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第四十三話:海と波

セルリアの宿の部屋。窓の外から聞こえてくる波の音を聞きながら、わたくしは深く息を吐き出しました。

旅の疲労を癒やしつつ、わたくしたちは木製の丸テーブルを囲み、これからの予定について話し合っていました。


「ニーナは依頼で何度かこの街に来たことがあると言っていましたが、地理には詳しいのですか?」

わたくしが尋ねると、ニーナは申し訳なさそうに首を横に振りました。

「いえ、毎回港での護衛任務が終わるとすぐにアルカディアへ戻っていたので、ゆっくり見て回ったことは一度もないんです。」

「そうですか。とりあえず一番近い都市ということでここに来ましたが、どう動くのがよろしいでしょうか。」


「そうですね…」

ニーナは少し顎に手を当てて考え込み、やがて顔を上げました。

「まずは冒険者ギルドに出向いて、情報収集と依頼のチェック。その後は状況次第で街を散策してみる、というのはどうでしょうか。」

ニーナは皮袋を確認しつつ、続けます。

「路銀はまだ余裕があるので、受ける依頼は緊急性が高いものや割のいいものに絞って、条件に合うものが無ければ保留にしましょう。」


『《ふむ。なかなか効率的で堅実な考え方をする小娘だな。》』


脳内で先生が感心したように呟くのを聞き流しつつ、わたくしはニーナに向かって微笑みました。

「さすがですわね、とても合理的でいいプランだと思います。そうしましょう。」

「…光栄です。」

ニーナは少し照れたように笑いました。


***


翌日。わたくしたちは早速ギルドに出向きましたが、掲示板の依頼書は驚くほどまばらでした。

アルカディアのギルドの喧騒とは違い、建物内もどこか落ち着いていて、荒くれ者の姿も少ないように見えます。


「やっぱり、こんなものですか…」

ニーナが掲示板を見上げながら、苦笑いを浮かべました。

「ここはオーレリア王国唯一の港町ですから、国の重要な物流拠点なんです。だから王都からの援助や治安維持の予算が手厚くて、冒険者に回ってくるような厄介な依頼が残りづらいらしい…とは聞いていたのですが。」

「なるほど。街が平穏なのは良いことですが、稼ぐとなると少し不便ですわね。」


その後、受付の方に話を伺ったり、併設された酒場で情報収集を行いましたが、特にこれと言った収穫はありませんでした。


「こういった依頼の少ない状況が続くと、今後の旅費のやりくりが大変ですわね。」

ギルドを後にし、活気ある街並みを歩きながらわたくしがこぼすと、ニーナは励ますように笑いました。

「ここはわりかし特殊な街ですよ。ここだって最悪、選り好みしなければ、何かしらの仕事はありますし。」


『《最悪、ルナイズ一人であれば金などかからんしな。》』

(もう緊急時以外却下ですわよ、あんな生活。)

脳内の先生の極端な提案を即座に切り捨て、わたくしは周囲を見渡しました。

海産物を焼く香ばしい匂いや、異国の言葉が飛び交う市場の喧騒。アルカディアとは違う、新鮮な空気に満ちています。


「まあ、急ぐ旅でもありませんし。今日は依頼はお休みにして、この街の空気を楽しむとしましょうか。」


そう言って歩いていると、不意に潮の香りがひときわ強くなりました。

建物の隙間を抜けた先、目の前に眩しいほど真っ白な砂浜と、輝く海が広がっていました。


「あ、ルナイズ。あそこまで降りてみませんか?」

ニーナが少し興奮気味に海を指差します。

「ええ、構いませんわ。」


舗装された石畳の道を抜け、砂浜へ降ります。

わたくしたちはブーツを脱ぎ、素足になって波打ち際まで歩み寄りました。


ざざぁっ、と。

寄せては返す波が、足元を優しく撫でていきます。

暑い時期なので、ひんやりとした海水が心地よい清涼感をもたらしてくれました。


「涼しげで、とてもいいですわね。」

「そうですね、気持ちいいです!」


わたくしは、砂をすり抜ける水の不思議な感覚を楽しみながら、少しだけ足で水を跳ね上げてみました。

ぴちゃっ、と冷たい水滴がニーナの頬にかかります。

彼女は一瞬きょとんとしましたが、すぐにイタズラっぽく笑いました。


「あ、やりましたね! えいっ!」

パシャッ!

ニーナも足で水を掛け返してきて、わたくしたちははしゃぎながら、波打ち際を歩きました。


しばらく歩いた後、少し乾いた砂浜に腰を下ろし、二人で海を眺めます。

どこまでも続く青。空と海が溶け合う水平線。


「わたくし、海は初めて見ましたが…本当に、きれいですね。」

「そうですね。海と空しかない景色って、なんだか神秘的ですよね。」


波の音に耳を傾け、穏やかな時間を楽しんでいた、その時でした。


『《…ルナイズ。そこから少し離れたところに、妙な気配がある。》』

先生の緊迫した声が、脳内の静寂を切り裂きました。

『《…いや、「無い」というべきか…空間がそこだけ欠けているような箇所があるぞ。》』


(空間が欠けている…? どういうことですの?)

『《例えるなら、箱に布をかけて、一見するとその布の下に何があるか分からない状態にある、という感じだ。ワガハイの魔力視でも、そこの空間だけ何があるのか分からん。》』

(何かしらの方法で不自然に隠されているということですね。分かりましたわ。)


わたくしは表情を引き締め、立ち上がりました。

「ニーナ。少し気になることがありまして。」

ニーナは少し不安げな表情を浮かべます。

「え?」

「危険かどうかは今のところ判断がつきませんが、警戒しながらついてきてもらえますか?」

「分かりました、行きましょう。」

ニーナも即座に冒険者の顔になり、腰の剣に手を当てて立ち上がりました。


海岸沿いの砂浜を歩いていくと、やがて砂浜が途切れ、崖になって岩肌が露出している場所まで来ました。

見た目はただの切り立った岩壁です。


(このあたりですか?)

『《ああ、その岩肌のあたりだ。》』


わたくしは左目に意識を集中させました。

(——【真理解析ルミナスアナライズ】)

目の前の岩肌の情報は、まるで靄がかかったように不鮮明でした。

(やはり…ただの岩ではありませんわね。)


わたくしは跪き、岩肌にそっと手を伸ばしてみました。

すると、手が岩をすり抜け、その奥の空間へと沈み込んだのです。


「岩があるように見えますが…ここ、幻術か何かのようですわ。奥に通れます。伏せてギリギリ通れる高さですが、中は空洞のようです。」

わたくしは振り返り、ニーナを見ました。

「中は狭く、二人で入るのは危険かもしれません。わたくしが中を見てきますので、ニーナはここで退路の確保と、見張りをしていただけますか?」


ニーナは少し悩みましたが、こくりと力強く頷きました。

「…承知しました。お気をつけて、ルナイズ。」


わたくしは頷き返し、幻影の岩肌の向こう、薄暗い穴の中へと身を滑り込ませました。

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