第三十四話:無計画なお嬢様
「おばあちゃん、こんにちは!」
ニーナは、カウンターの奥に座る老婆に親しげに声をかけました。
「おや、ニーナじゃないか。よく来たね。…そちらは?」
「お初にお目にかかります。ルナイズと申します。」
わたくしは、革鎧の裾をつまむようにして、礼をしました。
店主の老婆は、わたくしが抱えている本の山と、わたくしの顔を交互に見比べ、片眉を上げました。
「おやおや…こりゃまた、相当な本好きか、あるいは変わり者のようだね。」
「お褒めの言葉と受け取っておきますわ。店主、実はわたくし、『基礎魔術』以外の魔導書を探しているのですが…」
わたくしが単刀直入に尋ねると、店主は少し怪訝な顔つきになり、眼鏡の奥からじろりとわたくしを観察しました。
「…ふぅむ。あんた、さほど魔力があるようには見えんがねぇ。」
(失礼な。事実ですけれど。)
「どっちにしろ、ここには『基本魔術書』までしかないよ。専門書なんて高価なもんは、貴族様の屋敷か、王都の専門店にしかないさね。」
「それで構いませんわ。あるだけ、合わせていただけますか?」
わたくしの即答に、店主は呆れたように息を吐きました。
「構わんがね…。今あんたが持ってる本と、基本魔術書を合わせると、金貨十枚になるよ。いいのかい?」
「金貨十枚、ですか。」
横にいたニーナが、ふぅ、と小さく息を吐きました。
「やっぱり魔導書が入るとそのくらいしますよね…。ルナイズ、高い買い物になりますけど、大丈夫ですか?」
ニーナの反応は、高いけれど、妥当といった落ち着いたものでした。
『《…フン。相場を考えれば妥当であろう。知識とは、金で買える最も安い財産だ。》』
(同意ですわ、先生。)
「構いませんわ。」
わたくしは即答しました。
「毎度。ちょっと待ってな。」
店主は奥の扉の向こうに消えて行きました。
しばらくして戻ってきた店主の手には『基本魔術書』と、それとは別に、一冊のひどく古びた本が握られていました。
「…ルナイズと言ったね。おまえさん、この本には興味あるか?」
店主がカウンターに置いたのは、革表紙が黒ずみ、題名すら擦り切れて読めなくなった一冊でした。
「あ、おばあちゃん! ルナイズが買う気満々だからって、変な在庫を押し付けないでよ!」
ニーナがすかさずガードに入りますが、わたくしの左目は、既にその本に釘付けになっていました。
(…【真理解析】)
[対象:魔術書(詳細不明)]
[言語:古代語]
[状態:保存状態・劣悪]
[内容:解読不能(魔術的なプロテクトあり)]
(…面白そうですわね。)
「それも頂戴しますわ。おいくらですの?」
「ルナイズ!?」
店主は、わたくしの反応を見てニヤリと笑いました。商人の顔です。
「貴重な本だ…と言いたいところだが、見ての通りボロボロだし、そもそも開かん。ただの骨董品さね。…さっきの本と合わせて、まけて金貨十三枚でいいよ。」
「ええ、構いませんわ。」
わたくしは懐から、十三枚の金貨をカウンターに積み上げました。
「すごい…軽々と出しちゃった。」
ニーナが呆気にとられたように呟きます。
「旅の資金に余裕があるなら安心ですけど…そんなに持ってるのですか?」
わたくしは支払いを済ませ、軽くなった金貨袋の紐を縛り直しました。
「これは先日、ギルドマスターから頂いたオーガ討伐の報酬ですの。全部で金貨三十枚いただきましたから。」
その瞬間。
ニーナの動きが、ピタリと止まりました。
「…え?」
ニーナが、ゆっくりと首を傾げました。
「えっと…すみません、今なんて?」
「ですから、先日の報酬が金貨三十枚ですわ。」
わたくしは、指折り数えて説明しました。
「そこから武器の新調と、宿代の前払いを済ませましたから…手持ちがだいたい金貨二十五枚くらいでしたわね。」
「に、二十五枚…」
ニーナの声が震え始めます。
「はい。ですから今ここで十三枚払っても、まだ金貨十二枚は残りますわ。」
わたくしは、当然のように胸を張りました。
「当面の旅費としては十分でしょう?」
ニーナは、わたくしの顔と、積み上げられた本の山を交互に見ました。
そして、その表情から、すぅっ…と感情が抜け落ちました。
「じゅうぶん…?」
ニーナの声が、ワントーン低くなります。
「つまり…ルナイズは…」
「持っている全財産の半分以上を…たった一度の買い物で、本に使ったんですか?」
「ええ。知識への投資は惜しむべきではありませんもの。」
「わ、私はてっきり、もっと蓄えがあるから大人買いしてるのかと…! まさか全財産をはたいてるとは思いませんでした!」
ニーナの雷が落ちました。
「あら、でも半分残っていますし…」
「これから行くのは拠点のない旅なんですよ!?」
ニーナはこめかみを押さえながら、深々とため息をつきました。
そして、顔を上げると、にっこりと——けれど目は全く笑っていない表情で、わたくしを見据えました。
「…ルナイズ。一度宿に戻りましょう。」
「ええ、本も重いですし…」
「そういうことじゃありません。」
ニーナの声は、氷のように冷たく、そして有無を言わせぬ響きがありました。
「宿に戻ったら、今後のお金の使い方について、じっくり、じっっっくり話し合いますからね?」
「は、はい…」
こうしてわたくしは、大量の本を抱え、ニーナの無言の圧力を一身に背負いながら、店を後にすることになったのでした。
前を歩くニーナの背中は、振り返ることなくスタスタと進んでいきます。
腕が、痛い。本が、重い。
「あの、ニーナ、本を少し持って欲しいのですが…」
恐る恐る声をかけると、ニーナはピタリと足を止め、ゆっくりと首だけをこちらに向けました。
その顔は、聖母のように穏やかで、けれど慈悲など微塵もありませんでした。
「…何か、仰いました? ルナイズ。」
「…なんでもないです。」
わたくしは、よろめく足取りで彼女の後を必死に追いかけるのでした。




