薬師ののんびり旅紀行 十七話
薬師ののんびり旅紀行とはどこへ行ってしまったのだろうか。
私のデッドオアアライブ。デンジャラスな旅紀行なんて全く望んでいない。
どうか。気づいて数日前の私! そして逃げるんだ。この私を抱きしめている、とても素敵な赤髪の男の子から。でないと、今の私のように、逃げられない深みに嵌っていくことになるに違いないのだから。
そう思ってから私は、しばらくそのまま抱きしめられ続けるのだった。だって、放してくれる様子が全くなかったのだから。
「おやすみ。俺のユーリィ」
あれから引き返して宿屋へと戻ってきてから、ずっと抱きついてきて離れてくれない。
それどころか、隙を見つけるとすぐに。
私の額にちゅ、と口付けてくるアグニ。私は瞬間的に真っ赤になったに違いない。
しかも。
時は夜。これから眠りに入ろうとしている時間だ。
なのにベッドへ入っても全然寝付けないのは……。
「あの……くっつきすぎて眠れないの。だから放してくれる?」
「それは聞き届けられないな。俺からユーリィを離すだって? それは俺に死ねと言っているのと同じことだよ」
「でもね。この体勢はよくないと思うの。その、健全な青少年な私たちにはまだ早いと、ね?」
「俺たちはもう成人してるだろう? だからこれは普通のことなんだよ」
「う……でも、その。普通じゃないと思うの。それに、ちっとも落ち着かなくて」
私の心臓は早鐘のよう。
どきどきが止まらないよ。どうして一緒のベッドに入ってるんだ! もう一つベッドが端にあるのに!
「俺はすごく落ち着いてる。ユーリィの体温を感じて、ユーリィの鼓動を感じて眠れることのできるこの夜の時間は、最高に至福だよ」
更に私を抱きしめる力をぎゅっと入れて、アグニは私の匂いを嗅いでいる。お風呂には入ったけど、お願いだから嗅がないで! 恥ずかしすぎる!
心臓がもうもたないよ。
私はとにかくこの状況を少しでも私側に有利にしたくて話題を変更することにした。
「うう。そ、そういえば。アグニって、本当は自分のこと俺っていうんだね」
「変?」
「ううん。かっこ……なんでもない。私、もう寝るね、おやすみ」
危ない。
かっこいいって言いそうになってしまった。そんなことを聞かれたらますます加熱しそうで、恥ずかしさのあまりに気を失ってしまいそう。
全然有利にできなかったじゃない。なにやってるの私。
あ、でもその方が返ってよかったのかも。
私は寝たフリを決め込んで、すーすー寝息を立てていると、アグニの体温と鼓動に安心したのか、そのうち本当に寝入ってしまうのだった。
「くす。本当に可愛いね。すぐにでも食べてしまいたいくらいだけど、まだおあずけだね。俺の理性が持つまでは、ね。おやすみ。俺のユーリィ」
そうして翌日から。
私とアグニの距離はびっくりするくらい近くなった。身体的にも、精神的にも。スキンシップが過剰になって、ものすごく甘い言葉を言うようになったわ。
原因はもちろん昨日の出来事。
あの時のアグニには本当に驚いた。なんていうのかな、私に対する執着心ていうのかな。とにかくすごくて、怖くて。だけど、心のそこから否定して逃げ出したりはできなくて。
それはなぜなのかというと、私もアグニのことが好きになってしまったからなんだと思う。
だから、端から見たら異常な愛情でも、私はそれを受け入れて受け止めたいと思った。
変かな?
私もおかしい?
だけど、それが私の心からの気持ちなのだから仕方がない。
私は、私に対するアグニの気持ちがこの上なく嬉しかったんだ。いつの間にか、相当毒されていたのかもしれない。
「それで、やっぱり迷宮にはいくんだよね?」
「うん。そこで採れる薬の素材があるの。商業ギルドの本に載っているのよ」
月刊商業生活。
私の愛読書でもあるこの月刊誌には、その時の流行の病に効く薬や、高名な薬師のインタビューなんかも載っていたりする。
いつか私もこの雑誌に高名な薬師として、インタビューされてみたいな、なんていう願望を持っていたりするのよ。内緒ね。
ちなみに、ソールダースで採れる薬の素材とは、ヒカリゴケと、蝙蝠の生き血だ。
ヒカリゴケは、的になるものに当てて目印をつけるためにあるの。
マーカーっていうんだけど、例えば、逃げる敵や、魔物の弱点の位置とか。そこに命中させて、わかりやすくするためのものなのよ。これはよく冒険者に売れるから、今後は自分たちの分としても持っておきたい一品。
作り方は、ヒカリゴケと癇癪玉の材料と、中和剤であるアマ草を混ぜ練りこんで、手頃な大きさにして暗闇の中で乾燥させれば完成。結構簡単に作れるから、後で大量生産しておこう。
もう一つの蝙蝠の生き血は、そのまんま、蝙蝠から採った血なんだけど、これと聖水に私特製の原液、この原液はアマ草と同じ中和剤の役目があるんだけど、企業秘密で作り方は内緒。
何にでもあうから、アマ草がない時にはこの原液を使うのよ。でも今回のには特製の原液の方が相性が良いの。
でもこの特製の原液は、使っている時を誰にも見られちゃいけないって、おばあちゃんからきつく言われてるの。
だから、アグニにも言えない私の秘密の一つ。
だけど、誰にでも言えない秘密ってあるものでしょう。だから、私が秘密にしていても構わないわよね。
って、話が逸れたわね。
で、何を作るかと言うと、解呪水。アンデットに噛まれて、アンデット化した人を治す生命の水なの。
でも、これは体の三分の一くらいまでの腐食なら間に合うけど、それ以上腐食してしまったらもう助からない。
だから、アンンデッドが出る夜や、迷宮でなんかは必ず常備しておく必要がある大事な薬なのよ。でないと、アンデット化した人はもう人間には戻れなくて、討伐される側の魔物になってしまうのだから……。
「マーカーと解呪水か。どちらも必要なものだね」
「そうなのよ。これから行商の旅を続けていくのにも、品数は多いに越したことはないでしょ。それに、解呪水なんて絶対大事だから、これは作っておかないとと思って」
「たしかに。わかったよ。……本当は、ユーリィをあまり危険な場所へは連れて行きたくはないんだけど、理由が理由だからね。わかった。付き合うよ。ただし、俺からは絶対に離れないこと。いいね」
「ええ。わかってるわ」
私は真剣に頷いてそっとアグニのそばに寄る。
私の居場所でもあるし、逆に私はアグニの居場所でもある。完全依存な歪んだ関係かもしれないけど、でもそれでも私たちは真剣で、とっても大事で大切なことなの。
だから、私はアグニのことを守りたい。
私にできることといえば、薬作りと少々の錬金術だから、取れる手立ては少しでも多くしておきたいのよね。それは、アグニを安心させることにも繋がっていくと思うし。
体だって大事だけど、私はアグニの心も守りたいの。
だけど、私、知っているわ。アグニのこういうのって、ヤンデレっていうのよね……。