薬師ののんびり旅紀行 十九話
ソルダースの迷宮から無事に戻ってきた私達。
時間があれば作業をと考えてたけど、予想よりも私は疲れていたみたい。気がついたら朝だった。着替えもせずに、そのままベッドに突っ伏して寝てしまってたみたいで、アグニが毛布をかけてくれてた。ありがとう。
「今日はひたすら作業をするんだろう。俺に手伝えることがあれば言ってくれな」
「その時はお願いね。でも今の所は特にないから、買出しお願いしてもいいかな。ここに足りないもののリストを書いておいたから。アグニも必要なものがあれば、買っておいてね。私だけじゃわからないこともあるし」
「ああ、わかってる。じゃあ、部屋からはでないようにね。宿屋の人間でも、誰でも、用事があるからと言われても決して空けないこと。わかった?」
「わ、わかってるよ。私だって成人したんだから、そのくらいは気をつけられるんだから」
「ふう。心配だ。俺がもう一人いればいいんだけど。いや、そしたらユーリィの取り合いになるか。駄目だなそれは」
「ちょ、なにを言ってるの。ほらほら、いってらっしゃい。早く帰ってきてね」
「ああ。……新妻みたいでいいね、それ。じゃあ、行ってくる」
そう言って私の額にちゅ、と口付けをして優しく微笑みながら片手を上げてアグニは部屋を出ていった。
「……。……にゃあああっ!」
もう、もう!
私はあんまりそういうことには耐性がないの!
ぼんっと首まで真っ赤になった私は、両手で顔を扇ぎながら、時魔法の指輪を使ってテーブルの上に素材を出し始めるのだった。
ああ。
恥ずかしいよお。
「でも、慣れることはないと思う。心臓がばくばくいってる」
ぺたんと床に座り込んだ私は、まずは気持ちを切り替えようと、両頬を思いっきりパンっと叩いた。
痛い。少し涙目になりつつも、大分それで落ち着けたから、私はまあいいかと今日の作業で一番大事なことを先に済ませることにした。
水桶に油紙を敷いてお椀状にする。
そして、息をはっと止めると、短剣で左腕をすっと切り裂いた。
ボタボタと流れ落ちる私の血。切ったところはすごく痛いけど、これは必要なことだからなんとか我慢して歯を食いしばって痛みに耐える。
そうしてある程度の量になったら、止血剤を塗ってポーションをがぶ飲みする。これで多少は持ち直すはず。
貧血でくらくらするけれど、この血を見せるわけにはいかないから、急いで作業をすすめておかないとね。
なんでも私の血は特別なんだそうだ。
私の両親は神様に仕えていた神官と神子で、その二人から生まれた私は禁忌の子だった。神様に仕えた者は命を宿す行為をしてはならないという戒律があるのよ。その戒律があるのはアラリス教だけだけどね。
それを破ってしまった私の両親は、私を産んだ後に、高名な薬師で森の中に隠居していたおばあちゃんに私を託して、私を守る為に離れていった。
その後はどうなったかは、おばあちゃんも知らないんだって。
そんなわけで、私の血には特別な力が宿っているそうで、実は、私の血を患部塗るだけで傷が治ったりするの。
だから私は極力、人前で怪我をしないように気を配っていたし、この力? を使わないようにしてきた。
そして、傷を治すことに対して、違和感のおきづらい薬師になるように、おばあちゃんが私にたくさん教えてくれたのよ。
これが私の最大の秘密。
アグニにも知られてはいけない秘密だった。
別にアグニのことを信用していないわけじゃない。ただ、このことを知って何かが起きた時、巻き込みたくないだけ。アグニのことが大事で大切だから、私の事情に巻き込みたくないの。
私はアグニに傷付いてほしくない。だから、もし、このことがバレたらそっとアグニの前から姿を消すつもりでいる。
でも。
もしその時がきたら。その時がくるまでは、私はアグニのそばにいたい。できればずっと一緒に暮らしていたいの。
こんな私の願い、叶うのかしら。
禁忌を犯して産まれてきた私。
好きな人と一緒にいたいと思う気持ちも大それたことなのかもしれない。
だけど、だけど。
「アグニとずっと一緒にいたいよぉ」
知らず知らずに嗚咽を洩らしていたらしい。私は泣いていた。
止血剤とポーションが効いたのか、貧血が少し治まってきた。傷跡はもちろんもうない。私の血で傷が治ったから。
これから先、アグニと一緒にいることを選んだんだから、これまで以上に気をつけて怪我をしないようにしていかないと、ね。
アグニに内緒にしていることに罪悪感を覚えたけど、ずるい私は自嘲して口を閉ざす。
だって、言えないよ、こんなこと。
産まれてきちゃいけない子だったなんて、どうしたらアグニに言えるの?
それでもし、そんなことはないって信じてるけど。可能性の一つとして、もしアグニが私から離れていってしまったら?
私はどうしたらいいかわからないよ。
それとも、私は人を好きになっちゃいけないのかな。好きって気持ちを抱くことすらおこがましいのかもしれない。
だけど。
傷つけるし、私も傷つくってわかってるけど。今は、今はもう少しだけ。このことがバレてしまうその時までは、アグニのそばにいさせてください。
どうか。
神様、お願いします。
「……聞き届けてなんか、くれないよね。禁忌の子。忌み子だもん。ふふっ」
私はそう祈りながらも、決して叶えられることがないとわかっている。
だけど、どうしてか今は両手を組んで神様に祈ることだけしか考え付かなかった。
そしてしばらくして我に返る。
「急がなくちゃ!」
私は自分の生き血に蝙蝠の生き血を、五〇本分足した。そこに、聖水をかき混ぜながら、色が変色しないように慎重に慎重にかき混ぜる。
これが失敗すると、黄色に変色してしまうのだ。そうなると今度は返って毒になる。アンデッドを作ってしまう毒になってしまうのだ。
以前、死にそうだった兎がアンデッドに変化しそうだったから、急いで解呪水を作ったら黄色になってしまったことがあって、私はそれを知らなくて、兎にふりかけてしまったことがあったの。
そうしたら、一気に病状が悪化して、あっという間に兎はアンデッドになってしまって。
おばあちゃんにそれを見られて、急いでおばあちゃんが聖水をかけて消滅させなかったら、目の前の私は噛まれていただろう。そうして今頃は私もアンデッドになって生きていなかったかもしれない。
その方がよかったのかなって、悩んだ時期もあったけど、今は薬師として生きとし生けるものを助けたいって思うようになった。
それもこれもおばあちゃんのおかげ。
あの時、あばあちゃんが私の頬を叩いて、泣きながら良かったと。無事で良かったと泣いてくれたことで、ああ、私はここにいてもいいんだなって思えるようになった。
おばあちゃんのぬくもりを感じて、生きているって実感して、私もおばあちゃんのような立派な薬師になりたいって、あの時から本気で思うようになったのよね。
「おばあちゃん、元気にしてるかなあ」
私は過去を思い出してくすりと笑いながら、それでも慎重にかき混ぜて、解呪水を作ることに成功したのだった。