第3話 暴走する紅蓮
夕暮れの訓練場は、昼間とは別の顔をしていた。
橙色の光が石畳を染め、中央に設置された簡易魔法陣が淡く輝いている。周囲には誰もいない。正式な授業時間は終わっているからだ。
先に来ていたのはリシアだった。
腕を組み、中央に立つ。その姿は昼間と変わらず堂々としているが、胸の内は穏やかではない。
(暴走……私が?)
あり得ない。
そう思いたい。
だが事実、あの瞬間、制御は崩れかけた。
足音が近づく。
「待たせましたか」
アルトだった。
いつも通りの無表情。気負いも、遠慮もない。
「別に。今来たところよ」
反射的に少し強い口調になる。
「……始めましょう。何をすればいいの」
「まず、普段通りに発動してください」
「それだけ?」
「はい」
簡潔。
命令でもなく、お願いでもない。ただ観察する研究者の声。
リシアは小さく息を吸った。
「紅蓮閃」
炎が立ち上る。
昼間より抑えた出力。それでも訓練場の空気が熱を帯びる。
アルトは炎をじっと見つめる。
その瞳は炎ではなく、内側を見ている。
(第二層、やっぱり歪んでる)
「第二圧縮を維持したまま、出力を三割落としてください」
「三割? 感覚で?」
「違います。圧縮を強めて、増幅を削る」
意味が分からない。
だが、なぜか従ってしまう。
炎を意識の中で“締める”。
すると、炎の形がわずかに変わった。
「今です。増幅を切って」
リシアは歯を食いしばり、増幅層を意識的に断つ。
炎が小さく震え、安定した。
昼間とは違う。
暴れない。
揺れない。
ただ、静かに燃えている。
「……なに、これ」
自分の炎なのに、別物のようだ。
「熱損失が減っています。制御効率が上がった」
淡々とした声。
「あなたの炎は強い。でも無駄が多い」
その言葉に、胸がちくりと痛む。
「無駄……?」
「はい。出力に頼りすぎている」
リシアは炎を消した。
沈黙。
「……私は、ずっとこれでやってきた」
「知っています」
「これで勝ってきたの」
「知っています」
「じゃあ、何が悪いの」
声がわずかに揺れる。
アルトは少しだけ視線を逸らし、そして戻した。
「悪くはありません」
「でも?」
「壊れます」
一瞬、時間が止まった。
「……壊れる?」
「今の出力を続ければ、いずれ制御が追いつかなくなる。今日みたいに」
胸の奥に、冷たいものが落ちる。
父の声が蘇る。
『フレイムハートの炎は最強であれ』
『お前の価値は炎の強さだ』
リシアは拳を握る。
「私は……炎がなければ、何もない」
ぽつりと漏れた。
言うつもりはなかった。
だが止まらなかった。
「首席も、家名も、全部。炎が強いから」
夕暮れの光が揺れる。
「もし壊れたら、私は――」
言葉が続かない。
自分でも驚くほど、弱い声だった。
アルトは少し黙った。
そして、静かに歩み寄る。
「あなたは炎じゃない」
目の前に立つ。
「炎を使っている側です」
リシアが顔を上げる。
「炎がなくても、あなたはあなたです」
真顔。
慰めではない。
本気だ。
「才能は道具です」
「道具……?」
「はい。あなた自身ではない」
胸が締め付けられる。
そんな風に言われたことは、一度もなかった。
炎=自分。
そう教えられてきた。
アルトは、リシアの右手を取った。
「……っ」
突然の接触に、心臓が跳ねる。
「今、魔力を流します」
低い声。
近い。
息が触れそうな距離。
アルトの指が、彼女の手首に触れたまま、微弱な魔力を流す。
「感じてください。第二層の流れ」
体の内側を、何かが滑る。
炎の流れが、初めて“分解”される感覚。
「……なに、これ」
「構造です」
指先がわずかに震える。
熱ではない。
別の震え。
アルトは気づいていない。
ただ真剣に流れを示している。
「あなたの炎は、強すぎる」
「褒めてるの?」
「いいえ」
即答。
少しだけ、悔しい。
「でも、綺麗です」
一拍遅れて付け足す。
その言葉が、胸の奥に落ちた。
綺麗。
強いでもなく、凄いでもなく。
綺麗。
顔が熱くなる。
「……あなた、無自覚ね」
「何がですか」
「なんでもない」
リシアは手を引いた。
だがその感触は残っている。
「もう一度やるわ」
炎を発動する。
今度は、教えられた通りに。
圧縮を意識し、増幅を抑える。
炎は小さい。
だが揺れない。
安定している。
初めて、自分の炎が“制御できている”と感じた。
リシアは小さく笑った。
「……できた」
子どものような、素直な笑み。
アルトは少し目を見開く。
「はい。完璧です」
その言葉に、胸が高鳴る。
完璧。
父でもなく、教師でもなく。
彼が言った。
夕暮れが完全に落ちる。
訓練場に二人きり。
「明日も、来なさい」
リシアが言う。
「まだ教わることがある」
「分かりました」
当然のように頷く。
その自然さが、少し嬉しい。
帰り際。
リシアは背を向けたまま言う。
「……あなたは、無能じゃない」
小さな声。
「少なくとも、私にとっては」
足音が遠ざかる。
アルトは立ち尽くしたまま、夜空を見上げた。
初めて、自分の“ゼロ”が、誰かの役に立った。
胸の奥が、わずかに熱い。
その頃、校舎の上階。
訓練場を見下ろす影があった。
「……面白い」
銀髪の女性が、静かに呟く。
王都魔導研究院、特別観測官。
ミレイア・ルーンフェルト。
「構造を理解している……?」
彼女の瞳が、わずかに細められた。
運命の歯車が、静かに動き始めていた。
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