第四十六話:波の音
海岸からの帰り道は特に会話も交わすことなく、わたくしたちは足早に宿へと戻ってきました。
部屋の扉が閉まった瞬間、重苦しい沈黙が落ちます。
ニーナの視線が、痛いほど真っ直ぐにわたくしへと突き刺さっていました。
「あ、あの…ニーナ。今回のことは…その…」
気まずさに耐えかねて口を開きますが、ニーナは静かに、けれど強く首を横に振ります。
「ルナイズ、まずは全部一から説明いただけますか?」
その声は怒りで震えているというより、なにか切実な響きを帯びていました。
わたくしは観念して頷き、あの地下空洞であったことを全て話しました。
ネモと名乗る男が会話を持ちかけてきたこと、この国を壊す手助けをしてほしいと誘われたこと。
そして、空洞を爆破すると告げられ、彼の案内に従って地上へ上がってきたこと。
「…そうですか。事情は分かりましたが、納得はできません。それに、ルナイズの行動も合理的とは到底思えません。」
ニーナは小さく息を吐き出し、わたくしを真っ向から見据えました。
「そう…ですよね。相手の素性も分からないのに、わたくしはあの時信用してもいいと…そう思ってしまったのです。」
わたくしは視線を落とし、言葉を紡ぎます。普段のわたくしであれば絶対に選ばない非合理的な選択。
自分でも、なぜあのような行動をとったのか、上手く説明できないもどかしさがありました。
「いいですか、ルナイズ。詐欺師や悪党というものは、得てしてまともに見えるものなのです。いくらそう思ったからと言って…」
ニーナは諭すような口調でわたくしをたしなめます。
「で、でも、今回は…」
「ルナイズ! 慎重に行動をしてくださいという話をしているのです。」
ニーナの悲痛な叫びが、部屋に響きました。
その切実な表情を見て、わたくしは言葉を詰まらせます。
『《自業自得であろう、ワガハイもそう思う…だが、今回の動きはあまりにも軽率だったな、貴様らしくもない。》』
脳内で、先生までもが厳しいダメ出しをしてきます。
わたくしは、ニーナの真っ直ぐな瞳と、先生に向かって、ゆっくりと口を開きました。
「…なにも全く考えなし、というわけではありませんでした。今回と同じようなことがあって、また相手を無条件に信用する…なんてことはありませんわ。」
「ただ…」
わたくしは自分の両手を見つめ、あの暗い地下での出来事を思い返します。
「ネモの、あの瞳の奥の暗い色。…それは、かつて塔に幽閉され、全てを諦めていた頃のわたくしと…どこか似ていたのです。」
「ルナイズ…」
「【真理解析】でも読み取れない相手でした。だからこそ、わたくしは自分の目で、ネモが何者なのかを見極めたかった。…ただそれだけなのです。」
わたくしは、ぎゅっと拳を握りしめました。
「…ただの、わたくしの傲慢な直感ですわ。ニーナが怒るのも無理はありません。心配をかけて、ごめんなさい。」
わたくしが深々と頭を下げると、部屋の中にしばらく、波の音だけが響きました。
ニーナは何か言いたげに複雑な表情をしていましたが、やがて、肩の力を抜き、大きく息を吐き出しました。
「はぁ…そんなにしょげないでください。分かりました、今回の件は特別で、普通ならありえなかったということで納得しました。」
「ニーナ…」
「ただし。次は必ず私を頼ってくださいね。」
「…ええ。約束しますわ。」
念を押すように告げたニーナに頷き返すと、彼女はようやくいつもの柔らかい微笑みを浮かべてくれました。
そして、パンッと小さく手を打ち鳴らし、部屋の空気を入れ替えます。
「さて、この重い話はおしまいです。あのギルドの様子ではまともな依頼も期待できない以上、この街に長く留まる理由も無いと思いますが、これからどうしますか?」
「そう…ですわね。」
わたくしは窓の外、月明かりに照らされる夜の海を眺めながら思考を巡らせます。
窓から吹き込む潮風を感じていると、もう少しだけ海を見ていたい気もします。ですが、早く色々な街や景色を見て回りたい気もして、なかなか結論が出ません。
(先生はどう思いますか?)
『《むう、ワガハイはその場に留まって本を読むのが性に合ってるからな。旅の情緒とやらは分からん。》』
(そうですか…うーん、どうしましょうか。)
わたくしが一人で悩んでいると、ニーナが優しく語りかけてきました。
「そんなに焦って悩む事はありませんよ。自分の心の声に従えば良いのです。気になったら、またいつか戻ってやり直してもいいのですから。」
「また戻ってきても、いい…」
その当たり前の事実に、わたくしは小さく息を吐き出しました。
急いで先へ進まなければいけない理由も、誰かに旅程を急かされる理由も、今のわたくしたちには無いのです。
「それなら、ニーナはどうしたいですか?」
「私ですか? そうですね…」
ニーナは天井を仰ぎつつ考えています。
「私は基本ついていくだけですから、ルナイズが最終的に決めてほしいと思います。というのを念頭に置きつつ…私なら、ここでしかできないことをやってから次の街へ行きますね。」
「ここでしかできないこと、ですか?」
「ええ。海を見たり、船に乗ってみたり、釣りをしてみたり…。そういえば、ネモがなぜわざわざここに拠点を築いていたか、少し調査してみるのもありかもしれませんね。」
「なるほど…とても参考になりましたわ。ありがとうございます。」
わたくしは小さく頷きました。
「そうしたら…あと数日、この街に滞在してもいいかしら?」
「ええ、もちろんです。大した依頼もないとは思いますが、少しだけ路銀も稼いでおきましょうか。」
窓枠にもたれかかり、再び夜の海へと視線を向けました。
月光に照らされてきらきらと輝く水面は、どこまでも広く、穏やかです。




