12.~隣国ガルブへ(後編)~
雲一つない晴天。
そんな、天すらも祝福しているような中で行われた目出度い式典は、特に問題なく進行していった。
朝イチで教会の大聖堂での婚約宣誓式。
ガルブ王国の首都に存在する、この国一番の大聖堂。清らかで何にも染まらない純白の建物は、陽の光を浴びてキラキラと輝いていてとても綺麗だった。
そして、係の者の案内に従って大聖堂の中に入ると、正面には創造神を象った石像と巨大なステンドグラスが目に入る。
荘厳な大聖堂内は光の入り方を完璧に計算されていて、淡い光で浮かび上がるように、神聖な雰囲気に包まれていた。
式典はガルブ国王の挨拶から始まり、次に大司教様のありがたいお言葉が続く。それから第一王子の婚約者になる北の大国の王女様の紹介があり、披露を無事に済ませた。
北の大国の王女様は、ほっそりとした色白の美人さんで、淡い水色の髪と冬の空のような青灰色の瞳が雪の精のように綺麗な人だ。色合いは冬の寒さを連想させるが、本人はおっとりにこにこ笑う春の精のように可愛らしい方だった。
ふんわりした第一王子と一緒に並んでいる姿は、こちらまで思わず微笑んでしまうような、ほんわかした似合いの一対に見えた。
「しっかし、何事もなく式典が終了したわね」
式典の終了を告げる声を聞きながら、ぼそりと、誰にも聞こえないだろう声量で呟く。
厳重な警備がされていたとはいえ、全く仕掛けられない程でもなかった。
式典中さりげなく周囲を警戒してみたが、不穏な動きはなかった。建物から移動している途中で寄ってきた犬も不審な動きは今のところないと教えてくれた。
フラグはまだ折れていない。
とすると、残りは──
「夜、か……」
考えながら空を仰ぐと、私の不安を表すかのように、あれだけ晴れ渡っていた空にはうっすらと雲がかかっていた。
***
夜には婚約者一行を歓迎する舞踏会がある。
私は現在、人形のように大人しく夜会用の衣装にお着替えさせられている。
もちろん私はまだ子供なので、舞踏会は最初だけ参加して夜が更ける前に退散する。
……夜更かしすると、身長が伸びなくなるかもしれないしね!
睡眠は大事だ。ぜひとも身長を伸ばしたい。
それにしても……ドレスも装飾品もすごい豪華。この精緻な刺繍や宝石を散りばめられた繊細な細工物は全部でいくらくらいするんだろうね?
特に髪飾りがスゴい。宝石で出来た花に戯れる蝶が見事で、動いていないのに蝶の羽が微かに揺れるのだ。まるで蝶が本当に生きているように見える。これは絶対高価だよね。
着替え中の私自身は暇なので、一人品評会を行っていた。
舞踏会の会場に着いた。
美しい水晶のシャンデリアに一流の料理、上品に配置された瑞々しい花々が会場を彩っている。
内装の豪華絢爛さに感心しながら、私はおかしくない程度にあたりを見回した。すると……
ピロリン♪
▼現在、ガルブ王国の王子による毒殺フラグが進行中。五時間以内です。回避推奨。
……詳細キター! 暗殺計画の内容は毒ね。よし気をつける!
これからの五時間が勝負だ。食べ物に飲み物、あとは変なものに近づかなければいいかな。
自分のやることが決まったら、舞踏会が始まる前の緊張感が戻ってきた。
……初めて参加する他国の舞踏会だよ。うわぁ、ドキドキするわね。色々な意味で。失敗しないかしら?
成人の王族と比べればまだまだ楽だと知っているけれど、それでも多少は緊張する。
「王女様? 緊張しているのですか?」
そんな私に背後から声をかけてきたのは宰相だった。
私は宰相の姿に目を見張る。
真っ白なウサギ耳に我が国の国章入りの正装。いつもは風に流れるサラサラな白髪は、整髪料で綺麗に整えられていた。
正装姿の宰相は、見た目だけはいつも以上に極上だった。周囲にいる貴族のお嬢様や夫人たちが、ほぅと熱いため息を吐いている。
しかし本人は全く気にしていないのか、そちらに見向きもしない。
「あら……そう見える?」
「外見上は見えないですね」
……嫌な言い方ね。つまりは宰相には緊張しているように見えると。
「余裕よ」
ツンと顎を反らして言い切った私の反応に、宰相はふふっと笑った。
「これは失礼をいたしました。そろそろ第一王子様とご婚約者様が入場しますよ」
宰相が言うのと同時くらいに係りの者が声を上げる。盛大な拍手とともに本日の主役たちが入場してきた。
……おぉ、すごい。綺麗。
思わずうっとりと魅入ってしまう。
第一王子に手を取られて歩いてくる北の大国の王女様は、幸せそうに微笑みながら静かに入場してくる。
お揃いで作られたであろう、お互いを引き立てあうような一対の衣装がとてもよく似合っていた。
二人の挨拶が終わると、今まで流れていた音楽が変わりダンスが始まる。
通常なら一番手で踊るのは国王夫妻なのだが、本日最初に踊るのは第一王子たちである。
会場は主役たちのダンスを温かく見守った。
主要な人物たちが踊り終わったあとは大分空気が軽くなった。ここからは大人たちの社交の時間だ。
贅を凝らした空間で着飾った人々が談笑したり、踊ったりしていた。
さて、挨拶も終わらせたし、私はどうするかと視線を巡らせると、少し離れた場所にいる第四王子と目があった。
こちらへやって来ようとする第四王子に“うわ、ヤバイかも?”と思うがバッチリ目があってしまったので逃げることもできない。
しかし天は私を見放さなかった。
「王女さま」
可愛らしい声に振り返ると、第五王子が私に向かって駆け寄ってくるところだった。
視線を戻すと、ちょうど第四王子の方も他国の貴族に声をかけられている。
……よーし! 神様ありがとう!
厄介そうな相手にはなるべく近づきたくないからね。
心置きなく第五王子に向き直る。
「ごきげんよう。どうなさいました?」
「はい。お約束したでしょう? 王女さまにこの花束を受け取っていただきたくって」
「まぁ、ありがとうございます。とても綺麗ですわね」
「どうぞ受け取ってください」
はにかみながらソッとこちらに差し出してきた第五王子の手には、色々な種類の薔薇が美しくまとめられたミニブーケが握られていた。
特に真ん中に一輪だけある白薔薇はとても見事だった。
真っ白な花弁が薄っすらと発光しているかのように見える薔薇で、私も今まで色々な薔薇を見てきたが、初めて見る薔薇だ。
……ん? いや、どこかで見たような?
「あら? この薔薇は……」
「ご存知なのですか?」
確かあの花図鑑で見た。
「確か“天上の薔薇”と呼ばれているのでしたか? 香りのある薔薇で、色は赤系か黄色だと思っていましたが……」
うーん? 花図鑑で見たのと色が違うよ……ね?
「そうです。普通は淡紅色か真紅、黄色なのですが、そんな中で奇跡と言われるほど珍しい“白”なのです。“白”は香りも見た目の美しさも最上級です。どうでしょう。気に入っていただけましたか?」
にっこりと笑う第五王子。
……おおおおお? そんな貴重なものをいいの!?
奇跡と言われる白薔薇なんて、普通ならお目にかかれないってことだものね。第五王子に感謝である。
ヤバい。嬉しくて顔が笑みでゆるむ。
「本当に素晴らしいです。ありがとうございます」
第五王子から花束を受け取り、珍しいその花の香りを嗅ぐために顔を近づける。ふわりと、かすかな甘い匂いが鼻をくすぐった。そのうっとりとするような馥郁とした香りに心が踊る。
もっと香りを楽しみたくて、薔薇に顔を寄せると────
ぐしゃり、と目の前で花を握り潰された。
誰が、と振り返る前にグイッと肩を引かれる。そして
「迂闊ですねぇ、王女様」
低く、愉しそうな声が耳元に吹き込まれた。
!!?
え、宰相!?
ど、どうしたの?
驚きで目を見開く。
すぐそばに超笑顔なのに目が笑っていない宰相がいた。
どうやら薔薇を握り潰したのは宰相のようだ。突然の行動に疑問を覚えるよりも。
……超怖いんですけど。
にこやかに笑っているように見える宰相が怖すぎた。
「迂闊……とは?」
とりあえず刺激しないようにそっと問いかけてみた。すると、宰相はびくびくしている私を見て少しだけ雰囲気を和らげた。……ふぅ、ビビったー!
「王女様は、その薔薇のことをご存知なのですか?」
内心安堵していると、宰相によくわからないことを訊かれた。
……この薔薇のこと?
「え? ……えと、“天上の薔薇”ですよね?」
「ふむ。それはご存知でしたか。では、色の意味は?」
「色の意味?」
色の意味ってなによ。花言葉とか?
こちらの疑問が顔に出ていたのだろう。
宰相は愉しそうに笑い、唄うように続けた。
「“天上の薔薇”の淡紅色は甘い香りで人を惹き、
“天上の薔薇”の真紅はその姿で人々を魅了し、
“天上の薔薇”の黄色は枯れたあとに薬になる。
そして、幻の“天上の薔薇”の白は“天使の微笑み”とも呼ばれ、その香りを一定以上吸い込むと死に至る──そうです。まぁつまり毒ですね」
……。
…………。
「……え」
「しかも猛毒。遅効性で香りを吸い込んでから数時間後に眠るように穏やかに息を引き取るそうです」
「では、私は」
「王女様が吸い込んだのは少しだったので大丈夫でしょう」
「そう……なの」
危なかった……もう少し深く吸い込んでいたらと思うとゾッとする。
寒気と安堵に息を吐いている私に、宰相は爆弾を落とした。
「つまり、王女様はそこの第五王子に殺されかけたってことですよ」
今度こそ意味がわからない。
フラグの王子が第五王子ってこと?
何で私が第五王子に命を狙われるの?
今回のガルブ王国への訪問が初対面のはずなのに。
頭が混乱したまま第五王子の方を見ると、彼はにこにこ笑っていた。
あまりにも無邪気に笑っているので、宰相の思い違いじゃないかと思ったのだけど……
「あーあ、バレちゃいましたか」
とあっさりと認めた。
「なん……で」
「ふふっ。貴女のことが邪魔だったからですよ」
「どういうことですか?」
私が聞き返すと、第五王子はにっこり笑った。
「僕ねぇ。王様になりたいんです」
言葉はわかるが、意味がわからん。それが私にどう関係があるのよ?
疑問が顔に出ていたのか、くすくす笑いながら第五王子は種明かしした。
「ねぇ、年齢が低いだけで王になれないなんてバカらしいと思いません? ちょっと生まれてくる順番が遅かっただけで、僕は王になれない。僕の上には四人も兄がいる。王になるために兄たちを一人ずつ潰すのは大変だ」
「……」
「そこで僕は考えたんです。どうすれば王になれるかを。そして妙案が浮かんだ。他国の王位継承者の姫と結婚して、しばらくしたら姫を亡き者にすればいいと。
みんな言っているよ? 僕は王に相応しいって。ただ、生まれる順番が遅かっただけだと」
「なのに何故今私の命を狙ったのですか?」
この王子の主張を聞くと、私と結婚してから亡き者にするっていう感じじゃないの?
すると第五王子は何かに憑かれたように、瞳に熱を灯してしゃべり続ける。
「リヴァージュ王国の次期王はまだ決まっていない。本来なら二人の王女のどちらかと婚約できればいいんだけど、愚かだと評判の異母妹と違って貴女はとても扱いづらそうだ。だから先に──」
流れるようにしゃべる第五王子の目が完全にイッちゃっている。
うわー、こっわー!
こんな考え方をする子だとは思わなかったよ!?
第五王子がさらに捲し立てようとした時、今まで黙って横で聞いていた宰相が動いた。
ガシッ
すんごく愉しそうに嗤いながら、第五王子の頭を片手で掴んだのだ。
えっ。
宰相が私の前に出たので今は背中しか見えないが、前方でナニかがミシミシと音を立てている。
「さて、寝言はもういいですよね? 耳が穢れてしまいます」
「ヒッ」
宰相がどんな顔をしているのかわからないが、第五王子は真っ青になりながら悲鳴を飲み込んだ。
「王女様」
「っ、なんでしょうか」
くるりとこちらを振り向いた宰相はイイ笑顔だった。
背筋がゾクゾクする。
……怖い怖い怖いから!
「もういい時間なので部屋に戻って寝てください。僕はこの不届き者のことをこの国と話し合わなければならなくなりました」
「はい」
私の勘が告げている。今は「はい」以外の言葉を発してはいけないと。
宰相は満足そうに頷いた。
「いいお返事ですね。では、おやすみなさい」
私は一目散に部屋へと戻った。
こうして、初めての他国訪問……ガルブ王国での最終日は終わった。
このあとの話し合いがどうなったのか、私は知らない。