薬師ののんびり旅紀行 三十五話
「ただいま」
「おかえり。書置き見たよ。でも結構早かったね」
「うん。ごめんね。本当は四の鐘までだったのに。店から出たらちょうど鐘が鳴ったから、走って帰ってきたんだ」
「そうなんだ。じゃあこれ。お水どうぞ」
そう言って水差しからコップに水を移して手渡してくれる。
「ありがとう。……はあ、生き返った」
私がぷはーっと水をグビグビ飲んでるところをじっと見つめてくるアグニ。ちょっとがっつきすぎて飲んじゃったかな。
「ユーリィ、少し化粧してる? それにその服、民族衣装だよね。すごく似合ってるよ。可愛くて見惚れちゃったな」
「わかってくれた? 実はこの民族衣装を着ただけだと、なんだかしっくりこなくってね。化粧品、初めて使ったんだけどどうかな、変じゃない?」
「まさか! 似合いすぎて見た瞬間に抱きしめたかったくらいだよ。自重したけどね。だけど、もっと可愛くなったユーリィも好きだけど、何もしない自然なままの君も好きだよ。それに、あんまり可愛くなりすぎちゃうと、こっちの理性を保つのが難しくなる。あと、他の男に見せたくなくて、監禁したくなる」
「そ、そう? 似合ってるのならよかった。私、アグニのために少しでも綺麗になりたくてね。ちょっと頑張ってみた。えへへ」
「ユーリィ……。それ、殺し文句。俺、自重するの止めた」
「え? わっ」
そう言ったアグニが、がばっと私に抱きついてきて、ぎゅううって強くされる。化粧の効果でここまでなんて、すごすぎる!
私は普段は化粧はあまりしないで、化粧水だけにしようと思った。実際に監禁されたら困るものね。
アグニのヤンデレスイッチがどこで入るかがまだよくわかってないけど、少しずつ探り探りするしかないよね。
多分だけど、両親を流行り病で亡くしたことが、今のアグニになったことと関係してるんじゃないかなって思うんだ。
私の場合も自分でも少し病んでるかなって思う時もあるけれど、基本は私は前向き姿勢を崩す気がないし。何かが起これば対抗策とかを率先して考える性質だから、大丈夫だったんだろうけど。
アグニのご両親、いつ頃なくなったのかしらね。国が違うと流行り病があった年のこともさっぱりわからない。でも、おそらくだけど、幼少期なんじゃないかなって思ってる。
私でいいのなら、私を選んでくれてるのなら、アグニの気持ちが少しでも安心できるようになってほしいなって。
たまには真綿で包めるくらいに包容力を発揮させるのも悪くないと思う。
まだまだ手探り状態だけど、わたしがおばあちゃんから貰った温かい気持ちを、同じようにしていけば、アグニも傷が少しは癒えてくのかな。どうなんだろう。
体の傷は治せるけど、心の傷は治すのって難しいよね。
私が治すなんておこがましいことは言えないけど、少しでも役にたちたいなって、そうは思っているから。だから、私の好きって気持ちを隠さずにいこうと思う。
「アグニ。ありがとう、すごく嬉しい。褒めて貰えるかちょっとどきどきしてたの」
「可愛いに決まってる! ユーリィはね、もちろん容姿も好きだけど、心が可愛いんだよ。いつも俺のこと考えてくれてるでしょ。まあ、薬を作ったりしてる時以外は、だけどね。君の表情を見てればわかるんだ。だから、俺も安心して君への想いをぶつけていけるんだ」
「本当? 私、アグニの役に立ててる? そんな言葉聞いたら、うざいくらい一緒にいるからね!」
「あははっ。そんなのもちろん大歓迎さ。俺のユーリィ。だから、俺を見捨てないで」
「……アグニ。うん、わかってるよ。だから、私のことも捨てないでね」
そう言って私は背伸びをして、アグニに自ら口付けをした。
あ、ちょっと色つきリップが付いちゃった。拭った方がいいよね。
そう思って指をアグニの唇に押し付けてリップを拭い去る。よし、取れた。
「君って子は、もう!」
むぎゅううう。
アグニが変な方向で壊れたような気がする。でもまあ、こっちのほうがいっか。
暖かいし。
そうやってしばらく抱きしめられたままだったけど、ふと我に返る私。
これって実はものすごーく恥ずかしくない?
なんで私ってばアグニの唇に触れて……。にゃああっ!
「ぎゃーっ、もう離してえっ」
「いやだ。離さない。抱き心地がすごく良いし、良い匂いもするし。もうしばらくこしてたい」
「私はもう十分堪能したから! だからいいの。アグニもそうでしょ!? ね?」
「まだまだ、ぜーんぜん足りない。もっとユーリィのこと、感じてたいんだ」
ぐ。
ぐぬぬぬぬ。
私、言葉攻めされてる!?
恥ずかしくって気絶しそうだよー!
ああ。なんだか本当に苦しくなってきた。くらくらするよ。頭もふらふら。あはは。
「あれっ、ユーリィ? ちょっと、ちょっとってば。……気絶してる。そんなに強く抱きしめたっけ俺」
アグニに抱えられて、私はベッドの中でいつの間にか眠っているのでした。
ゴーンゴーンゴーンゴーンゴーン。
鐘の音がする。
ふと目を開けると窓の外はもう日が落ちていた。たしか、鐘の音が五回だったから十八時のはず。そろそろお腹も空いてきたみたい。ちょっとだけきゅるるって、お腹がなっちゃった。何か食べに食堂に行きたいけど、アグニはどこかな?
ベッドから降りた私は、寝相で乱れてた服を直して部屋を出る。部屋にはいなかったから、たぶん先に有ご飯を食べに行ってるのかも。
そう思って扉を開けようとしたら、階段を上がってくる音が聞こえた。なんとなく通り過ぎてから扉を開けようって思ってたら、なぜか私とアグニの部屋の前で足が止まった。
あ、もしかしたらアグニかな。
カチャ。
「アグニ?」
「ユーリィ・アスコット様ですね? わたしはセシルという者です。アグニ坊ちゃまの祖父である、ゴルド・イル・レイドッド様からあなたへの招待状をお持ち致しました。つきましては、このまま邸に案内するよう、仰せつかっておりますので、どうぞわたしと共に参りましょう」
「ゴルド・イル・レイドット? アグニのお祖父さん。でもどうしてここが……」
「それは企業秘密です」
「はあ」
「それでは参りましょうか、ユーリィ様」
「え、あの、でも。アグニは」
「大丈夫ですよ。彼も後で必ず追いかけてくるでしょう」
「え?」
なに? どういうこと?
アグニは知らないってことだよね。それっていくらアグニのお祖父さんでも、ついってたら駄目だよ。
「私、行けません。アグニの了承を得てからでないと。それに、アグニのお祖父さんなんでしょう? どうしてこんなことするんですか」
「それは直接ゴルド様からお伺いをして下さい。わたしはユーリィ様をお連れするようにとの指示を受けてこちらに参りました。ですので、任務は遂行されなければなりません。そのように心配をされるのでしたら、書置きをしておくとよいでしょう」
「……うーん。でも。……はあ。わかりました。では、少しだけ待っててください」
「お聞き届けくださいまして、ありがとうございます」
私がついていかないと、この人、セシルさんだっけ? がお祖父さんに叱られちゃうよね。それなら私はアグニに叱られた方がいいか。
ここでごねてても仕方ないし。だけど、アグニ、どこに行ったんだろう?
そう思いながら、私は一筆書いて、宿屋を後にしたのだった。




