第四十一話:出発
翌朝。
窓の隙間から差し込む、柔らかな光で、わたくしはいつものように目を覚ましました。
(…よく眠れましたわ。さて、準備を…おや?)
静かにベッドから起き上がろうとしたのですが、身体が動きません。
視線を落とすと、向かい合って眠っていたニーナが、わたくしの腰にしっかりと両腕を回し、しがみついていました。
すう、すう、と。
昨日までの思い詰めた顔が嘘のような、とても穏やかで無防備な寝顔です。
(どうしましょうか…このままではわたくしが起きられませんわね。)
『《何を迷っておるか馬鹿者。さっさと起こして準備するぞ。そんなに非常識な時間でもあるまい。》』
脳内で、先生が呆れたように急かしてきます。
(…そうですわね。今後のこともありますし、そうしましょう。)
わたくしは、ニーナの肩にそっと手を置き、軽く揺すりました。
「ニーナ。…ニーナ、朝ですわよ。ごめんなさい、起きてもらっていいですか?」
「んん…あれ…ルナイズ…?」
ニーナは寝ぼけ眼をこすりながら、ぽやんとした声を出しました。
「おはようございます。あの、離してくれないと、わたくしが起きられませんの。」
「離す……?」
ニーナの視線が、自分の腕がわたくしにガッチリと回されていることに気づき——。
次の瞬間。
「ひゃあっ!?」
ニーナは弾かれたように飛び起き、ベッドの端まで勢いよく後ずさりました。
その顔は、耳の先まで真っ赤に染まっています。
「ご、ご、ごめんなさい!! 私、寝相が悪いわけじゃないはずなんですけど、その、無意識に…っ!」
「ふふ、構いませんわ。わたくしはいつもこのくらいの時間に起きるのですが、ニーナは大丈夫でしたか? もう少し寝ていても…」
「え、ええ! もちろんです。私も普段からこのくらいには起きて鍛錬していますから!」
ニーナは慌てて髪を手櫛で整えながら、ビシッと背筋を伸ばしました。
「分かりましたわ。もし今後、ニーナの方が先に起きることがあれば、遠慮なくわたくしを起こしてくださいね。」
「は、はい。承知しました!」
少し気恥ずかしそうなニーナと共に、わたくしたちは手早く身支度と荷物の最終確認を済ませ、部屋を出ました。
***
リビングに向かうと、すでに香ばしいパンの焼ける匂いと、スープの温かい香りが漂っていました。
エリーゼさんが、エプロン姿で朝食の用意をして待ってくれていたのです。
「おはようございます、エリーゼさん。お早いですね。わたくしたちで用意しましたのに。」
「おはようございます、お二人とも。ふふ、出発の朝ですからね、せめてこれくらいはさせてくださいな。」
エリーゼさんは少しだけ寂しそうに、けれどとても優しい笑顔で迎えてくれました。
テーブルにつき、温かいスープと紅茶をいただきながら、穏やかな時間が流れます。
「そういえばルナイズさん。これからのルートですが、どちらに向かわれるのですか?」
エリーゼさんの問いに、わたくしは鞄から地図を取り出して広げました。
「まずは、ここから北へ向かい、港町『セルリア』に行こうかと考えていますわ。そこから西回りで、オーレリア王国をぐるりと回ってみようかと。」
「なるほど、港町セルリアですね。」
エリーゼさんが地図を覗き込みながら頷きます。
「そこから東に向かえばすぐ国境ですし、西に向かえば王国の辺境を回れますね。」
わたくしが相槌を打ち、紅茶のカップに手を伸ばした、その時でした。
コンコンコン!
玄関の扉が、少し強めにノックされました。
「はいはい、どなたですか? こんな朝早くから…」
エリーゼさんが不思議そうに玄関へ応対に向かいます。
「ワシだ。朝早くからすまん、エリーゼ。」
「えっ!? ギルドマスター!?」
エリーゼさんは慌てた様子で、ギルドマスターをリビングへと案内してきました。
可愛らしい家具が並ぶ空間に、彼が立つと異様なほどの圧迫感があります。
「ルナイズ殿もおったか。エリーゼから伝えてもらおうと思っていたが、直接話せてちょうどいい。」
「おはようございます、ギルドマスター。何かあったのですか?」
わたくしは立ち上がり、軽く会釈をしました。
ギルドマスターは腕を組み、鋭い眼光をわたくしたちに向けました。
「先日の、街道での『古代の装置』と『謎の男』の件についてだ。」
その言葉に、ニーナの表情がスッと引き締まります。
「ワシの権限で他のギルドや情報屋とも連携して探らせたんだが…どうやら、このアルカディア周辺だけでなく、オーレリア王国全域の街道や森で、似たような魔力異常の報告が上がり始めているらしい。」
「王国全域で、ですか…?」
「ああ。つまりこれは、どこかの馬鹿がイタズラでやっているレベルの話じゃない。国単位で魔力の流れを操作し、意図的に混乱を起こそうとしている組織がいる…国レベルの問題の可能性が高い。」
ギルドマスターは、そこで言葉を切り、真っ直ぐにわたくしの瞳を見据えました。
「これから国を回るなら、十分に気をつけて行け。ヤツらの装置を一つ潰した上、あの男はお前さんの『素性』に勘付いていた。」
「…ルナイズ殿。お前さんはすでに、相手方から『危険人物』として認識されている可能性があるということだ。」
重い沈黙が落ちました。
ニーナが、わたくしを庇うように一歩前に出ようとします。
『《フン。どうやらただの観光旅行とはいかなくなったようだな、ルナイズ。》』
(…ええ、まったく。どこまでも厄介事がついて回りますわね。)
わたくしは、脳内で軽くため息をつきつつも、ふわりと微笑んでみせました。
「なるほど。ご忠告、ありがとうございます、ギルドマスター。」
「ルナイズには、私がついていますから。絶対に守り抜きます。」
ニーナも、力強く宣言しました。
「頼もしい相棒ができたようだな。…よし、ワシからの忠告は以上だ。達者でな。」
***
そして、わたくしたちは荷物を背負い、アルカディアの北の門へとやってきました。
「では、行ってまいりますわ。エリーゼさん、ギルドマスター。お見送り、本当にありがとうございます。」
わたくしとニーナが頭を下げると、エリーゼさんが少し目を潤ませながら、ニーナの手を両手で握りました。
「ニーナ。無茶しちゃダメよ。…ルナイズさんのこと、よろしくね。」
「うん。エリーゼも、元気でね。また必ず、ここに戻ってくるから。」
エリーゼさんは、わたくしに向き直ります。
「ルナイズさんも。ニーナのことよろしくお願いします。」
「ええ、もちろんですわ。」
「気をつけて行けよ。何かあれば、またいつでもウチのギルドに来い。」
ギルドマスターが、豪快にわたくしたちの背中を叩きました。
『《…行くか、ルナイズ。》』
(ええ、参りましょうか、先生。)
アルカディアの優しい風が、わたくしたちの背中を押してくれました。




