第二十六話:秘密
ゴーレムが森の奥へと姿を消した後も、わたくしはしばらくの間、コピシュを構えたまま警戒を続けていました。
周囲の木々がざわめく音、遠くで鳥が羽ばたく音。それらに混じる異質な魔力反応がないことを、先生の広域探知とわたくしの【真理解析】で慎重に確認します。
『《…フン。完全に気配を絶ったか。追跡は不可能だな。》』
(ええ…鮮やかな逃走劇でしたわ。)
先生の不機嫌そうな声を聞きながら、わたくしはゆっくりと構えを解き、大きく息を吐き出しました。
戦闘態勢を解除した途端、右腕にジンジンとした鈍い痺れが戻ってきます。
あのゴーレムの硬度は、わたくしの想像以上でした。
「…ふう。仕方ないですわね。とりあえず皆様無事で何よりですわ。」
わたくしは努めて平静を装い、お二人の元へ歩み寄りました。
「ルナイズさん、すみません。せっかく解いていただいた装置を奪われてしまって…」
エリーゼさんは、引きちぎられた鞄の紐を握りしめ、顔面蒼白で謝罪の言葉を口にしました。
プロの調査員として、確保した証拠品を奪われたことは痛恨の極みでしょう。
ですが、責められるべきは彼女ではありません。
「いえ…むしろわたくしがゴーレムを食い止め切れず、危険に晒してしまいました。護衛の真似事をしておきながら、詰めが甘かった。大変申し訳ありません。」
わたくしは素直に頭を下げました。これは謙遜ではなく、純粋な実力不足への反省です。
『《それに関してはワガハイもだな…。まさか、こちらの攻撃を無視して、装置の奪還だけを優先するとは。》』
脳内で、先生が苦々しく唸ります。
『《あのゴーレム、戦いながらこちらの戦力を分析し、勝てないと判断するや否や、目的を切り替えたのだ。…戦闘力以上に、あの判断の速さ。作成したあの男も只者ではないぞ。》』
(緩急の付け方が見事でしたわね。今回は完敗ですわ。)
わたくしたちが重い空気を纏っていると、ニーナさんが盾を下ろし、悔しそうに唇を噛みながら声を上げました。
「私も…すみません。盾役として前に出たのに、ゴーレムを止めきれなくて…。ルナイズ様とゴーレムの戦闘は後ろから見ておりましたが、かなりの速さでした…私が反応できたのは、通り過ぎた後でした。」
「ええ。あのゴーレムを作った男も相当な実力者なのでしょう。正体はなにも掴めませんでしたが…」
…そう、あの謎の男。
そして、彼が残した言葉。
ニーナさんは男の話になると、ハッとしたように顔を上げ、気まずそうに視線を彷徨わせました。
そして、意を決したように口を開きますが、その手は落ち着きなく空を切っています。
「…あの、ルナイズ様! あの男が去り際に言っていたことですが…その、アルクライド家とか、お嬢様とか…私たちに、決して詮索する意思は…!」
彼女の言葉に、その場の空気が凍りついたように静まり返りました。
エリーゼさんも、心配そうにわたくしを見ています。
『《ふむ、ルナイズ。どうするのだ?》』
先生が、試すように問いかけてきました。
(そうですわね…。こちらとしては、あまり触れられたくない過去ではあります。)
わたくしは、二人の瞳をじっと見つめました。
そこにあるのは、好奇心や悪意ではなく、純粋な気遣いと、誠意。
(お二人は、個人的に信用に足りると思っています。ただ、これはわたくしの問題。押し付ける気もありませんし、巻き込むのも気が引けます。)
わたくしは、ふう、と一つ大きく息をついてから、お二人に向かって静かに、しかしはっきりと宣言しました。
「ニーナさん、エリーゼさん。貴女達は断片とはいえ、わたくしの秘密を知ってしまいました。」
二人が、ごくりと喉を鳴らすのが聞こえます。
「わたくしは、貴女達になら話してもいいと考えています。…ですが、強制する気はありません。わたくしとしてはあまり言いたくないことではありますし、何より、これを知ることは、貴女達にとってもリスクになるかもしれません。知らない方がいいことかもしれないのです。」
わたくしは、あえて突き放すように続けました。
「もし聞かないのであれば、今日聞いたことは全て忘れて欲しいとお願いするだけです。それで、この件はおしまいです。」
森に、沈黙が落ちました。
風が木々を揺らす音だけが、やけに大きく響きます。
エリーゼさんは少し考え込んだ後、真剣な眼差しで口を開きました。
「ルナイズさん。…少し、ニーナと二人で話させてください。私としては、街での身分を保証している以上、聞く必要があると思っています。ですが…ニーナと一緒に聞くかどうかは、彼女の意思も確認したいので。」
「確かにそうですわね。わかりました、待ちましょう。」
お二人は、少し離れた大木の陰へと移動していきました。
話し合う声は聞こえませんが、二人の深刻な表情と、時折こちらに向けられる視線が、事の重大さを物語っています。
わたくしは、コピシュについた土を払いながら、空を見上げました。
(先生。もし彼女が『聞かない』と言ったら?)
『《その時はその時だ。記憶消去の魔術なんぞワガハイは知らんからな。精々、口止め料でも弾んでやるんだな。》』
(ふふ、それもそうですわね。)
数分が、数時間にも感じられました。
やがて、二人が戻ってきました。その表情には、迷いはありませんでした。
「お待たせしました。」
エリーゼさんが、代表して口を開きます。
「二人で話し合いました。…ニーナも、同席させてください。」
その横で、ニーナさんも力強く頷きました。覚悟を決めた、騎士のような顔つきでした。
「…承知しましたわ。」
わたくしは、彼女たちの覚悟を、真正面から受け止めました。
もうこれ以上は、この森で立ち話をするような内容ではありません。
「エリーゼさん。できれば、誰にも聞かれない、機密性の高い部屋を貸していただきたいのですが…可能でしょうか?」
「ええ、大丈夫です。ギルドの応接室を使いましょう。あそこなら、大丈夫です。」
わたくしは、その提案に迷いなく頷きました。
彼女の瞳にある真剣な色が、こちらの覚悟を正面から受け止めてくれていると感じたからです。
「では、一旦街に戻りましょうか。」
こうして、わたくしたちは重い足取りで、しかし確かな信頼を胸に、帰路に着いたのでした。
わたくしの過去と向き合うために。




