第三十三話:好き
大まかな旅の方針が決まったところで、わたくしは卓上の地図を畳み、ニーナに向き直りました。
「さて、ニーナ。そうなると出発は数日後になりますわね。」
「はい、ルナイズ。」
「この街で、やり残したことはありませんか? 装備の点検や、買い足しておきたいものがあれば、今のうちに済ませておきましょう。」
わたくしが尋ねると、ニーナは少し考え込むように視線を落としました。
「そうですね…装備の手入れは毎日欠かしていませんし、依頼も今は受けていません。ただ…」
彼女の言葉が、不自然に途切れました。
何かを言い淀んでいる様子に、わたくしは一つの可能性に思い至りました。
「そういえば、ニーナはこの街ではどちらにお住まいなのですか?」
「えっと…」
ニーナはバツが悪そうに、俯いたまま答えました。
「今は、エリーゼと一緒に家を借りて住んでいます。」
「…なるほど。」
わたくしは、静かに問いかけました。
「エリーゼさんに、このお話は?」
「……どうなるか不透明でしたので、まだ何も。」
ニーナの声が、小さくなります。
「それに…私が騎士の夢を諦めきれずに旅に出ると知ったら、彼女はきっと…」
心配するでしょうか。
それとも、寂しがるでしょうか。
ニーナの表情には、自分の夢を追うことへの希望と、大切な友人を置いていくことへの罪悪感が入り混じっていました。
(…こればかりは、避けて通れませんわね。)
わたくしは努めて明るく、提案しました。
「分かりました。では、今日の仕事終わりの時間に、彼女をお食事に誘いましょう。」
「…はい。そうですね。ちゃんと、話します。」
「善は急げ、ですわ。エリーゼさんがお昼休みに入る前に、ギルドへ約束を取り付けに行きましょうか。」
「はい!」
わたくしたちは部屋を出て、朝の活気に満ちた通りへと繰り出しました。
足取りは軽いですが、ニーナの横顔には、まだ少しだけ緊張の色が残っていました。
***
エリーゼさんとの約束は、問題なく取り付けることができました。
まだお昼前なので、かなり時間があります。
「ニーナ、この後はどうします?」
「私は、特に予定はありません。ルナイズは?」
わたくしは、思い出したように先生に語りかけました。
(先生は、どこか行きたいところありますか?)
『《…フム。書店はどうだ?》』
(いいですわね、そうしましょうか。)
「わたくしは…そうですわね、街の案内をお願いできますか? 書店に行きたいのですが。」
ニーナはふわっと微笑むと、わたくしの手をとりました。
「了解です! ご案内しますね。」
ニーナについていくと、大通りから一本外れた路地にある、小さな書店に辿り着きました。
「小さなお店なのですが、店主さんが親切で、とても居心地がいいんです。お気に召さなかったら、すみません。」
「いえ、落ち着いた雰囲気で気に入りましたわ。ニーナ、しばらく一人で見ても構いませんか?」
「ええ、ゆっくり見てください。私も面白そうな本がないか探してみますから。」
ニーナが別の棚へ向かったのを確認し、わたくしは棚を眺めながら先生に話しかけました。
『《本はいいな。気になるものはあるのか?》』
(そうですわね…そういえば、わたくしが過去に読んだ基礎魔術についての本…『基礎魔術の構造と実践』ですが、あれ以外の魔術書はあるのでしょうか。)
『《むう、魔術書か。あれはなかなか特殊でな。》』
先生が少し懐かしむような声を出す。
『《「基礎魔術書」はどこにでもある。「基本魔術書」もそんなに珍しくはない。だが、それ以外の専門書となると話は別だ。貴族の蔵書か、高価な写本が出回る程度であろうな。》』
(基本魔術書ですか。あったら読んでみたいですわね。)
『《そうだな…基礎魔術だけでは今後厳しいだろう。》』
わたくしは、実用書の棚へと移動しました。
『食用キノコと毒キノコについて』
『野草辞典』
『解体学入門』
パラパラとめくってみましたが、このあたりは【真理解析】を使えば詳細まで分かります。
(…ですが、そうですね、この辺りも買っておきましょうか。)
わたくしは、それらの図鑑も選書に加えました。
すると、先生が少し意外そうな声を上げました。
『《ほう? 意外だな。てっきり「解析があれば不要ですわ。」とでも言うかと思ったが。》』
(便利な道具を使うのは良いことですが、頼り切りは危険です。「知識」として蓄えてこそ、本当の財産になると判断しました。)
先生は、しばらく黙っていましたが、やがて短く鼻を鳴らしました。
『《……フン。感心な心がけだ。》』
その声には、いつもの皮肉ではなく、明らかな称賛の色が混じっていました。
(恐縮ですわ。)
(そういえば先生。わたくし、解析で色々なことが分かりますが、知らない魔術の習得はできませんの? 『世界の知』なら何でも分かりそうですわよね。)
『《…フン。そんな単純な話では無い。》』
先生は、わたくしの甘い考えをたしなめるように言いました。
『《あれは『世界の知』を辞書のように引けるわけではない。あくまで目の前にある対象を鍵として、その情報を『世界の知』から補完しているに過ぎんのだ。》』
(なるほど。解析する「対象」がないと、情報は引き出せないってことですわね。)
『《そういうことである。無から知識は生まれん。》』
(では、誰かが発動している魔術を見れば、それを解析してわたくしが習得することも?)
『《それも不可能だ。》』
先生はきっぱりと否定しました。
『《発動中の魔術を見れば、その「構造」や「弱点」は解析できる。だが、そこから「習得するための理論」まで読み解くのは不可能だ。》』
(了解ですわ。楽はできませんわね。)
それから面白そうな本…
大衆小説、神話、図鑑、専門書など二十数冊ほど見繕い、ニーナと合流しました。
『《ほう、なかなか良い選択であるな。》』
(選りすぐりの逸品ですわ。)
「ルナイズ、結構買うんですね!」
ニーナが、わたくしが抱えた本を見て目を丸くしています。
これでもかなり減らしたほうなのですが…まあ良いでしょう。
「ニーナ、あと魔術書があれば欲しいのですが…」
「うーん、この棚になければ、流石に私には分かりませんね…。店主に聞いてみては?」
「そうですわね、聞いてみますわ。」
わたくしは本を抱えて、店の奥のカウンターに向かいました。




