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第三十五話:お説教

怒っていたニーナも、宿の部屋に着くとさすがにドアを開けてくれました。

「あ、ありがとうございます。」

わたくしは、抱えていた本の山を、とりあえず床にドサッと置きました。


ニーナはパタンと、静かに扉を閉めると、ゆっくりとこちらに近づいてきます。


「さて、ルナイズ。…まずはお昼ご飯、食べましょうか。」

「そ、そうですわね。下の食堂にいきましょう。」


笑顔なのに目が笑っていないニーナに促され、わたくしたちは一度、一階の食堂へと降りました。

食事中、ニーナは決して説教を始めませんでした。

ただ、その静けさが、わたくしには何よりも恐ろしいことのように感じました。


***


生きた心地のしない食事を終え、再び部屋へ戻ったわたくしたち。

わたくしは逃げ場のないベッドの縁に腰掛け、ニーナは椅子を引き寄せ、わたくしの正面に陣取りました。


「…ではルナイズ。まずあなたの金銭感覚についてです。」

ニーナが、先生のように人差し指を立てました。

「はい…」


「確認ですが、いままでお金に触れる機会は?」


わたくしは軽く天井を見ながら、記憶の糸をたぐります。

「えっと、公爵家にいた頃は必要なものは全て執事が用意していましたし…森にいた頃は、あたりまえですが一度も使ったことはありませんわ。」


『《フン。深窓の令嬢から野生児へ転落したわけだからな。》』

先生が脳内で茶化してきます。


わたくしは少しムッとして付け加えました。

「ですが、領地経営のための経済学は学んでいましたわ! お金の流れについては理解しています!」


「…はぁ。」

ニーナは深く、重いため息をつきました。

「やっぱり。…ルナイズ、机上の空論と現実の家計は違うんです。」


ニーナは椅子から立ち上がると、革袋を手に取り、少し申し訳なさそうに尋ねました。

「口で言うより、見てもらった方が早そうです。…ルナイズ、このベッドにお金を広げても大丈夫ですか?」


「ええ、構いませんわ。では、この地図の上に。」


わたくしは鞄から大陸地図を取り出して、皺にならないよう丁寧にベッドへ広げました。

それから、自分の向かい側をポンポンと叩きました。

「ニーナもこちらに来て、座ってくださいな。その方が説明しやすいでしょう?」


「…では、失礼します。」

ニーナは靴を脱いでベッドの上に上がると、わたくしと向かい合うようにして、ちょこんと座り直しました。

そして、革袋の中から硬貨を数枚、地図の上に取り出しました。


「では、一般常識から…これは言う必要がないと思いますが。硬貨には銅貨、銀貨、金貨、大金貨の四種類があり、基本的に日常的に使うのは大金貨以外の三種類です。」

ニーナは手際よく、硬貨を種類別に並べていきます。

「銅貨百枚が銀貨一枚、銀貨百枚が金貨一枚になります。」


「ええ、存じていますわ。」

「ここまでは大丈夫そうですね。では次です。」


ニーナは、金貨を一枚だけ手前に寄せました。

チャリ、と乾いた音がします。


「この街の庶民の一般的な収入は、一ヶ月に銀貨80枚から120枚ほどが相場です。」


「…なるほど。」

わたくしは、自分が今日使った金額を頭の中で換算しました。

(金貨十三枚…つまり、一般の方の一年分の稼ぎを、一瞬で…)


「つまり、ニーナは…その、一般人の年収にも相当する金貨十三枚を、一気に使ったことに怒っているのです…よね?」

わたくしが恐る恐る尋ねると、ニーナは即座に首を横に振りました。


「違います。」

ピシャリ、と言い放たれます。


「え?」

「金額の大きさも問題ですが、一番の問題はそこじゃありません。」


ニーナは、ベッドの上の金貨の山と、わたくしの顔を交互に指差しました。

「いいですか? 冒険者の仕事というのは、基本的に”不安定”なんです。」


ニーナの講義は熱を帯びて続きます。

「ルナイズは森での生活が長く、お金を使わないで生きてきたのかもしれませんが、今後はそういうわけにいきません。宿代、食事代、移動費…生きているだけでお金は減っていくんです。」


「ですが、稼げばよろしいのではなくて? 今回のように。」


わたくしが口を挟むと、ニーナは「それが甘いんです!」と声を上げました。

「ルナイズが手に入れた金貨三十枚は”たまたま”でしかないんです!」


「あ…。」

確かに、言われてみればそうです。

あれはイレギュラーな高額報酬でした。


「冒険者は確かにリターンの大きい職業ではありますが、出ていくお金も多いんです。怪我をすればポーション代や治癒師の診察代で銀貨、時には金貨が飛びますし、旅の装備のメンテナンス費もかかります。」

「だから、堅実な冒険者は拠点を持ち、顔なじみの店を作って出費を抑えたり、指名依頼を増やしたりして安定を図るんです。…ですが!」


ニーナは、ぐいっと顔を近づけてきました。

「私たちはこれから、拠点のない『旅』に出るのです。出費が増える上に、依頼も安定しなくなります。一ヶ月以上一銭も稼げないことだってあるんですよ?」


「ぐぅ…」

わたくしは反論できず、言葉に詰まりました。


「もちろん、ルナイズのお金ですし、必要な魔導書を買うことに反対はありません。それは未来への投資ですから。」


ニーナの視線が、床に置かれた本の山へとスライドしました。


「ですが、『流行の恋愛小説』や『地方の神話大全』といった本にまでリソースを割いているのは大問題です!」

「そ、それは…! この地方の文化を知るための、重要な資料でして…!」


ニーナは、深くため息をつくと、宣言しました。

「はぁ…。ルナイズ、決めました。今後、お財布の紐は私が握らせていただきます。」

「えっ!?」


「必要な経費は出しますが、無駄遣いは却下します。…いいですね?」


その笑顔の圧力に、わたくしは小さく頷くことしかできませんでした。

「…はい。」


こうして、わたくしの財政権は、ニーナの手に完全に掌握されたのでした。

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