第十九話:冒険者ギルド
エリーゼさんに導かれるまま、わたくしは、三年ぶりに浴びる文明の喧騒の中を歩きました。
石畳の道。
すれ違う、大勢の人々。
令嬢が護衛を連れて歩く姿もあれば、わたくしが森で見たこともないような、犬や猫に似た特徴を持つ獣人の方々が、堂々と露店を広げている。
【真理解析】で色々見てみたいですが…あれは左目に光るモノクルが浮かびます、街の中では控えましょう。
暫く歩くと、エリーゼさんが、ひときわ大きな建物の前で足を止めました。
それは、頑丈な木造の二階建て。
剣と盾の紋章が描かれた、大きな看板が掲げられています。
「こちらですわ、ルナイズさん!ここが、アルカディア冒険者ギルドです!」
エリーゼさんが、誇らしげに、その両開きの分厚い扉を押し開ける。
その瞬間。
「「「ガハハハハ!」」」
「だから、あのオークは三発で沈めたってんだ!」
「おい、姐さん!こっちにエールをもう一つ!」
音と、匂い。
その二つが、わたくしを、門前での比ではないほど強く殴りつけました。
耳を揺らす大きな笑い声、怒声、グラスがぶつかる音。
そして、鼻を突く、濃密なエールの匂い、汗の匂い、血の匂い、そして、わたくしが森で嗅ぎ慣れた獣の匂いが、全て混ざり合った、強烈な熱気。
一階は、酒場を兼ねた広大なホールになっていました。
掲示板に貼られた依頼書らしきもの。
奥には、エリーゼさんのような職員が忙しなく立ち働く受付。
そして何より、その空間の大部分を占めているのは、屈強な冒険者たち。
わたくしたちが入った瞬間、その熱気が、ほんの一瞬、静まり返りました。
ギルド職員であるエリーゼさんが入ってくるのは日常なのでしょう。
彼らの視線は、エリーゼさんの後ろに立つ、わたくしに集まっていました。
(…見られていますわね。)
わたくしは、その無遠慮な視線を、真正面から受け止めました。
十五歳の、小柄な娘。
アビス・リザードの皮で自作した、狩人の装束。
腰には、使い込まれたショートソード。
場違い。
その一言に尽きるのでしょう。
「…なんだ、あの嬢ちゃん。」
「エリーゼさんの連れか?森で拾ってきたのか?」
「随分と綺麗な顔してるじゃねえか。」
ひそひそと、しかし、隠す気もない声量で、品定めするような言葉が飛んできます。
わたくしは、背筋を伸ばしました。
公爵令嬢として叩き込まれた、完璧な礼法。
たとえどこにいても、その立ち居振る舞いだけは、王妃陛下の御前にあるかのように。
わたくしは、彼らの視線を存在しないものとして受け流し、一切の動揺を見せず。
ただ、エリーゼさんの後ろを、完璧な歩幅でついていきました。
その、野生の狩人の装束と、最高位の貴族のような所作が、かえって冒険者たちの戸惑いを誘ったようです。
彼らは、ただ怪訝な顔でわたくしたちの背中を見送っていましたわ。
「ミナさん!ただいま戻りました!」
エリーゼさんは、広大なホールの受付カウンターには目もくれず、その脇にある職員専用と書かれた階段へとまっすぐ向かいました。
カウンターの奥から、別の職員らしき女性が顔を出します。
「あ、エリーゼさん!お帰りなさい!って、ニーナさんは!?怪我でも…」
「話は後です!ギルドマスターに、オーガ遭遇の緊急報告!それと、こちら、命の恩人のルナイズさんを、そのままお通しします!」
「ええ!?オーガ!?一体何が——」
エリーゼさんは、その質問を聞き終える前に、階段を駆け上がっていきます。
先生が、わたくしの脳内で、冷静に分析を始めました。
『《二階の奥、一際強い反応が一つ。…あれが、このギルドの主…ギルドマスターか》』
(…なるほど。冒険者を束ねる長ともなると只者ではないのでしょう。)
わたくしは、エリーゼさんの背中を追いながら、軋む木の階段を上りました。
一階の喧騒が、遠のいていく。
そして、二階の廊下の突き当たり、ひときわ重厚なオーク材の扉の前で、エリーゼさんが、深呼吸を一つしました。
「…ルナイズさん。ギルドマスターは、少し…いえ、かなり気難しい方ですが、悪い人ではありません。どうか、失礼のないように…」
「大丈夫ですわ、エリーゼさん。」
エリーゼさんは、わたくしの落ち着き払った様子に、少しだけ面食らったような顔をしましたが、すぐに頷き、その扉を、三回強くノックしました。
「ギルドマスター!調査員のエリーゼです!街道での定期調査について緊急事態につき、ご報告に上がりました!」
中から、少しの間を置いて。地響きのような、低く、重い、男の声が響きました。
「…入れ」
地を這うような低い声に促され、エリーゼさんは、わたくしに一つ頷いてみせると、その重厚なオーク材の扉を、ためらいなく押し開けました。
「失礼いたします、ギルドマスター。」
わたくしも、彼女の後ろについて、その部屋へと足を踏み入れました。
一階の喧騒が嘘のように静まり返った、広々とした部屋。壁一面が、本棚と、魔物の素材らしき剥製や武器で埋め尽くされています。
そして、部屋の奥。
夕暮れの光が差し込む大きな窓を背にして、巨大な執務机に座る、その人物がいました。
(…あれが。)
『《フン。間違いない。あの男が、このギルドの主だ。》』
先生が、脳内で警告に近い分析結果を叩きつけます。
灰色の髪を短く刈り込み、顔には幾筋もの古い傷跡。
まるで鍛え上げられた鋼鉄を思わせる、知性的な威圧感。
その男は、書類から顔を上げ、わたくしたちを一瞥しました。
その瞳は、まるで光の届かない淀んだ湖の底のようでしたわ。
何を考えているのか、一切読み取れません。
(…あの所作、ただの冒険者上がりではありませんわね。)
「…エリーゼ。」
ギルドマスターと呼ばれた男が、静かに口を開きました。
「ニーナはどうした。お前が『緊急事態』などと血相を変えて飛び込んでくるとはな。街道の調査で、ゴブリンにでも囲まれたか?」
その声には、からかうような響きはなく、ただ純粋な事実確認としての響きがありました。
「いえ、ゴブリンなどという生易しいものではありませんでした。」
エリーゼさんは、その威圧感の真正面に立ち、一歩も引きませんでした。
彼女は、ギルド職員としての報告書を読み上げるかのように、毅然として、早口で告げます。
「本日、アルカディア南街道、第三調査ポイント付近にて、Cランク魔獣オーガ一体と遭遇。」
「護衛のニーナが応戦しましたが、左腕を骨折する重傷。現在、教会へ向かわせています。」
「…オーガだと?」
ギルドマスターの淀んだ湖の瞳が、ほんのわずかに、ピクリと揺れました。
「あの街道筋に、か。…情報にないな」
「ええ、ありませんでしたとも。」
エリーゼさんの声が、一段、強くなります。
「わたくしたちの調査任務は、あくまで『魔力濃度の定期調査』。オーガの出現など、完全に想定外です。」
「これは、ギルドの事前情報、および脅威想定の『不備』であったと、わたくしは判断いたします。」
「…ほう。」
ギルドマスターは、エリーゼさんの強気な物言いを、怒るでもなく、ただ静かに見つめています。
エリーゼさんは、そこで一度、息を吸いました。
そして、わたくしの方を、その強気な瞳のまま振り返ります。
「わたくしとニーナが、そのオーガに殺されかけていた、その窮地を救ってくださったのが、こちらにいらっしゃる、ルナイズさんです」
ギルドマスターの、湖の底のような視線が、初めて、真正面からわたくしを捉えました。
まるで、値踏みをするかのように、わたくしの頭の先から、腰のショートソード、そしてアビス・リザードの皮で作ったブーツまでを、ゆっくりと。
わたくしは、その視線から逃げることなく、完璧な礼法をもって、小さく一礼いたしました。
「ルナイズ、と申します。」
「…ルナイズ。」
ギルドマスターが、わたくしの名前を反芻する。
「エリーゼ。」
彼は、再びエリーゼさんへと視線を戻しました。
「お前が『救われた』ということは、つまり、そのオーガは。」
「はい。」
エリーゼさんは、わたくしを誇るかのように、胸を張りました。
「ルナイズさんが、お一人で、討伐なさいました。」
「…」
ギルドマスターの執務室に、再び、静寂が落ちました。
ペンが紙を擦る音すら、聞こえません。
やがて、巨漢のギルドマスターは、その巨体から発せられるとは思えないほど静かな動作で、椅子から立ち上がりました。
窓を背にしていた巨体が動いたことで、部屋の圧迫感がさらに増します。
彼は、わたくしの目の前まで、その湖の底の瞳を向けたまま、ゆっくりと歩み寄ってきました。
「…ルナイズ殿。」
低い声が、わたくしの頭上から降ってきます。
「お主が、オーガを、一人で?」
それは、尋問でしたわ。
わたくしは、その威圧にも一切動じず、ただ、事実だけを、静かに返しました。
「はい。街道を通る上で、邪魔でしたので。」




