た教皇は、七〇歳くらいのお爺さんだった。私を見て驚いた表情が頭から離れない。
私は全身の血がぞくぞくと沸き立つ感じがしてとても熱かった。
はあ、はあ、と息を切らしながらも、追っ手がくるかだけは感じられるように神経を研ぎ澄ませていく。
路地をうねうねとしながら、追ってきてるかもしれない人を撒くようにして、私とアグニは駆けていく。そうしてやっと邸に戻った時にはもうへとへとで、倒れこむようにして玄関ホールで二人突っ伏すのだった。
「どうした」
「はあ、はあ。……おじいちゃん、私。教皇に……」
「何故か聖水の泉に教皇の一団が来てたんだ。その時、ユーリィのウィッグが取れて、見られた」
「見られただと。それでどうした。追っては来てるのか」
「たぶん。走り去る時に何か声を上げていたからな。一応路地裏で撒いてこれたとは思うけど、早くここを離れたほうがいい。馬をくれ」
「わかっている。急ぐぞ」
まだ十分に休みきれてないけど、ここにいたら、おじいちゃんにも迷惑をかけちゃう。まだ私の存在が公にバレてないうちに、この国を出ないと……。
息を整えながら、私はおじいちゃんとアグニに必死で付いていった。
そうして厩に着いて、一頭の馬をアグニが連れてきた。
「俺の馬なんだ。従順で大人しいから大丈夫。こっちへおいで」
「うん」
大きくて立派な茶色い馬だった。私は鐙に乗せられて、その後ろにアグニが乗って私を抱え込むようにして馬を操る。
「俺たちは一度、カーツに寄ってからそのまま森林を抜けて、イングラスに向かう。その方がいいよな」
「……そうだな。あの村にはもう誰も住んではおらん。流行り病の病原菌はもう死滅していると思うが、気をつけて行くんだぞ。追っ手が行くとすれば、神殿騎士のはずだ。まずは近場から探してこの国を包囲するようにしらみつぶしてくはず。それが奴らのやり方だ。そしてカーツの近くには街はない。そこで一旦休むのがいいだろう」
「おじいちゃん」
「そんなに不安そうな顔をするでない。ユーリィ。大丈夫だ。アグニから離れんように、くれぐれも気をつけていくんだぞ。……アグニのことを頼む」
「うん」
馬上で私はおじいちゃんと話すと、アグニは手綱を操って、厩を出ていく。
おじいちゃんが最後に私に近づいて小声で言った言葉は、アグニには聞こえなかったようだった。
うん。
アグニのことも、任せて。
きっと、これが一番言いたかったんだなって、私は思った。
昨日、アグニが飛び込んできた時に、言おうとしてたんじゃないかな。そんな流れだったし。
「裏から出る。その後は東門を馬で駆けて逃げるからな。そうすれば、すぐに門兵が追ってくるが、まだユーリィを捕まえろという指示は、王都中には出されてないはずだ。だから振り切れば諦めるはずだから。けど、まずはそこが第一関門だな」
私の失敗で見つかってしまって、こうして逃げながら王都を出るなんて考えもしなかった。私のことを捕まえたらどうするんだろう?




