第4話 王都から来た女
翌朝、学園の空気はどこかざわついていた。
講堂前に、見慣れない紋章付きの馬車が停まっている。
白銀の紋章――王都魔導研究院。
「視察だってよ」
「こんな時期に?」
生徒たちのひそひそ声。
アルトは廊下の窓からその馬車を眺めていた。
(昨日の訓練場……見られていた?)
直感があった。
あの視線。
訓練場の上階から感じた、冷たい観察。
「全員、講堂へ集合!」
ガルドの声が響く。
講堂に集められた生徒たちの前に、一人の女性が立っていた。
銀髪。
無駄のない黒の魔導服。
年は二十代前半ほどだろうか。整った顔立ちだが、表情は淡い。
冷たいわけではない。
ただ、感情を表に出さない。
「王都魔導研究院、特別観測官ミレイア・ルーンフェルトです」
静かな声。
だが、講堂の隅まで通る。
「本日は、次世代魔導適性の調査に参りました」
視線がゆっくりと動く。
一人ひとりを測るように。
そして。
一瞬だけ。
アルトで止まった。
ほんの一瞬。
だが確実に。
「まずは、昨日の模擬戦の記録を拝見しました」
ざわ、と空気が揺れる。
リシアがわずかに背筋を伸ばす。
「興味深い事象がありました」
ミレイアの視線がリシアに向く。
「暴走寸前の火属性魔法が、外部からの指示で安定化した」
講堂が静まり返る。
ガルドが咳払いをした。
「偶然です。未熟な制御を修正しただけの――」
「第三位相の遮断」
ミレイアが淡々と言う。
「第二圧縮を維持したまま増幅のみを切る。理論上は可能ですが、感覚操作では困難です」
ざわめき。
リシアが息を呑む。
あのときの言葉。
第三位相を切れ。
「その指示を出したのは?」
沈黙。
ガルドは言葉に詰まる。
数秒後。
「……アルト・ゼインです」
講堂中の視線が一斉に集まる。
アルトは立ち上がった。
「あなたが?」
ミレイアの視線が向く。
冷静。
だが興味が混じっている。
「はい」
「理由は」
「構造が崩れていたからです」
昨日と同じ答え。
だが、今度は笑いは起きなかった。
「構造、とは?」
「魔法は三層構造です。属性分離、圧縮、増幅。第二層の熱損失が限界に達していました」
ミレイアの瞳がわずかに細くなる。
「……その用語は、学園課程では教えていないはず」
「はい」
「どこで学んだのですか」
「観察です」
数秒の静寂。
そして。
ミレイアの口元が、ほんのわずかに上がった。
「面白い」
講堂がざわつく。
リシアの胸がどくりと鳴る。
その声色。
自分に向けられたことのない響き。
「アルト・ゼイン。少し話を」
「授業があります」
ガルドが遮る。
だがミレイアは視線を外さない。
「研究院の権限で、個別面談を求めます」
静かな圧。
教師は黙るしかない。
講堂が解散した後。
応接室。
ミレイアとアルトが向かい合う。
机を挟んで。
「あなたの鑑定結果は拝見しました」
「ゼロです」
「ええ」
否定しない。
「ですが、昨日の発言は高度な理論理解を前提としています」
「理論というほどのものでは」
「謙遜は不要です」
鋭い。
だが攻撃的ではない。
「魔法を“層構造”として認識できるのですか」
「はい」
「視覚的に?」
「感覚に近いです」
ミレイアは少し考え込む。
「……興味深い」
その言葉に、リシアの姿が脳裏をよぎる。
講堂での視線。
訓練場での距離。
なぜか胸がざわつく。
「あなたは、自分が異質だと理解していますか」
「はい」
「怖くは?」
「怖い、とは?」
「排除される可能性」
アルトは少しだけ目を伏せる。
「昨日、既に無能と宣告されました」
事実を述べるだけの声。
だがそこに、わずかな痛みが滲む。
ミレイアはそれを見逃さない。
「……王都に来る気はありますか」
唐突。
「研究院で、正式に理論を検証できます」
沈黙。
その頃。
廊下の外で。
リシアが立ち止まっていた。
扉の向こうの会話は聞こえない。
だが分かる。
奪われるかもしれない。
昨日まで無価値だった少年。
自分だけが見つけた“可能性”。
(……嫌)
胸が締め付けられる。
これは何だろう。
尊敬?
感謝?
違う。
もっと個人的で、独占的な感情。
応接室の中。
「……即答はできません」
アルトが言う。
「今はまだ、学園にいます」
「理由は?」
一瞬、迷う。
そして。
「教える約束があります」
ミレイアの眉がわずかに動く。
「誰に」
「リシア・フレイムハートに」
沈黙。
数秒。
そして。
「……なるほど」
ミレイアは静かに立ち上がる。
「焦りません。ですが、あなたの存在は王都に必要です」
その言葉は重い。
扉が開く。
リシアと目が合う。
銀と紅。
無言の火花。
「お話は終わりました?」
リシアが平静を装って言う。
「ええ。非常に有意義でした」
ミレイアは微笑む。
薄く。
知的な笑み。
「あなたも興味深い。制御効率が昨日より改善していますね」
リシアの胸が高鳴る。
見抜かれている。
「彼に教わりました」
無意識に言ってしまう。
「そう」
ミレイアの視線が再びアルトへ向く。
「良い師を持ちましたね」
その一言が、妙に引っかかる。
師。
距離を感じさせる言葉。
リシアは一歩、アルトに近づく。
「……まだ教わることがあるの」
宣言のように。
ミレイアはそれを観察する。
炎の揺らぎ。
独占の芽。
「王都で続きをするという選択肢もありますよ」
さらりと言う。
空気が張り詰める。
リシアの瞳が鋭くなる。
「彼は、まだ学園生です」
「ええ。今は」
静かな牽制。
アルトはその間で、ただ事実を見ている。
感情の熱。
知性の冷気。
二つの異なる温度が、自分を挟んでいることに。
まだ、気づいていなかった。




