5.~赤い仔犬を拾いました~
「ははっ」
月が見守る闇のなか、思わず笑い声が漏れていた。
任務に失敗し、明日をも知れぬ身になったというのに。
男は笑いながら、とある暗殺任務のことを思い浮かべる。男にとって、暗殺とは息を吸うのと同じようなものだった。確かに、今回の暗殺対象はいつもよりは難易度が高かったが、暗殺対象のもとまでたどり着かないまま終わるとは思わなかった。
──俺が殺そうとして死ななかった存在なんて初めてだ。
不謹慎だが、ワクワクする。
任務に失敗したんだ。
きっと頭領は俺を処分しようとするだろう。
まぁ、死ぬつもりはまったくないけど。
頭領はちょっと厄介だが、殺せないほどではない。向こうもわかっているだろう。
純粋な殺しの技術では俺のほうが上。しかし、頭脳は向こうのほうが上。ありとあらゆる手段で俺のことを殺しにくるだろう。
──そうだな。無事に生き延びられたら、あの少女のもとへ行ってみるか。今度は、観察するために。
*****
九歳になった。
死亡フラグを時には折り、時には回避し、着々とギフトをレベルアップさせている。最近では、起こる日にちも大まかにわかるようになってきた。
▼宰相による暗殺フラグが立ちました。数日以内です。回避推奨。
▼王妃による毒殺フラグが進行中。明日午後です。回避推奨。
▼隣国の手先、トライゾン伯爵による暗殺フラグが立ちました。半年以内です。回避推奨。
……まぁ、目安くらいにはなるわね。
半年とか長いわ! いやいやいや、それよりも隣国の手先って!!
裏切り者じゃないですか、やだー。
とりあえず、キツネさんに調べてくれるよう依頼を出すことにしよう。
私は、今はまだ目立つ訳にはいかない。
証拠集めをして真偽を確認してから、さりげなく噂を流そう。宰相が食いついて嬉々として処分してくれるだろう。
売国奴に慈悲はいらないよ!
あと、王女レベルも結構上がってきた。
各国の勉強や色々なマナー、そしてダンス。
まだまだ完璧とは言えないけど、基礎はすべて頭に入れた。今は応用編にいってるのだが、格段に難易度が上がる。
……そういえば、前世でも勉強自体は嫌いではなかったけど、応用力がなかったなぁ。数学なんて応用問題になった途端、よくわからなくなったし。
今は何とか前世+今世のスペックをフル活用して頑張っている。将来頭がハゲないか心配だよ。
そして、私の努力が実を結んで、新年にある『陽春祭』から王族としての公務に少しずつ出られるようになった。
この前お父様に「随分と頑張っているようだね。教師たちから、王族として公務に出られる最低ラインは超えたと聞いたよ」と言われた。その言葉に、私は嬉しさと重圧を感じた。
王族は国の顔。
我が国では、公務に出るには最低限“各種マナー”“会話術”“国内外の情勢”を修得しなくてはならない。
失敗をしても“子供だから”というのは通用しない。
そんなことを言い訳に使おうものなら、宰相の玩具にされてしまう。
権力、影響力絶大の宰相に楯突くのは得策ではない。
そんなことをするのは、自信過剰な者か自殺志願者だけだ。
私はそんな勇者にはなれない。
地道に頑張ります。
***
午後の自由時間。
王族専用庭園でお茶を飲む。
季節のうつろいと共に咲き乱れる花の種類も変わる。小ぶりの花から大きめの花まで、咲き誇る花々は庭師の手腕で見事な調和をなしている。
色とりどりの花で目を楽しませながら、メイドが淹れてくれた紅茶を一口飲む。
はぁ~。生き返るわぁ。
花に囲まれて、香り高い紅茶をお菓子と一緒に楽しむ。……なんという贅沢な時間だろう! 素晴らしい!!
今のところは進行中の死亡フラグもない。平和だ。素晴らしい!!
庭園の花を眺めながらぼんやりとする。
そしたら────
ガサッ
奥の方にある一般区画との境界にある生け垣から、真っ赤な仔犬がヨロヨロと歩いてきて、ぱたりと倒れた。
周囲の風景とまったく馴染まない赤い毛色。一瞬血まみれなのかとギョッとしたが、よく見れば違うのがわかった。
……それにしても、反応に困るわね。
ここは王族専用庭園だ。
王族以外の貴族はもちろん、当たり前だが不審者も入ってこられない。そりゃ鳥や虫くらいならいるが……流石に犬はないだろう。
あまりに怪しい存在だ。
私の護衛騎士が素早く立ちふさがる。
……さて、どうするかな。
結局拾った。
一応ざっと調べたが、特に怪しい点はなかったようだ。
今はメイドたちに洗ってもらっている。結構薄汚れていたのだ。
まぁ、怪しくはあったが行き倒れ(?)た仔犬を見捨てるほど私は非情ではない。
今現在、死亡フラグが進行中でないのも大きい。多分、この仔犬を拾っても大丈夫だろうと思った。
問題が起こったら、その時に決める。
仔犬の世話が一通り終わるまで待つ間、教師に出された課題を解きながらつらつら考える。
……あぁ、優秀な頭脳を持つ絶対に裏切らない側近が欲しいわね。私一人じゃ考えるのにも限界があるし、誰かに相談とかしたい。
お父様やお母様には心配をかけたくないし、宰相は論外(というか頭を悩ませる原因の一端)だ。
前世から私はそんなに頭が回わるわけではない。暗記するだけならまだしも、応用とか物事を多角的にみるとかが苦手なのだ。マークシート方式の試験の時、勘で解いたりしてたもんね。いくら死亡フラグがわかるといっても、人々の思惑とか策略謀略とか難しいのよ。
もし、信頼出来る人で候補を挙げるとしたら、従兄殿とか? でも向こうも忙しいと思う。たまにならともかく、ずっとは一緒にいられないよねぇ……。それに従兄殿は弟くんのそばから離れない。絶対に。賭けてもいい。
うーん、と頭を悩ませていたら、メイドが仔犬を連れてきた。
おおぅ、真紅だ。
赤い赤いと思ってたけど、それでも汚れていたのか、洗った仔犬の毛色は艶やかな真紅になっていた。
なんとも目立つ色で、落ち着いた色合いの部屋から凄く浮きまくっている。
メイドに抱えられた仔犬は、シッポをふりながらこちらを見上げている。
「キュウン」
仔犬特有の高い声。
庇護欲を誘うような弱々しい態度。
だけど、それらを裏切るように理知的な──赤みがかった橙色の瞳。
……うん。怪しさしかないや。
内心で頭を抱える。
この子絶対にただの犬じゃないよね~。
悩みの種がまた一つ増えた。とりあえず、今日はもう寝たい……。
***
月のみが微笑む草木も眠る深夜の時間帯。
明るい月の光が、カーテンの隙間から静かに射し込んでいた。
フッと意識が浮上した。
……あぁ、なんだか既視感が……。
以前にもこんなことがあった気がする。
ちらりと横を見てみると、薄暗い部屋の中、ベッドの縁に音もなく人影が立っていた。ひー! ホラーだよ!!
一気に目が覚めた。
「──誰?」
「何で起きちゃうかなぁ……」
ヤバいヤバいヤバい。
超不審者なんですけど!
ガバリと起き上がりたいところだけど、急に動いて相手を刺激して刺されるとか嫌だからね。動きたい衝動をこらえて、静かに問いかける。すると、意外と若い男の声で返事(?)が聞こえた。
よく見てみると、不審者は闇に溶けるような黒い服装に薄暗い部屋の中でもわかる真紅の髪をしている。……スッゴい見覚えのある色ね。
今の時点で不寝番の騎士が入ってこないということは、騎士がヤられたか、不審者の侵入に気がつかなかったということ。その事実は、この不審者の実力が並大抵でないことを示している。
「──騎士はどうしたの?」
「ん? あぁ、あの程度の騎士じゃ俺の気配も掴めないよ?」
あっさりと、とてもあっさりと当たり前の事として言う男の声に嘘は感じない。この男にとっては取るに足らない事実でしかないのだろう。
……なんだってこんな手練れが。
ため息を吐きたくなる。
死亡フラグは立っていない。この男の目的は何だろう?
答えるかはわからないが、殺気とかも感じないし、聞いてみるかな?
「……あなたは、ここになにをしにきたの」
「へぇ。王女サマを殺しに来たとは思わないんだ?」
まるで戯れるかのように寝ている私の首に手を添えて、ゆるく力を入れてくる。
ひんやりとした指先が、あたたかな首筋の体温を奪ってゆく。
ニヤリと笑みを深める男の目を私はじっと見上げる。
そして────
「それはないわね」
私はキッパリと言い切る。
だって、この瞬間でさえ死亡フラグは立っていない。それだけは確信をもっている。
「へぇ……」
不審者は目をみはっていた。私の言葉が不思議でならないようだ。
しかし、驚きが去ったあとは面白そうに目を輝かせる。薄暗い室内でもわかる赤みがかった橙色の瞳を。
「俺のこと怖くないの? 君の事なんていつでも殺せるよ?」
「全然怖くないわよ」
だって、フラグ立ってないしね!
こと“死”に関しては、優秀な私のギフト。
私が死にそうな事柄に関してはすべてフラグが立つ。
誰かが計画するのはもちろん、自然死にも反応する。
▽転落死フラグが立ちました。
▽事故死フラグが立ちました。
▽溺死フラグが立ちました。
などなど。
▼と▽の違いは多分他者が介在しているか、ではないかと思っている。
……違う可能性もあるけどね。
だから、この男が私を殺そうとしていないのは明白だ。ただの脅しだろう……多分。
まぁ、私の仮定が間違ってたら死ぬだけだ。
死にたくないので、合っていることを祈ろう。
ホント頼みますよ!? 神様!!! こんなギフトをくれておいて、フラグが立たずに死んだら、天国で恨み言を延々と耳元で垂れ流しますからね!
神様に礼儀正しくお頼みしたあとで、質問を再開する。
「それで、結局あなたは何をしに来たの」
「君に会いに」
「はぁ?」
「ははっ。その反応傷つくなぁー」
寝言は寝てから言いなさい。
じとーっと見つめたら、不審者さんは肩を竦めた。
「君を殺すのに失敗しちゃったから、観察しにきたんだ」
……なんだソレ。
よっぽど私が不可解な表情をしていたのか、不審者さんはケラケラ笑いだした。ただし極小の声で。器用だね。
「意味がわからないわ」
「え、そう? 俺ねぇ、人を殺すのに失敗したの初めてだったんだ」
え、なに。私こんな危ないやつに狙われてたの!?
今さらながら心臓がバクバクしてきた。
「……それで?」
「びっくりして面白かったから、君のことを観察しにきたんだ。俺、かなり役に立つよ? だから拾って?」
もう一度言おう。
──なんだソレ!!!
「一番重要なことをまだ聞いてないわ。あなたは誰なの」
いや、大体予想はついてるけどね!
私の改めてした問いかけに、真紅の不審者は面白いことを思いついたかのように顔を輝かせる。その顔には大きくワクワクと書いてある。
うん。嫌な予感しかしないね。
「貴女の犬」
「……ハァ?」
ふざけた答えに思いっきり低い声が出た。
それを聞き、目の前の“自称私の犬”は極小の声で大爆笑している。
……本当に器用だね。
腹を抱えて爆笑している犬がイラッとする。
そんな態度をとられると、私もなにか報復がしたくなるじゃないか!
あ、いいことを思いついた。
私はにっこり、にーっこり笑ってあげる。
私の輝かしくも可愛らしい笑みを見た犬は、顔をひきつらせた。……失礼ね!
「おすわり」
「え」
“自称私の犬”が、ポカンと間抜けな顔になる。
「私の犬なんでしょう? なら、言うことを聞きなさい?」
間抜けな顔がひきつる。
ふふふふふ。仕返しは大成功ね。愉快愉快。私は内心で大笑いする。
しかし、敵は一枚上手だった。
「わかった。じゃあ認めてくれたってことは、俺を飼ってくれるってことだよね?」
男は、言葉と同時にベッドの上で器用に片膝をついた。
そして呆けている私の右手を恭しく手に取り、自分の額に当てる。
「これからよろしく。俺の飼い主サマ」
……え。
その後の話し合いに私はぐったりだ。
どうやら最初に犬の姿だったのは、犬の獣人の先祖返りらしく獣化が出来るとか。
「名前は無いから付けて?」とか。
「俺、すごく役に立つよ?」とか。
「拾ったんだから最後まで面倒みてよ」とか犬がしつこかった。
最初は抵抗した。
それはもう無駄だろうが抵抗した。
……そして、誠に遺憾ながら正式に拾うことになってしまった。
「これから先が楽しみだね? 王女サマ」
──あぁ、面倒なモノを拾ってしまったわ。




