第三十七話:親友
約束の時間には少し早かったのですが、わたくしたちはギルドへと足を運びました。
夕刻のギルドは、依頼を終えた冒険者たちの熱気で溢れかえっています。
ジョッキがぶつかる音、笑い声、怒鳴り声。それらが混然一体となって、鼓膜を揺らしていました。
『《…チッ。相変わらず品のない場所だ。思考が濁るわ。》』
(ふふ、活気があって良いではありませんか。…とはいえ、込み入った話をするには不向きですわね。)
先生のぼやきを聞き流しながら、一階の隅にある待合スペースのソファに腰を下ろしました。
しばらくして、仕事を終えたエリーゼさんが、小走りでこちらへやってきました。
「お待たせしました、ルナイズさん! すみません、少し仕事が長引いてしまって。」
「いえ、わたくしたちも今来たところですわ。お疲れ様です、エリーゼさん。」
「さて、夕食ですが…このままだと、ここで済ませるには少し騒がしすぎますね。」
エリーゼさんが苦笑しながら周囲を見渡します。
わたくしも頷きました。
「ええ。できれば場所を変えましょう。少し静かなところで、ゆっくりお話ししたいのです。…ニーナ、エリーゼさん、どこか心当たりは?」
二人は顔を見合わせ、少し考え込んでしまいました。
「うーん…この時間帯だと、どこの酒場もこんな感じですし…個室があるような高級店となると予約が…」
エリーゼさんが困ったように眉を下げると、ふと、何かを思いついたようにポンと手を打ちました。
「…ルナイズさん、もしよろしければ、私たちの家はいかがですか?」
「貴女達の、お家ですか?」
「はい。二人で借りている小さな家ですが、ここよりはずっと静かです。簡単な料理でよければ、私が腕を振るいますよ!」
わたくしは少し驚きましたが、それは願ってもない提案でした。
「わたくしは構いませんが…急にお邪魔してよろしいのですか?」
「ええ、もちろんです! 大したおもてなしはできませんが、ぜひいらしてください。」
「では、お言葉に甘えますわ。」
***
街の喧騒を背にしばらく歩くと、周囲は徐々に静かな住宅街へと変わっていきました。
石畳の道沿いに並ぶ、こぢんまりとした家々。
その一角にある、可愛らしい青い屋根の家の前で、エリーゼさんが足を止めました。
「ここです。二人で住むには丁度いい広さなんですよ。…どうぞ。」
エリーゼさんが鍵を開け、扉を開け放ってくれました。
玄関からは、ふわりと、温かい匂いがしました。
「お邪魔しますわ。」
通されたリビングは、質素ながらも掃除が行き届いており、レースのカーテンや小さな花瓶など、エリーゼさんらしい細やかな気遣いが感じられる空間でした。
「ルナイズさんはそこの椅子に掛けて待っていてください。ニーナ、手伝ってくれる?」
「うん、任せて。」
ニーナが慣れた手つきで袖をまくり始めます。
「あの、わたくしも何か手伝いますわよ?」
わたくしが申し出ると、二人は同時に首を横に振りました。
「いいえ! 今日はルナイズさんはお客様ですから、ゆっくりしていてください。」
ニーナが少し悪戯っぽく笑いました。
「それに台所は狭いから、三人だとぶつかっちゃうし。」
「そうですか。では…お言葉に甘えさせていただきますわ。」
わたくしは大人しく椅子に座り、キッチンから聞こえる包丁を叩くトントンという音や、鍋がコトコトと煮える音に耳を傾けました。
それは、なんとも心地よい、平和な音楽のようでした。
『《フン。貴様にあの手際の良い料理ができるとも思えんがな。》』
(…一言多いですわ、先生。わたくしだって、焼くことくらいはできます。)
『《それは「調理」ではなく「加熱」だ、愚か者。》』
***
しばらくすると、キッチンから食欲をそそる香りが漂い始め、次々と料理が運ばれてきました。
「ルナイズさん、お待たせしました!」
「さあ、召し上がってください。」
テーブルの上には、彩り豊かな料理が並べられました。
メインは香草と共にじっくりローストされた鳥肉。皮はパリッと狐色に焼かれ、溢れ出した肉汁が皿の上で輝いています。
その横には、瑞々しい野菜が盛られたサラダと、湯気を立てる温かいパン。
そして、野菜がくたくたになるまで煮込まれた、具沢山のスープ。
「…とっても豪勢ですわね。ありがとうございます。」
「いただきます。」
まずはスープを一口。
(…あ。)
野菜の甘みが溶け出した優しい味が、身体の芯まで染み渡っていきます。
派手な味付けではありません。けれど、とても丁寧で、温かい味。
「…美味しいです。」
「ふふ、良かった。ニーナが下ごしらえを手伝ってくれたおかげで、味がよく染みてるんですよ。」
「エリーゼの味付けが上手いからだよ。」
照れくさそうに言うニーナの横顔を、エリーゼさんは慈しむように、穏やかな瞳で見つめていました。
「…そう? ありがとう。」
わたくしはローストチキンにナイフを入れました。
柔らかい肉身がほぐれ、口に運べば、香草の香りと肉の旨味が広がります。
『《ワガハイに肉体がないのが悔やまれるな。…ルナイズ、貴様、ワガハイの分まで味わって食えよ。》』
先生が、少し羨ましそうに呟きました。
(はいはい。とろけるように美味しいですわよ、先生。)
わたくしは食事を楽しみながらも、向かいのニーナの様子を伺いました。
彼女は、時折エリーゼさんの顔を見ては視線を外し、スープのスプーンを口に運ぶ手も、どこかぎこちない様子でした。
(…緊張していますわね。)
***
食事を終え、三人で協力して食器を片付けると、エリーゼさんが食後のハーブティーを淹れてくれました。
温かい湯気が、食後の満ち足りた空気に溶けていきます。
「とても美味しかったですわ。エリーゼさん、本当にお料理がお上手なんですね。」
「いえいえ、ルナイズさんに喜んでいただけたなら何よりです。…それで?」
エリーゼさんが、カップをソーサーに置き、穏やかな、しかし核心を突く視線をわたくしたちに向けました。
「話したいこと、というのは?」
わたくしは、隣に座るニーナを見ました。
「…それは、ニーナから。」
「…? ニーナ?」
エリーゼさんが不思議そうに首を傾げます。
ニーナは膝の上で拳を握りしめ、俯いていました。
沈黙が流れます。
食器の触れ合う音も、調理の音もないリビングに、時計の針の音だけが響きます。
やがて。
ニーナは、深呼吸を一つすると、決意を固めたように顔を上げました。
「エリーゼ。」
「なぁに?」
ニーナの瞳が、真っ直ぐに親友を見つめました。
「私…。」
「私、ルナイズと…旅に出たい。」
ついに放たれた言葉。
ニーナの声は震えていましたが、そこには確固たる意志が込められていました。
「…そっか。」
エリーゼさんは、ふわりと微笑みました。
「いいじゃない。行ってきなさいよ。」
「え…?」
あまりにあっさりとした返答に、ニーナがキョトンとしています。
「行ってきなさいって…え? 反対、しないの? 細かいこと聞かないの?」
「するわけないでしょ? 貴女が自分で決めたことなんだから。」
エリーゼさんは、困ったような、でも優しい顔でティーカップを傾けました。
「それに…なんとなく、分かってたし。」
「え?」
「最近のニーナ、楽しそうだったもの。ルナイズさんの話をする時、昔みたいに目がキラキラしてた。」
「あ…」
ニーナが顔を赤くしました。
「この家は、このままにしておくわ。貴女がいつ帰ってきてもいいようにね。」
「エリーゼ…」
「寂しくないわけじゃないわよ? でも、私はいつでもニーナを応援するわ。」
エリーゼさんは悪戯っぽくウィンクしてみせました。
ニーナの瞳に、涙が滲みます。
「…っ、ありがとう…! ありがとう、エリーゼ…!」
(…良い関係ですわね。)
わたくしは、手元のハーブティーを飲み干し、立ち上がりました。
これ以上、わたくしがお邪魔するのは野暮というものです。
「さて…話もまとまったようですし、わたくしはお暇させていただきますわ。」
「えっ? ルナイズ、もう帰っちゃうの? まだ時間は…」
慌てるニーナを、わたくしは制しました。
「今夜は二人で、積もる話もあるでしょう? これからしばらく会えなくなるのですから。」
わたくしが目配せすると、ニーナはハッとして、そして深く頷きました。
「…うん。ありがとう、ルナイズ。」
「出発は数日後になりますから、準備は焦らなくて大丈夫ですわ。また後日。」
「はい! また!」
***
わたくしが席を立つと、エリーゼさんが玄関まで見送ってくれました。
「今日はありがとうございました、エリーゼさん。ご馳走様でした。」
「いいえ、こちらこそ。…ルナイズさん。」
エリーゼさんは、少し声を落として言いました。
「ニーナのこと、連れて行ってくれてありがとうございます。」
「お礼を言われることではありませんわ。わたくしにとっても、彼女は必要な仲間ですから。」
わたくしがそう答えると、エリーゼさんはふふっと笑いました。
「あの子ね、数年前に実家を飛び出してこの街に来たんです。」
「ええ、聞いておりますわ。」
「実はね、ルナイズさん。私もなんです。」
「…え?」
わたくしは振り返りました。
エリーゼさんは、悪戯っぽく唇に人差し指を当てています。
「あの子が心配で、実家にも言わずに追いかけて来ちゃったんですよ、私。親も呆れてましたけどね。」
「まあ…。」
わたくしは目を丸くしました。
エリーゼさんも、まさかの家出少女だったとは。
「だから、ニーナがこの街を出て、前に進もうとしてるのが嬉しいんです。」
エリーゼさんは、リビングの方を優しく見つめました。
「…ルナイズさんとなら、きっと大丈夫ですね。」
「わたくしも、彼女には助けられてばかりになりそうですわ。」
「ふふ、よろしくお願いしますね。…じゃあ、また!」
エリーゼさんは、手を振ってくれました。
わたくしは小さく一礼し、夜の帳が下りた住宅街へと足を踏み出しました。
背後で、温かい家の扉が閉まる音が聞こえました。
『《フン。類は友を呼ぶと言うが…あいつも中々、肝が座った娘のようだな。》』
(ええ。素敵なご友人ですこと。)
わたくしは、心地よい夜風を感じながら、宿への帰路についたのでした。




