薬師ののんびり旅紀行 三十八話
明け方から話し込んでたから、相当疲れてたらしい私は、夕方までベッドの上の人になっていたみたい。
むくりと半身を起すと、ちょうどメイドさんが水差しを持ってきたところだった。
「お目覚めになられたのですね。アグニ様をお呼びいたしましょうか?」
「あ、はい。お願いします」
「かしこまりました」
ベッドわきのミニテーブルに水差しとコップを置いて、礼をしてから退室していくメイドさん。
あんまりにも豪華な部屋は、なんだか場違いな。違う世界に来てしまったような感じがして落ち着かない。
だけど、アグニを呼んできてくれるって言うし、少しこのまま待ってみよう。
そう思って、せっかく持ってきてくれたから、水差しの水をコップに移してごくごくと飲み干す。
思ってたよりも、喉が渇いていたみたいで、もう一杯飲んでいたところにアグニがやってきた。
「おそよう。もう大丈夫みたいだね。何か食べる? それとももう少しで夕食だから、それまで待つ?」
「うん。夕食まで待つわ。起きたら夕方だったからびっくりしちゃった」
「くす。でもそんなユーリィも眠り姫みたいで可愛かったよ。そういえば、眠り姫ってどうすれば目覚めるか知ってる?」
「たしか真実の愛の口付けで、よね……って、何もしてないわよね?」
「何って何をかな。……くすくす。ごめん、大丈夫。何もしてないよ。ただ少しだけ寝顔を見てただけ」
う。それでも十分に恥ずかしいわよ。涎垂れてないよね。ベッドの中で膝を抱え込んだ私は、こっそり口元を拭った。
じと目でちょっとだけアグニを睨んだ私、ベッドから降りる。
夕焼けの空もとても綺麗だったから、私は窓際まで寄っていって、そこから王都クレスメンを眺める。このお邸の敷地が広いから、城下町まで遠くてあまりよく見えないかな。だけど、遠くに見える一つの塔は、時計塔ね。最上部には鐘があった。
明日はさっそく聖水を貰いに大聖堂に行くわけだけど、私がお母さん似だってことは、もしかしたらバレる可能性もあるってことよね。
どうしようかな。
ウィッグだけでも買って、髪色だけでも変えたほうがいいかしら。それでなくてもこのクイラス大陸の人々は赤毛の人が多いんだし。
だけど、私が産まれる前にお父さんとお母さんは逃げ出したんだし、もう十五年以上前の話だから、このままでも大丈夫かな。
「明日は聖水を貰いに行くんだけど、アグニはどうする? 久しぶりの家だから、ゆっくりしてる?」
「いや。俺も一緒に行くよ。沢山汲むんだろ? 女の子だとタンク一つ満たすのも大変だからね」
「ありがとう。じゃあ、明日はよろしくね」
「任せておいて」
そんな会話をしていると、部屋の扉の向こう側から声が聞こえた。
「アグニ様。晩餐の準備が整いました」
「わかった」
なんだかすごく偉そう。いや、実際偉いんだけど。
「アグニって、お貴族様だったんだね。しかも侯爵家の。私、びっくりしちゃった。でも、話方、変えなくても大丈夫だよね?」
「もちろん。ユーリィは今まで通りにしていて。じゃないと距離を置かれてるみたいで悲しくなる」
「わかった。変なこと言ってごめんね。じゃあ、行こう」
「ああ。案内するよ。お手をどうぞ。我が姫」
「ふふ。よろしくお願いね」
アグニから差し出された手の上に、軽く手を乗せてエスコートされる。そのまま廊下では恋人繋ぎで歩いていった。
連れて行かれた場所は食堂だけど、すごく長いテーブルに、椅子が沢山並んでて、大勢の人と食事をとれるような部屋だった。こんなに広い場所で食べるんだ。なんだか高級料理店にきちゃったみたい。
長いテーブルには、長いマットが敷かれてて、等間隔に蝋燭台と花瓶に活けられた花が並んでる。
ゴルド様が一番奥の席に座っていて、私とアグニはそのすぐそばの席だった。
席にはすでにナイフ、フォーク、スプーンが綺麗に並べられてたけど、これってたしか外側から順番に使っていくんだよね。それくらいしか、こういったマナー知らないんだけど、どうしよう?
不安気にアグニを見ると、にこっと笑って「好きに食べて大丈夫だよ」って言ってくれた。
そうして運ばれてくる食事たち。
私は見よう見真似でゴルド様やアグニの食べ方を真似て、四苦八苦しながら食べてる。だからか、なんだか味気なくて食べた気がしないのよね。うう、お貴族様って、こんな疲れる食べ方してるのかあ。私にはちょっと合わないかも。
白身魚のマリネをナイフとフォークを使って、小さくしてからぽそぽそ食べる。これが自由に食べていいんだったら、フォークだけで大きめに切ってそのまま食べちゃうんだけど。
なんて思っていたら。
なんとゴルド様が渋面を作ってナイフをぽいとカトラリーの中に入れてしまった。どうしたのかな。
「やめだやめやめ。こんな食い方ではちっとも腹に入らん。わしはいつも通りに食べるから、お前たちも好きにしなさい」
フォークを切り分けてない大きなマリネにぶすっと刺すと、そのまま大口を開けてぺろりと食べてしまった。え、いいのあれ?
私はアグニを見ると、うんと頷かれて、私とアグニもナイフを横に置いて、好きに食べることにした。
うん。こっちの方が味を感じるわ。
それにしてもさっきの食べ方って、本当肩が凝るわね。マナーとしてえは知っておいたほうがいいんだろうけど、私はもうあの食べ方はしたくないわ。
疲れるもの、精神的に。
「どうだ? 美味いだろう」
「はい。とても美味しいです。それにこのパンも柔らかくってもちもちしてて、すごく美味しい」
「ははは。シェフが喜ぶな。おお、そうだ。そういえば明日は大聖堂へ聖水を汲みに行くそうだな。何かあればすぐに帰ってくるんだぞ。あそこには長いはせんほうがいい。長年神に仕えている者達も大勢いるからな」
「そう、なんですか。じゃあ、私がお母さん似なのは、やっぱりまずいのかな」
「ユーリィ、変装でもしていく?」
「うーん。それは私も一度考えたんだけど、十五年以上経ってるし大丈夫かなって思ってたんだけど。まだお母さんのことを覚えてる人がいるのだとしたら、やっぱりそうしてほうがいいよね」
「そうか。ならばわしに任せなさい。うまい具合に変えてみせよう」
やっぱり変装しないと駄目なのかあ。そこまで長く仕えてる人がいるなら、見つかったらすぐにバレちゃうものね。
「ユーリィ。大丈夫? なんなら、俺が変わりに入ってこようか」
「ううん。私、実はお母さんが住んでたってところ、見てみたかったし、自分でいく。あ、でもお手伝いはお願い」
「ああ。なら。祖父さん、余ってるタンクあったらもらっていいか? 大聖堂の聖水はユーリィの作る薬に最適なんだ。あまり立ち寄れないことを考えると、明日出できる限り汲んでおきたい」
「あい、わかった。あとで部屋へセシルに持っていかせよう」
「ゴルド様、ありがとうございます」
「いやいや。いいんだよ。ミランダの孫ということは、わしの孫でもあるということだ。気兼ねせずになんでも頼みなさい。ついでにわしのことも、おじいちゃんって、呼んでくれたら嬉しいぞ」
「はい! おじいちゃん」
「おお、おお。そこの孫よりもずっと可愛い孫ができて、わしは嬉しい。はっはっは」
優しく笑ってくれるゴルド様は、とても暖かい気持ちにさせてくれた。私の周りの人って、皆暖かくて大好き。私も皆にそうしたいな。大好きだから、心地よくいてほしいもの。
そういえば、ここでスコーン出そうかな。せっかく作ったんだから、皆で食べたいし。
「あの、私、無花果のジャムとスコーン作ってあるんです。よかったら皆で食べて下さい」
「無花果のジャムか。懐かしいな。ミランダがよく作っていたのをつまみ食いしてよく怒られたもんだ」
「おばあちゃんに? もしかして、おばあちゃんがこの国で宮廷魔法士だった時の話ですか」
「おお、聞いたのか」
「はい。なんでも周りをうろつくうっとおしいう牛に何でも食われるって、嘆いてましたよ」
「あっはっは。牛か。まあ、たしかにその通りだな。わしは熱烈に毎度会うたびにアタックしていたからな。それが闘牛のように見えたのだろう」
ゴルド様はそう言って笑いながら、懐かしい味だって、ジャムをスコーンにつけて食べていた。
私とアグニも一緒に食べたけど。うん。すごく美味しかったわ。




