第十六話:職員と冒険者
土埃が舞う街道に、静寂が戻った。
足元には、動かなくなったオーガの巨体。
わたくしは、鞘に納めたショートソードから手を離し、ゆっくりと息を吐いた。
(…先生。周囲の警戒は?)
『《フン。他に敵影はない。だが、さっさとその二人をどうにかしろ。腰を抜かしたまま、貴様を化け物を見るような目で見ているぞ。》』
先生の言葉通りだった。
木の陰にいた研究員らしき女性は、口元を両手で覆い、目を見開いたまま硬直している。
そして、足元で血を流している護衛の女性は、激痛に顔を歪めながらも、必死にわたくしを見上げようとしていた。
ニーナさんが、震える声で、けれどもしっかりとした丁寧な口調で、わたくしに問いかけた。
「あの…」
わたくしは久しぶりに人へ声をかけた。
「…大丈夫、ですの?」
ニーナさんは短く頷いて答える。
「助けて…いただいたのでしょうか。あなたは…」
その瞳には、痛みよりも、わたくしへの感謝と、自身の無力さへの悔しさが滲んでいた。
「通りすがりですわ。」
わたくしは、短くそう答えると、彼女の傍らに膝をついた。
「動かないで。腕を診ます。」
(【真理解析】)
[対象:ニーナ]
[状態:左腕尺骨骨折、打撲、軽度の出血]
[処置推奨:添え木による固定、安静]
(…骨折。)
わたくしは、リュックから、緊急時用に持っていた麻と、添え木を取り出した。
「少し、痛みますわよ。」
「っ…はい。お願いします…」
ニーナは、脂汗を流しながらも、悲鳴一つ上げずにわたくしの処置に耐えた。
手際よく添え木を当て、布で固定する。
応急処置の知識と、森での経験が、ここで役に立った。
「ニーナ!大丈夫!?」
ようやくショックから立ち直ったエリーゼさんが、駆け寄ってきた。
彼女はわたくしの顔と、手際よく処置されたニーナさんの腕を交互に見て、呆然と呟いた。
「すごい…。あのオーガを、あんな一瞬で…」
エリーゼの視線が、わたくしと、三年間で少し擦り切れた狩人の装束に注がれる。
「あなた、一体…?ギルドの冒険者の方ですか?それとも騎士団の…?」
「いいえ。」
わたくしは、処置を終えて立ち上がり、意識して他人行儀な距離感を保ったまま答えた。
「ただの旅人です。名は、ルナイズと申します。」
「ルナイズ…さん。」
エリーゼさんはわたくしの名前を反芻し、ハッとしたように居住まいを正した。
「申し遅れました!私は冒険者ギルド交易都市アルカディア支部、調査員のエリーゼ、こっちは護衛のニーナです。…本当に、本当にありがとうございました!あなたがいなければ、私たちは今頃…」
「礼には及びませんわ。化け物が道を塞いでいては、わたくしも通れませんでしたから。」
わたくしは、努めてそっけなく言った。
だが、地面に座り込んだままのニーナさんが、わたくしの裾を、怪我をしていない方の手で、遠慮がちに、しかし強く掴んだ。
「いいえ、ルナイズ様…」
(様…?随分と丁寧ですわね。まあ、訂正するのも面倒ですし、放っておきましょう。)
「私の不手際で…エリーゼを危険に晒し、あまつさえ、通りすがりの貴女様の手を煩わせてしまいました。この御恩、なんと感謝を申し上げればよいか…」
ニーナさんは、深く頭を下げた。
その姿は、冒険者というより、忠義に厚い騎士のようだった。
『《…ほう。律儀な娘だ。》』
先生が、感心したように呟く。
『《ルナイズよ。この娘たちを利用しない手はないぞ。》』
(分かっていますわ。)
わたくしは、小さく息をつき、ニーナの手を取って、彼女を立たせた。
「顔を上げてください、ニーナさん。わたくしは、これから街へ向かうところです。もしよろしければ…」
わたくしは、少しだけ困ったような顔を作って見せた。
「ここから街までの道案内と、入る際の手続きを、手伝っていただけませんこと?実はわたくし、この辺りの地理に疎くて…」
その言葉に、二人の顔がパッと明るくなった。
「もちろんです!」
エリーゼさんが食い気味に答えた。
「ギルド職員として、交易都市アルカディアの入都手続き、責任を持って保証させていただきます!」
「私も…怪我をしてお役に立てるか分かりませんが、精一杯、護衛させていただきます。…いえ、護衛されるのはわたくしの方かもしれませんが。」
ニーナさんが、自嘲気味に、けれど嬉しそうに微笑んだ。
「それより、エリーゼ。」
と、ニーナさんが困ったように話します。
「オーガのことです。街道にこれほどの大型魔獣が出現したとなれば、ギルドに緊急報告を。それと…死体をどうするか。」
「そ、そうよね…」
エリーゼさんは、オーガの巨体を見上げ、ゴクリと唾を飲み込みました。
討伐した証として何かしら持って帰らなければいけないようです。
「でも、私に解体なんて…」
エリーゼさんは、自分の手を見下ろします。
「ニーナ…あなたは。」
「この腕では、剣を振るうことすら…ましてや、オーガの解体など…」
ニーナさんが、悔しそうに唇を噛みました。
わたくしは、二人のやり取りを静かに聞いていましたが、ゆっくりとオーガの死体に歩み寄りました。
(先生。解体しますわ。)
『《フン。当然だ。》』
脳内で、先生が満足げに鼻を鳴らします。
『《我々にグダグダやってる暇などない。》』
わたくしは、エリーゼさんたちの方を振り返りました。
わたくしは、淡々と告げました。
「わたくしが、やりますわ。」
「え?」
二人が、同時に素っ頓狂な声を上げました。
わたくしのような少女が解体までできるとは思わなかったのでしょうか。
わたくしは返事を待たず、再びリュックから、森で愛用していた黒曜石のナイフを取り出しました。
ショートソードは戦闘用。
解体には、こちらの道具の方が適しています。
(【真理解析】)
わたくしは、オーガの死体に左手を触れさせ、その構造を完璧に把握します。
[対象:隻眼のオーガ(死体)]
[素材解析:魔石、牙、皮]
[最適解体ルート:表示]
「…では」
わたくしは、小さく呟くと、黒曜石のナイフをオーガの分厚い皮膚の弱点へと、滑らせました。
三年間、森で繰り返してきた作業。
角ウサギも、アビス・リザードも、このオーガも、わたくしにとっては素材という点で、何ら変わりありません。
【真理解析】が示す最短ルートに従い、血を浴びるのを最小限に抑えながら、皮を剥ぎ、筋を断ち、牙を固定している顎の骨の結合部を的確に破壊する。
「…」
エリーゼさんとニーナさんが、息を飲む音だけが聞こえます。
森で生きるために培われた、一切の無駄がなく、恐ろしいまでに手際の良い解体技術。
やがて、わたくしは、血まみれのオーガの心臓部から、鈍く光る魔石を掴み出しました。
わたくしは、近くの茂みでナイフの血を拭うと、二本の牙と魔石と皮の一部を手に、二人の元へ戻りました。
「エリーゼさん。ギルドへの提出は、この魔石で足りますか?」
「あ…は、はい!十分すぎます!」
エリーゼさんは、わたくしの手から、慌てて魔石を受け取りました。
「あの…ルナイズさん。牙と皮は…」
「これは、わたくしの獲物として、頂戴いたしますわ。」
わたくしがそう言うと、二人は「当然です。」とばかりに、何度も頷きました。
余った素材も持っていくのであれば二人に持っていってもらっていいと告げましたが、ニーナさんも怪我をしているため、荷物は最小限に抑えておくことを選択したようです。
死骸と余った素材は簡単に燃やして処分しました。
「さて。」
わたくしは、牙と皮をリュックにしまいながら、ニーナさんの腕に視線を移します。
「街へ戻られますのでしょう?ニーナさん、歩けますか?」
「は、はい!腕の骨折だけで、足に怪我はありませんから!」
ニーナさんは、わたくしの気遣いに恐縮したように、慌てて立ち上がりました。
「どうか、お気遣いなく、ルナイズ様!」
「そうですか、承知いたしましたわ。」
わたくしは、再びリュックを背負い直しました。
「エリーゼさん。約束通り、街までの道案内と、入都の手続き、お願いできますわね?」
「もちろんです!」
エリーゼさんが、力強く頷きました。
「ルナイズさんを、ギルドが最大限、歓迎いたします!」
こうして、わたくしたち三人は、交易都市アルカディアへと向かう街道を、歩き始めたのです。




