薬師ののんびり旅紀行 十六話
「なんで? そんな必要どこにあったっけ。僕だけじゃそんなに頼りない? 僕以外にも男を仲間にするつもりなんだ。それとも僕を捨てて別の男に乗り換えるの」
「えっ?」
「なんでそんな何も知らないような顔をするの。僕をパートナーにしたのって僕からだけど、それに乗ったのはユーリィだよね。なのに、なんの相談もなしに別の誰かを仲間に入れる? 何を言っているの。わからないんだけど」
急に捲くし立てるようにそう言ってくるアグニの方が、私にはわからなかった。
一体どうしちゃったの?
私のなにがいけなかったの。なんでそんなに怒っているの。どうしたの?
「私はただ、アグニと私以外にも仲間がいればなって思っただけで」
「それで? 僕に聞く前に勝手に誰かを引き入れようとしたんだ? 断りもなく」
「ご、ごめ」
「謝罪なんて求めてない」
ふいと顔を背けてすたすたと先に歩いて行ってしまうアグニ。
私は追いかけることができずに、その場でただ黙って立ち尽くすしかなかった。
だって、どうすればよかったの?
仲間が増えればアグニの心の寂しさがなくなっていくと思ったんだよ。そうなれば、私といつか別れたとした時も、私だけに依存していなければ、乗り越えてくれると思ってたんだ。
だから駄目だったのかな。
だいたい、乗り越えてくれるって、私、アグニの何を見て、何を知った気でいたんだろう。上から目線で。
何も知らないから、こうして怒らせてしまったんだ。
私は、私は本当はどうしたかったんだろう?
「私はただ、私をもっと好きになってほしかっただけだったんだ……」
そう。
私は、アグニのために何かをしている自分を、良い人でしょって、押し付けて、それを好きになってほしかったんだ。こんなに良い私は素敵でしょって。
なんておこがましくて、浅はかで、愚かなんだろう。
私にそんなことする権利なんてなかったのに。ううん。そもそも、誰にもそんな権利ない。アグニが自分で選ぶんだ。誰と仲良くして誰を嫌いになるか。
私は今ので嫌われちゃったかな。
もう、取り返しはつかないのかな。
ぽたぽた。
ぽたぽたと涙で視界が揺れてくる。頬を涙の雫が伝って顎までいって服を濡らす。
ごめんなさい。
本当にごめんなさい。アグニ。
私はあなたにひどいことを押し付けようとしたんだ。
もう、一緒にいられないかな? 私となんていたくないかな。
前を歩くアグニの姿がどんどん小さくなって見えなくなっていく。このまま消えてしまったら、もう会えなくなってしまうかもしれない。
それは嫌だった。まだ一緒に旅をして、一緒に笑って、綺麗なものを見て感動したり、その場面を共有したいと思ってしまう。
そう思っていたら、自然と足が動いて駆け出していく。
「アグニ!」
そう言って私アグニの背中に抱きついた。
離したくないからぎゅうぎゅうに抱きしめて、強く強く力を籠めて。
「く、くるしっ。首! しまってる!」
「アグニ! ごめんなさい! 私が悪かったの。本当にごめんなさい。もう相談せずにこんなことしないから、許して。お願い」
「ゆ、許す前に死ぬ……。ぐえ」
「え、大丈夫? ちょっとアグニ!」
どうやら私はアグニの首に飛びついて抱きついていたようだった。これではアグニの首を思いっきり絞めてしまっていたに違いない。
私はぱっと腕を解くと、アグニの前に回りこんで、屈んで息をぜーはーしているアグニを覗き込む。
「大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だよ」
少しグロッキーな様子で言うアグニは、苦笑いをして私を見た。
「本当に悪いと思ってるんならもういいよ。……ただし、次にこんなことがあれば。君の四肢を切断して、背嚢にまとめて入れて持ち歩くから。……ああでも、君を食べてまえばずっと一緒にいられるよね。そうしよう。生きていようが死んでいようが、君が僕と一緒にいることには変わりないからね。くす」
「……え、ええ? 冗談だよね?」
「冗談に聞こえる? なら、そう思っててもかまわないよ。その時になればわかるから」
「それって、本気ってことだよ、ね」
「僕から逃げないでね。何をするかわからないから。僕だって、本当は、君とこうして生きたままで話をしていたいんだ。そうして、ほら。こんなふうに君のぬくもりも感じていたいんだよ。……だから、僕に君をどうこうしようなんて考えさせないでね?」
「う、うん! わかった! わかったよ、アグニ!!」
私を抱きしめながら言うアグニの耳元で、とびきり大きな声でそう伝える。
これだけ大声を出せば、アグニに、え、なに聞こえない。なんて言われないはず。
だから、四肢切断とか、怖いからやめてーっ!
「ふふ。僕のユーリィ。ずっと一緒だからね。他には誰もいらないから、それは忘れないでね」
「うん。私も、アグニだけでいい」
「嬉しいよ。君と同じ気持ちなんて。君の事は赤く染めなくても大丈夫だといいな」
……。それって。もしかして、鮮血のアグニって、二つ名のことだよね?
じゃあ、もしかして、私みたいな人ができた時に、意にそぐわないことがあれば、文字通り鮮血……。
私、もしかして。大変な人を好きになってしまった?
私はなんて人を好きになってしまったんだろう。
「そういえば、言ってなかったけど。君のおばあさんの元恋人が僕の祖父だったって、知ってた?」
「……初耳だよ」
「そう。なんでも君のおばあさんがあまりにもモテるから、外に出歩けないようにしようとしたら、逆に薬を盛られて下半身付随になってしまったんだってさ。ふふ。詰めが甘いよね」
「え?」
おばあちゃん、どういうことー!?
「僕、初めから君が祖父の元恋人の孫だってこと知ってたんだ。見てたからね、ずっと。君が独り立ちをするのに合わせて僕も後を追っていたんだよ。君は全然気づいてくれなかったけど」
そんなこと誰が気づくんだろうか。
「物心つく頃から、君は僕のお嫁さんになるんだって、言い聞かされて育ってきたから、君に言い寄る蝿共を追い払うの、けっこう苦労してたんだ。なんせ、祖父からは君が独り立ちするまでは、僕の存在に気づかれてはいけないって言われてたからね。でも、こうして無事に旅することができたから、これからは堂々と君のそばにいられる。こんなに嬉しいことってないよ。ああ、なんて素敵なことだろう」
先ほどから私をぎゅうぎゅうに抱きしめ、頬ずりをしながら、どこか恍惚とした表情でそう言うアグニはどこか別の世界の人のように見えた。
これから先、私は絶対にこの人から逃げられない。
ううん。
逃げるなんてこと考えただけで、きっと察知してくるに違いない。
これは想像じゃなくて、確信だった。
再度、あえて言おう。
私はなんて人を好きになってしまったんだろう。
「これからも永遠によろしくね、僕の可愛いユーリィ」
薬師ののんびり旅紀行とはどこへ行ってしまったのだろうか。
私のデッドオアアライブ。デンジャラスな旅紀行なんて全く望んでいない。
どうか。気づいて数日前の私! そして逃げるんだ。この私を抱きしめている、とても素敵な赤髪の男の子から。でないと、今の私のように、逃げられない深みに嵌っていくことになるに違いないのだから。