10.~隣国ガルブへ(前編)~
夜の温室薔薇園。
ここは一年中様々な薔薇が咲いている。
やわらかな薔薇の香りに包まれて、私はキツネさんとお茶をしていた。
「王女様、今度隣国のガルブ王国に行くのですよね?」
キツネさんが優雅にお茶を飲みながら聞いてくる。相変わらず背後の薔薇がよく似合う、華のある美貌だ。
……あれ、おかしいなー。それまだ決まったばかりなんだけど。本当にどこから情報を得ているのよ。
私は『陽春祭』で合格をもらったので、最近はいくつか国内での公務をこなしている。
『陽春祭』では特に事件は起きなかった。いや、式典の最中に一度毒矢が飛んできたが、私の護衛をしている騎士が何でもないことのように対処していた。そして手早く犯人も捕縛されていた。
……飛んでくる矢を切り伏せる人って前世のマンガとか以外で初めて見たわ。出来るんだね、ああいうこと。
素直に感心していた私は「騎士って普通にあぁいうこと出来るんだ。凄いねー」って言ったら犬に大笑いされた。何でよ。
次は外交を経験してみる予定なんだけど、それを何故キツネさんが知っているのか……。
一応キツネさんは疑問形で言っているけど、その瞳は確信に満ちている。
「えぇ、そうです。それが何か?」
とぼけても仕方ないので、お茶を一口飲んでから何でもないことのように答えると、キツネさんは面白そうに目を細めた。
唇の端をわずかに上げ、とても満足そうな顔をしている。
「最新の情報があるんですが、いかがでしょう?」
キツネさんから言ってくるってことは私が知っておかないとマズイってことかしらね。
対価の情報に今回は何を要求されるかわからないけど。知らないまま事件に巻き込まれるのはごめんだ。
「ぜひ、教えてもらいたいわ」
さて、無事にガルブ王国から帰って来られることを祈ろう。
***
十歳になった。
本日は公務で隣国に来ている。
はい。ここで新たな事実が判明した。
馬車で隣国まで移動したんだけど、国境にある関所を抜けた瞬間
ピロリン♪
▼ガルブ王国の王子による暗殺計画が進行中。回避推奨。
ふぉわあぁぁぁ!! まさかの、まさかの国境線!!!
私のギフトって国内しか反応してなかったのか!
超びっくりした。そういえば、今までのフラグって国内だけだった。
今まで特に疑問に思わなかった。危なっ。
内心冷や汗ダラダラの私に声をかけるものがいた。
「王女様? どうしたんですか?」
宰相だった。
不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
真っ白なウサギ耳が馬車の天井をこすりそうでこすらないのが地味に気になる。
……ちょっと触らせてくれないかなぁ。無理か。
「いいえ。なんでもありません」
宰相からそっと目をそらしつつ、どうしてこんなことになっているのか思い返してみる。
今回私は西にある隣国のガルブ王国へ向かっている。第一王子の婚約披露の式典に親善大使として参加するためだ。
いつもはとある大貴族がこの役目に就いているのだが、今回は隣国の第一王子の婚約披露の式典ということで、王族を出席させることになった。
何故宰相だけでなく、私も一緒なのか。ぶっちゃけ宰相だけでいいんじゃない?と最初は思った。
しかし、お父様に「ちょっと早いけど、これも王族としての経験を養うためだよ。むしろ宰相はお前のお目付け役として行くんだよ」と微笑んで言われ、納得した。確かに少し早い気がするけど、いつかは経験しないといけないことだ。そして、お父様は私の耳元でこっそりと「だから、多少失敗しても宰相がどうにかしてくれるよ。ガルブ王国は我が国の宰相のことが苦手だからね」と悪戯っぽく囁かれた。
……お父様。ワルいお顔をしていますよ?
移動は馬車だった。
道中では宰相に「どうせ着くまで暇なのですから、お勉強しましょうか」といい笑顔で言われて強制勉強会になった。
今までに勉強した隣国ガルブのことと、今回呼ばれている国々のおさらいだ。
ガルブ王国のことは教師に教えてもらったのと、以前アウイルにきっちり教えてもらったので大丈夫だと思うけど、宰相に添削されるのは緊張する。
馬車の揺れと勉強で気分が悪くなった。
……あぁ、頭とお尻が痛いわ。
最高級の王族専用馬車だが、長時間座っていることでお尻が痛くなってきた。
なんということだ。私の玉の肌に傷がついてしまう!
そんな風に現実逃避をしていたら、宰相に「王女様は講義ではなく説教をお望みのようですね?」と言われた。
緋色の瞳が愉しげに細められ、口元には愉悦の笑みが浮かんでいる。
いいえ、いいえ! そんなことありませんから! 説教とかホント勘弁だから!
私の願いもむなしく説教された。
***
道中は勉強と説教以外は何事もなく、隣国の王宮にたどり着いた。到着後の挨拶も無事に済んだので、そこで宰相とは別行動になった。宰相は嬉々として「では、僕はある人にちょっと用事がありますので」と、とても愉しそうな笑顔で去っていった。どこに向かったのかはわからないけど、相手は本当にお気の毒さまである。しかし私にはどうすることもできない。触らぬ神に祟りなしである。
とりあえず私は迎賓館の部屋に案内してもらい休んでいる。
このあとは夕食まで自由時間だ。
さてどうしようかしら。
うーん、と悩んだけれど、他国で出来ることなど限られている。私はこの部屋付きの使用人に庭園へ行きたいと告げた。
夕陽に照らされるみずみずしい樹木。そして咲き乱れる花々。自国に生えているものとそう変わらなく見えるが、なんとなく空気の匂いもどこか嗅ぎなれないものに感じる。
「ワン!」
見事な庭園を眺めていたら、足元に真紅の仔犬が駆け寄ってきた。
初めての他国で少し心細かったのもあり、リブルを少々強引に連れてきたのだ。最初は私と同じ馬車に乗せるつもりだったが、宰相が一緒なのをみてそそくさとメイドさんが乗る馬車に乗り込んでいった。……裏切り者め!
だからリブルと行きの馬車は別々だったが、メイドさんたちに丁寧にお世話をされていたのか、毛が艶々している。リブルはこちらの機嫌を取るように可愛らしく小首を傾げ、上目遣いに見つめてきた。実にあざとい。
……ふーんだ。それくらいで私が許すと思ったら大間違いよ?
ツンとあごをそらしつつチラリと仔犬を見てみると、仔犬は顔を上げ、うるうると潤んだ瞳で真っ直ぐこちらを見つめ「きゅうん」と寂しげに鳴いた。実に、あざとい!
……わかっている。これは相手の策略だとわかっているけど…………可愛いのよ!!
相手のあざと可愛さに陥落した私は、サッとしゃがんでわしゃわしゃと仔犬を撫で回す。サラサラの真紅の毛が気持ちよかった。
心ゆくまで仔犬を撫で回したら、仔犬が気持ち良さそうにぐったりしていた。ふっ、勝ったわ。
なんの勝負かはわからないが、いい気分で散歩を再開するかと歩きだしたところで声をかけられた。
「君がリヴァージュ王国の王女か?」
聞こえてきた声に振り向くと、茶色い髪の毛に紅茶色の瞳の私よりいくつか年上に見える生意気そうな男の子がいた。
王族しか着ることのできない服装と見た目の年齢から、この国の第四王子か第五王子だろう。多分。
「ご機嫌よう。私はリヴァージュ王国の第一王女ですが、貴方は?」
「これは失礼した。私はアルバ。このガルブ王国の第四王子だ。もしこのあとお時間があれば我が国自慢の庭園を案内したいのだが、いかがだろうか?」
友好的な雰囲気を醸し出しつつも鋭い目付きでこちらを観察してくる第四王子。
うーん、どうしようかな?
案内してもらうことにした。暇だし。
「我が国の庭園は美しいだろう」
「えぇ、そうですね。彩り豊かでとても美しいです」
「そうだろう。我が国では──」
ペラペラと自慢気に話す第四王子。
この庭園で私と出会ったのは偶然ではないはずだ。年回り的にもこれは遠回しなお見合いみたいなものなのだろうか。
……それとも、今回の刺客はこの王子なのだろうか?
ギフトでは王子が暗殺計画を立てていることしかわかっていない。
ガルブ王国には三人の妃が産んだ五人の王子と三人の王女がいる王族の多い国だ。確か第四王子は第三妃が産んだ王子で年齢は十四歳。そして今回キツネさんから聞いた情報の一つなんだけど……第三妃は王妃様と血縁関係があるらしい。
そっとため息を吐く。
……なんか面倒なことになりそうな予感。