薬師ののんびり旅紀行 二十八話
買い物を終えて宿屋に戻った頃にはすっかり日が落ちていた。
宿屋の食堂で軽く夕食を済ませた私とアグニは、いつも通りの自由時間を過ごすことに。
アグニは剣の手入れに旅支度の点検。
私は薬作りに専念。
この、会話がなくても心地よく自分のしたいことをできているっていう、その空間がとても私は好き。
お互いの存在をそこに居るのが当たり前で、存在を自分の中の景色にいれているっていうか。そこになくてはならない存在っていうか。
例えば、アグニがパンなら私はスープ。アグニが剣なら私は鞘。太陽と月のように一対の、だけど正反対の性質を持ちながらも不自然ではないそれ。
その真綿に包まれたり、温かいお湯の中に入っているような心地よさは、アグニがいないと出せない空気。どちらかが欠けたら途端に壊れる優しい雰囲気だった。だけど、壊れるといっても危うさはない。ただ、静かに片方が来るのを待つだけ。
私とアグニはきっとそんな関係なんだ。
熟年夫婦のような、もう長年付き添っているかのような深いものが、私達にはあると思う。まだ出会って一ヵ月くらいなのにね。
とても不思議だけど、とても心地よくて、とても素敵。
私は二人の、二人だけの空気が大好きだわ。
アグニもきっとそう思ってるはず。ううん。私よりもずっとそう思ってるかもね。
「さて、と。ごりごりしますか」
私は竜骨と桂皮にアマ草を、時魔法の指輪を使って異空間から取り出して、まず最初に鑿と木槌で竜骨を必要な分だけ割っておく。そうして次に桂皮アマ草も必要な分を別けたら、余ったのを異空間に戻した。
鉄製薬研で竜骨を細状にして、すり鉢に移してすりこ木で更に細かく、そして乳鉢で更にさらさらに。この一連の動作をした後、桂皮はすり鉢から粉末にしていく。アマ草も同じ。
一つのもので粉状にしていくのもいいんだけど、私はこのやり方があっているのよね。
同じ薬師でも実はそれぞれやり方が微妙に違っていたりするものなの。私の場合はとにかく丁寧に丁寧に、念には念を入れてやることが多いかな。
大雑把な人だと、大小が少しあるくらいいいじゃないのって人もいるけれどね。まあ、ようはその作った薬がちゃんと効果があればなんでもいいのかも?
とはいっても、私はこのやり方を崩すことはしないんだけどね。
そのどの工程もを魔力を籠めながらやるから、意外と精神的に疲れる。
だけど、私はその疲れが好きだった。
だって、働くって、大変だけどやりがいもあるし、それが自分の好きなことだったら尚更でしょう?
だから私はとても幸せなんだと思う。こうして私が薬師として生きていけるように、指導してくれた師匠のおばあちゃん。人生の先輩でもあり、母であり、友達でもあったおばあちゃん。
感謝してもしきれないくらいたくさんのことを教えてくれて、してくれた。大好きなおばあちゃん。
今頃何をしているのかしら。
私と同じように薬でも作っているのかしら。そうだったら嬉しいな。私と同じことをして、同じことを考えてくれてたらすごく嬉しい。私に会いたいなって思ってくれてるよね?
私も会いたいよ、おばあちゃん。
立派になった自分を見せて、おばあちゃんを安心させたい。
そして、とても素敵な男性に出会ったんだよって紹介したいよ。
「配合は……こんなものかな。もうちょっとこっちに魔力をこめて。これをひっくり返したら切るように混ぜて……。うん。いい感じ」
今回は特別に配合を教えるけど、竜骨を二対、桂皮を三対、アマ草を二対、魔力を三。こんな感じ。これだけじゃどうすればいいかわからないでしょ?
混ぜる順番も混ぜ方も捏ね方も魔力を入れるタイミング。これらはすべて私の長年の勘でやっているからね。
物心がついた頃にはもう、いつの間にかすりこ木ですり鉢ごりごりしていたから、軽く一〇年以上は修行していたもの。
その間、いなかった両親に会いたいとか思ったこともあったけど、やっぱり私はおばあちゃんが大好きだったから、困らせるようなことは言いたくなかったし、捨てられたと思っているから、もし見つかっても会うのも躊躇うと思う。
今は……。どうだろう?
会ったとしても、感動の再会ってことにはならないと思うな。なんとなくだけどそう思う。
多分、両親への愛情がないんだと思う。
私が感じられた愛情は、おばあちゃんと、アグニからだけだから。
この二人だけが私の心の拠り所なのよ。
よし……。小指の爪の半分ほどの丸薬を二〇〇個作ってこの作業は終わり!
二〇個入りを一〇〇瓶でいいわね。
「よし、できた。睡眠薬の完成ね。……あとは、麻痺薬かしら。こっちは軟膏にしておこう」
この麻痺薬は神経毒で、これは本当に少量中の少量でないと、死に至らしめることになってしまうから、とても注意が必要。
だから、これには私の血を一滴だけ垂らす。このくらいなら、針を指に刺すだけでいいから、アグニに背を向けてさえいれば大丈夫。
麻痺は相手を痺らせて、感覚をなくさせるものだけど、これは使いようによっては医療にも使えるからね。薬師との関わりの深い医師に、作ってくれるように頼まれることがあるのよ。
私も作るのをよく手伝ったり、任されたりしてたから、麻痺薬はお手のものよ。ただし、危険だから絶対に手を抜かないけどね。
あ、でも私はどの薬も手を抜いたことなんて一度もないからね?
いつだって真剣にやってるんだから。
「……ふぅ。これがけっこう神経を使うのよね。……よし、ここで、こうして」
毒腺を一滴に私の血を一滴。そこにアマ草を清水と混ぜてペースト状にしたものを加えて、均一に混ぜる。それを漉してなめらかにすれば完成。汗を掻くけど、中に入らないように手の甲で拭って、最後にもう一度だけ手際よく混ぜて、軟膏ケース入れに入れればこれで商品になるの。
この麻痺は、役一時間の間だけ患部の痛みをなくさせることができる。だから、切開手術をする際なんかは特に重宝される。昔の人は布を口に咥えさせて、両手両足を大人数人がかりで押さえつけてやっていたっていうんだから、すごいことをしていたわよね。
この麻痺薬は、さっき作った睡眠薬と合わせてやれば、寝ている間に手術が終了ってことになって、すごくいいと思う。
少し大きめの、街の人の為だけの病院に売り込んだら、かってくれるかもしれないわね。
ちなみに効果の程は……。
これから試すわ。
可哀想だけど、鼠を一匹捕まえておいたからね。でも後で傷跡なんか残さないようにして帰すから、ごめんね。やるわ。
私はまず鼠に注射器の針無しのもので睡眠薬を
私は短剣で軟膏を鼠の腹に塗る。そうして効いてきた頃に短剣で腹を割いて様子を見るけども、痛がる素振りをみせなかった。針と糸で縫って、ポーションをかけると、綺麗に傷跡がなくなった。
そうして三〇分程たったかしら。工程で三〇分は使ったから、ちょうど一時間は経ったわね。
鼠は私の存在に気づいたようで、急ぎ足でたたたっと駆けて逃げていってしまった。
……。
「成功ね……」
……。ごめんね。だけど、許してとは言わない。本当は自分で試したかったんだけど、私じゃ切ってもすぐに傷が塞がって治っちゃうから。
私はもういなくなってしまった鼠に罪悪感を覚えつつも、無事に完成できた二つの薬への喜びが大きかったことの方が少しショックだった。




