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第三十一話:ニーナ

慌ただしかった昨日から一夜明け、空が白み始めた頃。

わたくしはいつも通り、日が昇るのと同時に目を覚ましました。


寝心地の良いベッドから抜け出し、身支度を整えます。

長年の習慣とは抜けないもので、鏡の前で軽く身体を動かし、調子を確認することも忘れません。


『《フン。平和な朝だな。》』

(ええ。森の湿った空気も嫌いではありませんが、清潔な宿の朝というのも悪くありませんわ。)


朝食を摂るために食堂へ降りようかと考えていた、その時でした。


コン、コン、コン…。

控えめですが、どこか緊張を含んだノックの音が響きました。


「ルナイズ様、おはようございます。…ニーナです。」

「ええ、起きていますわ。鍵はかかっておりませんから、どうぞ。」


ガチャリと扉が開き、私服姿のニーナさんが姿を現しました。

装備を外した彼女は年相応の少女に見えますが、その表情は思い詰めたように硬いままでした。


「あまり広い部屋ではありませんが、ここでお話を伺ってもよろしいですか?」

「はい。私はどこでも構いません。ルナイズ様のご都合の良いように…」


わたくしは彼女をテーブル席に促し、自分はベッドの端に腰掛けました。

向かい合う形になると、ニーナさんは膝の上でギュッと拳を握りしめ、一度大きく深呼吸をしました。


「さて、ニーナさん。…お話というのは?」


彼女は顔を上げ、決意を込めた瞳でわたくしを見ました。


「すみません、少し長くなるのですが、最初から話させてください。」

わたくしは小さく頷きました。


「私は近衛騎士の家系に生まれました。生まれは王都だったんです。」

「幼い頃からの夢は、父のような騎士になることでした。」


騎士。

初めて会った時の、エリーゼさんを我が身を挺して守ろうとした彼女の姿が脳裏をよぎります。

その精神は、確かに騎士そのものでした。


「ですが…私のスキルが、それを許さなかった。」


ニーナさんは、忌むべき名を告げるように、重く口を開きました。


「【爆轟デトネーション】。」

「剣に込めた魔力を爆発させ、周囲一帯を無差別に粉砕するスキルです。…威力だけなら、一級品でした。ですが、爆風の制御ができず、乱戦になれば味方ごと吹き飛ばしてしまう。」

「燃費も最悪で、数発撃てば魔力切れで動けなくなる。…連携と持久力が求められる近衛騎士には、最も不向きなスキルでした。」


彼女の声が、震え始めます。


「あの街道での戦いもそうでした。私がスキルを使えば、背後のエリーゼごと吹き飛ばしてしまう。だから、無様に腕を折られるしかなかった…」


「…ご両親は、なんと?」

わたくしが静かに問うと、ニーナさんは顔を歪めました。


「…優しかったんです。」


「『騎士になれなくてもいい』『お前のその火力は、きっと別の場所で役に立つ』『王都の警備隊や、個人の武官ならどうだ』って…色々な道を必死に探してくれました。」

「私が落ち込まないように、いつも明るく振る舞って、私のために奔走してくれて…」


彼女は、自身のスカートを握りしめる手に力を込めました。


「それが、辛かった。」

「期待に応えられない自分が惨めで、両親の優しさが…まるで刃物のように、痛かった。」


「ある日、耐えられなくなって、置手紙一つ置いて、家を飛び出しました。」

「逃げたんです。両親の愛からも、自分の無力さからも。」

「情けないですよね。家族は何も悪くないのに。私は、勝手に焦って、勝手に苦しくなって…」


ニーナさんの瞳から、涙がこぼれ落ちました。


(…優しさが、逃げ道を塞ぐこともある。)


その言葉が、わたくしの胸に冷たく突き刺さりました。

わたくしは、それを“知っている”。


あの子も、きっと。


『イリス。わからないところがあれば、わたくしが教えて差し上げますわ。』


あれは、持たざる彼女にとって、両親からの無関心や冷遇以上に、残酷な刃物だったのかもしれない。

それが彼女の自尊心をどれほど傷つけ、追い詰めていたのか。


(…ああ。わたくしは被害者であると同時に、ある意味では、無自覚な加害者でもあったのですね。)


イリスの歪んだ行いを許す気はありません。

ですが、彼女が歪んでしまった理由の一端を、わたくしは今、ニーナさんという鏡を通して理解してしまったのです。


「このアルカディアに来て、冒険者になりました。ここなら、個人の実力が全てだから、私のスキルでも役に立てるかもしれないと思って。」

「…でも、結局、私は『護衛』という、誰かを守る仕事を選んでいました。騎士への未練を捨てきれずに。」


「そして先日。…私は、また何も守れなかった。」


彼女の告白は、悲痛な響きを持って、狭い宿の一室に落ちました。

悪意から逃げたわたくしと、善意から逃げた彼女。

逃げた先で、自分の無力さに打ちひしがれている少女。


(…先生。)

『《なんだ。》』

(わたくしたち、似たもの同士かもしれませんわ。)

『《フン。貴様の方が性格は悪いがな。》』


先生のいつもの憎まれ口に、少しだけ心が軽くなりました。


わたくしはベッドから立ち上がり、ニーナさんの前へと歩み寄りました。

そして、俯く彼女の前にしゃがみ込み、視線の高さを合わせます。


「ニーナさん。」

「…っ、はい。」

「顔を上げてくださいまし。」


わたくしは、涙に濡れた彼女の瞳を真っ直ぐに見つめました。


「貴女が抱えているもの、そしてここに来た経緯は分かりました。…それで、ニーナさん。貴女は、これからどうしたいのですか?」


「え…?」


「貴女はご自身の事情を、わたくしに話してくださいました。それは、単なる懺悔ですか?それとも、同じ『逃げた者』として、慰めて欲しかったのですか?」


わたくしのあえて突き放すような言葉に、ニーナさんはハッとしたように目を見開き、そして強く首を横に振りました。


「…違います。」


ニーナさんは、涙を袖で乱暴に拭いました。


「私は…ルナイズ様を見て、思いました。貴女は、全てを失っても…それでも、ご自身の足で立って、戦っていらした。」

「才能がないからと腐ることも、誰かのせいにして逃げることもせず…ただ、前を見て。」


ニーナさんの瞳に、強い熱が戻り始めました。

それは、騎士への未練や、自分への失望を超えた、もっと根源的な憧憬。


「私も…貴女のように強くなりたい。逃げるのは、もう終わりにしたいんです。」


ニーナさんは椅子から立ち上がると、その場に片膝をつき、騎士の礼をとりました。

そして、震える声で、けれどはっきりとした言葉で、告げました。


「ルナイズ様。どうか、貴女の旅に…私をお供させていただけませんか。」

「足手まといになるかもしれません。今はまだ、自分の力すら上手く扱えません。…ですが!」


彼女は顔を上げ、わたくしを見据えました。

その表情は、あの街道で、折れた腕で剣を構え、エリーゼさんを守ろうとした時と同じ。

高潔な、覚悟を決めた顔でした。


「貴女の傍でなら…私は、もう一度、自分を信じられる気がするんです。…お願いします!」


部屋に、静寂が落ちました。

窓の外から、街が目覚める喧騒が遠く聞こえます。


(…ああ。困りましたわね。)


わたくしは、胸の奥が温かくなるのを感じました。

こんなに真っ直ぐで、切実な想いをぶつけられて。


わたくしは、ふわりと微笑みました。


「…いいですよ、ニーナさん。」


「え…本当、ですか…?」

「ええ。わたくしは世間知らずですし、一人旅に限界があるのも事実。ニーナさんのような方に背中を預けられるなら、これほど心強いことはありませんわ。」


ニーナさんの顔が、ぱぁっと輝きました。

「あ、ありがとうございます…!」


「ただし…一つだけ条件があります。」

わたくしは人差し指を立てました。

「なん、でしょうか?報酬の配分なら、私は…」

「違いますわ。その、”様”づけをやめることです。」


ニーナさんは目をぱちくりさせました。

「え…?で、でも…」

「貴女はわたくしの従者ではなく、対等な仲間になるのでしょう?ならば、敬称は不要です。…わたくしも、これからはニーナと呼ばせていただきますわ。」


すこし、ニーナの中で葛藤があったようですが、すぐにわたくしと目を合わせ、照れくさそうに笑いました。


「はい。これからよろしくお願いします。…ルナイズ。」


『《フン。また面倒な荷物が増えたな。》』

先生が、素っ気なく、けれどどこか楽しげに言いました。

『《だが、悪くはない。その愚直さ、貴様にはないものだ。》』


(一言多いですわ、先生。)


わたくしは、ニーナに手を差し出しました。

「では、改めて。よろしく頼みますわ、ニーナ。」


ニーナは、わたくしの手を両手で包み込むように、力強く握り返してきました。

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