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閑話:それぞれの常識

私の名前はニーナ。

十八歳。交易都市アルカディアの冒険者ギルドに所属する、冒険者だ。

今日は、幼馴染でもあるギルド調査員、エリーゼの定期調査に同行していた。


この辺りの街道は、ゴブリンや大型の狼が出る程度。

冒険者になってからこの四年、私にとって、簡単な任務のはずだった。


…あの、オーガに遭遇するまでは。


***


(…死ぬ。)

振り下ろされる棍棒が、スローモーションのように見えた。

オーガの、血走った隻眼。

木の陰で動けなくなっている、幼馴染の姿。

(エリーゼ…!)


護衛として、何よりも守らなければならない対象を、私は守れない。

左腕はあり得ない方向に折れ曲がり、折れた剣は投げつけ、盾は砕けた。


私がここで時間を稼げなければ、次はエリーゼだ。

(せめて、あと一瞬だけでも…!)

そう覚悟を決めた、瞬間だった。


キィンッ!

甲高い、魔力が弾ける音。

振り下ろされたはずの棍棒は、不可視の何かに弾かれ、私の寸分脇の地面を抉った。


…そして、私の眼の前には、美しい銀色の髪が舞っていた。


***


街道を歩きながら、私は、折れた左腕の疼きとは別の熱で、思考がまとまらないのを感じていた。

先ほど、あの絶望的な戦場に割り込んできた、謎の少女。

ルナイズ様。


彼女の戦闘を、私は忘れることができない。

護衛冒険者として、それなりの場数は踏んできたつもりだ。

魔術に関する知識も、戦士として最低限は叩き込まれている。

だからこそ、分かる。

彼女がやったことは、私の常識の、遥か外側にあった。

(あれは、なんなの…?)


オーガの一撃を逸らした、あの魔術。

彼女は、あれを【魔導盾マジカルシールド】だと言った。

馬鹿な。


あの魔術は、展開面積と強度、そして持続時間に比例して、凄まじい勢いで魔力を食う魔術だ。

あのオーガの一撃を受け流すほどの強度で展開するなど、本当に可能なのだろうか…

なのに、彼女は涼しい顔で「合理的ですもの。」と言ってのけた。

棍棒の軌道、その一点だけ。最小限の障壁。一瞬の展開。

…確かにできるのなら、合理的なのかもしれない。


そして、あの速度。

オーガの膝を穿ち、首筋の大動脈を正確に貫いた、あの動き。

あれは【身体強化ブースト】と【軽身フェザー】の同時使用だという。


軽身フェザー】に関しては消費される魔力も大した事ない。

だけど、反重力の制御なので術式制御も身体の制御も難しいし、攻撃も軽くなる。

適宜、発動と解除を繰り返さないと戦闘には使えないはずだけど、そんなこと本当に可能なの…?

それと、【身体強化ブースト】…これが一番不可解。

燃費が最悪で腕力や脚力を少し強化するだけでも普通の魔術師で数秒が限度のはず。

魔術師なら普通に魔術で攻撃した方が良いし、戦士なら魔力が足りない。


ましてや、この二つを同時に起動しながら、精密な戦闘を行うなど。

そんな非効率なことをすれば、それこそ【魔導盾マジカルシールド】どころではない速度で、魔力が尽きるはずだ。

なのに、彼女は、あの戦闘の後、息一つ乱していなかった。


(魔力量が、化け物…?いや、それなら、もっと高位の攻撃魔術を使うはずだ。)

彼女は言っていた。「基礎的な八魔術以外は使えませんの。」と。

情報が、私の頭の中で、矛盾を起こして渦巻いている。


十五歳。

私やエリーゼより、三つも年下の少女。

森で隠居した魔術師に育てられた。

それであの完璧な応急処置と、オーガの解体技術、そして、あの剣捌きを?

魔術師の弟子が?

なにより、まるで貴族令嬢のような、隙のない礼節は一体どこで…?


「…はぁ。」

考えれば考えるほど、分からなくなる。

ちょうど街道の脇に開けた場所があり、エリーゼが「少し休憩しましょう。」と皆に声をかけた。


私は、ルナイズ様から少し離れた切り株に、エリーゼと二人で腰を下ろした。

ルナイズ様は、水筒の水を飲むでもなく、街道の先を静かに見つめている。


「…エリーゼ。」

私は、声を潜めて、幼馴染に問いかけた。


「ルナイズ様のこと、どう思う?」

エリーゼは、少し困ったような顔をして腕を組んだ。

「…うーん、私の率直な感想として聞いてね。」

「…うん。」

「ニーナが混乱するのも無理ないと思う。十五歳であの実力、しかも、なぜか礼節がきちんとしすぎている。『森育ちの魔術師の弟子』っていうのは、ある程度本当なんだろうけど…多分、全部の事情を話してくれてるわけじゃないと思う。」

「…やっぱり、エリーゼもそう思う?」

「うん。魔術師に師事してた割に、基礎の八魔術しか使えない、っていうのも引っかかるし。…それにね。」

エリーゼは、そこで声を一段と潜め、自分の左目を指で軽く示してみせた。

「ニーナは、あの時、ちょうどルナイズさんの背にいたから見えなかったかもしれないけど…ルナイズさんの左目。…モノクルを着けてた。」

「モノクル…私も治療してもらう時に見た。」

「そっか、あのときね。」

きっと、何かのスキルなのではないかと二人で結論づけた。

左目に、光るモノクル。

基礎魔術を、常識外れの効率で使いこなす、十五歳の少女。


「「…はぁ。」」

今度は、私とエリーゼのため息が、綺麗に重なった。

「…もう、考えるのをやめましょうか。」

「…そうね。賛成。」

「でも。」

エリーゼは、離れて休憩しているルナイズ様の背中を見た。

「私たちを助けてくれたことは、事実。私は、信用しようかなって思ってるよ。」

「…うん。私も、そう思う。」

私も、エリーゼの意見に頷くしかなかった。

信用する、しない、以前の問題だ。

あの力を前にして、私は、ただただ圧倒されていた。


「それより、ニーナ。」

エリーゼが、呆れたように私を肘でつついた。

「そのルナイズ『様』っていうの、なんなの?」

「だ、だって…!」

「年下で、しかも女の子じゃない。」

「そ、そうだけど…!」

そうだけど、違うのだ。

あの、絶望の淵で、死を覚悟した私を救ってくれた、あの姿。

オーガの攻撃を、まるで舞うかのように捌き、一切の無駄なく舞うあの姿。…そして、なびく銀髪。

あの姿は、あまりにも、気高く、そして、かっこよくて…。


私は、エリーゼのツッコミに「そうよね…」と曖昧に頷きながらも、あの光景を思い出し、頬が熱くなるのを止められなかった。


…やがて、休憩が終わり、私たちは再び歩き出した。


しばらくすると遠くに、交易都市アルカディアが見えてきた。

私は、自分の折れた左腕と、何も変わらない様子で、しかし、森とは違う街の空気に、どこか緊張しているようにも見える、ルナイズ様の小さな背中を見比べた。

あの常識外れの少女が、このアルカディアで、一体、どんな波紋を広げるというのだろうか。

私の胸は、期待と、そしてほんの少しの畏れで、静かに高鳴り始めていた。

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