第十八話:交易都市アルカディア
わたくしたちは、どこかぎこちない空気を感じながらも街道を歩き続けました。
しばらくすると、うっすらと街の輪郭が見えてきました。
(あれが…街…)
三年間、関わりの無かった人の営み。
(幽閉も入れれば五年間とも言えそうですわね。)
街は、高い崖や川といった自然の地形を上手く利用しつつ、人の背丈の三倍ほどの、決して高くはないが堅牢な石造りの外壁で緩やかに囲まれているだけ。
それよりも目立つのは、街道が吸い込まれていく、巨大な門でした。
門は、まるでわたくしたちを歓迎するかのように大きく開け放たれ、何列にもなった荷馬車や、様々な人種、獣人らしき姿までが、ひしめき合いながら出入りしている。
土埃と、家畜の匂い、香辛料の香り、そして何より、圧倒的な人の匂い。
令嬢だった頃もあまりこういう街には来たことがありませんでした。
三年間、森の静寂と、獣と腐葉土の匂いだけに慣れていたわたくしの五感が、その膨大な情報に晒され、軽く眩暈を覚えました。
(…すごい、情報量。)
『《ハッ!ようやくゴブリン以外の解析対象ができて、ワガハイの血が騒ぐわ!見ろルナイズ、あの荷馬車が運んでいるのは西方の織物、あの獣人は北方部族だ!面白い!》』
(先生、少し静かになさって。思考が追いつきませんわ。)
わたくしたちが門に近づくと、武装した衛兵が、その流れを器用に捌いていました。
エリーゼさんが、慣れた様子で衛兵に近づき、懐から身分証らしき金属板を提示します。
「ギルド調査員のエリーゼです!護衛のニーナが任務中に負傷しました。」
「それと、こちらは、その際に助けていただいた、ルナイズさん。オーガの討伐に多大なご協力をいただきました。身元は、ギルドが保証します。」
衛兵は、ニーナさんの痛々しい腕と、わたくしの森での狩人そのままの出で立ちを一瞥しました。
エリーゼさんの身分証の信頼度が高いのか、あるいは怪我人のニーナさんを気遣ったのか、深くは追及せず、頷きました。
「ご苦労。ニーナ嬢、早く治療所へ。…ルナイズ殿、入街を許可する。後ほど必ずギルドで身分登録を。」
「ありがとうございます!」
こうして、わたくしは、あまりにもあっさりと、三年ぶりに人間の世界へと帰ってきたのです。
門をくぐった先は、石畳が敷かれた広い広場になっており、そこから幾筋もの大通りが、街の奥へと伸びていました。
建物、建物、建物。
そして、人、人、人。
森で生きてきたわたくしにとって、それは、情報量が多すぎる異世界でした。
わたくしがその喧騒に圧倒されていると、エリーゼさんが、ニーナさんに向き直りました。
その表情は、先ほどまでの明るい調査員のものではなく、責任ある職員の顔です。
「ニーナ。」
「な、なに!?」
「本当にごめんなさい。今回のオーガ遭遇は、街道筋の魔力調査という定期調査に油断した、私とギルドの完全な落ち度よ」
「そ、そんな!エリーゼのせいじゃ…!私が、護衛として不甲斐なかっただけで…!」
「いいえ。」
エリーゼさんは、ニーナさんの言葉を、きっぱりと遮りました。
「あなたは護衛として、私を守ろうとしてくれた。でも、ギルドはあなたに『オーガと戦え』なんて任務は依頼していないわ。」
エリーゼさんは、そこで一度言葉を切り、ニーナさんの折れた腕に視線を落とします。
「あなたの左腕の治療費、そして今回の任務の補填と、危険手当。もちろん、ギルドから100%支払わせます。」
「だ、だけど、エリーゼ…!」
恐縮するニーナさんに、エリーゼさんは、有無を言わせぬ口調で命じました。
「いいから、あなたは今すぐ『教会』か、ギルド専属の『治療所』へ行きなさい」
「治癒魔法を使える神官様か、治癒師様に診てもらえば、その骨折もすぐに治るはずよ。…いいわね?」
「…わかった。」
ニーナさんは、それ以上反論できず、悔しそうに、しかし、どこか安堵したように頷きました。
(…治癒魔法。)
わたくしは、その新しい単語を、脳内で反芻しました。
『基礎魔術の構造と実践』には、載っていなかった分野。
『《治癒魔法か…真理解析とも相性が良さそうだが、治癒魔法は秘匿技術でな…実はワガハイもよく知らん。》』
(そうですの…残念ですが一旦保留ですね。)
わたくしが脳内で先生と会話していると、エリーゼさんが、今度はわたくしに向き直りました。
その瞳には、深い感謝と、そして、わたくしという存在への強い興味が浮かんでいます。
「ルナイズさん。」
彼女は、深々と頭を下げました。
「本当に、ありがとうございました。あなたがいなければ、今頃わたくしたちは…」
「お気になさらず。」
わたくしは、小さく首を横に振りました。
「約束通り、入街の手続きを手伝っていただいた。これで、おあいこですわ。」
「いいえ、おあいこになんて、とてもじゃありません!」
エリーゼさんは顔を上げると、わたくしの手を握りました。
「まずは、ギルドへご足労いただけますか?ギルドマスターに今回の件を報告に行かないといけなくて、ルナイズさんにも同席をお願いします。」
「ついでに身分証の登録と、今回のオーガ討伐の『報酬』を、ぜひともお支払いさせてください!」
「報酬…ですの?」
「当然です!」
エリーゼさんは、力強く言いました。
「あれほどの実力者を、ギルドが放っておくはずがありませんわ!」
…こうして、ニーナさんとは広場で別れ、わたくしは、エリーゼさんに導かれるまま、この交易都市アルカディアの冒険者ギルドへと、足を踏み入れることになりました。
三年間、森で培ったわたくしの力が、どのような価値を持つのか。
わたくしは、期待とほんの少しの緊張を胸に、街の喧騒の中を歩き始めたのです。




