閑話:名残
黒の森の出口が、もうすぐそこまで迫っていた。
三年間、わたくしを育て、わたくしを殺そうとしてきたこの森とも、ようやくお別れだ。
木々の隙間から差し込む光が強くなり、森の外の街道を流れる風が、わたくしの髪を揺らした。
「…この髪も…結局少し切っただけでしたわね。」
わたくしは、手慣れた仕草で、肩を少し過ぎるあたりまで伸びた銀髪をかき上げた。
この三年、毎日、水浴びは欠かさなかった。
あの森で暮らす中で、多分わたくしがわたくしであるための儀式だったのだと思う。
おかげで、かつて塔で埃にまみれていた頃とは違う。
うっすらと日に焼け、健康的に引き締まった身体は、常に清潔だった。
『《フン。その邪魔な髪、なぜ、切り落とさなかった、ルナイズ。》』
脳内に、先生のいつもの皮肉が響く。
この三年、先生は何度もそう言ってきた。
「…」
わたくしは、答えなかった。
確かに、狩りや戦闘において、この長さの髪は邪魔だ。
黒曜石のナイフで、何度も肩を少し超える長さには揃えてきた。
だが、それ以上短くは、しなかった。
あの塔で、色褪せ、痩せこけたわたくしが持っていた、唯一のもの。
この銀髪を、完全に切り落とすことは、なぜかためらわれた。
それが、わたくしとしての最後の矜持だったのか。
それとも、森の中で過ごす中でも、少しでも文化的な要素を持ちたい、意地だったのか。
あるいは、ただの女としての、ささやかな抵抗だったのか。
(…今となっては、もう、分かりませんわ。)
わたくしは、懐から皮の紐を取り出し、その銀髪を、うなじのあたりで、一つに束ねた。
(先生。)
わたくしは、今度は声に出さず、思考だけで呼びかけた。
『《…フン。ようやく、その口を閉じる気になったか。》』
先生が、わたくしの意図を即座に読み取る。
(当たり前ですわ。)
(これより先は人里。わたくしが、空中に向かって先生などと呼びかければ、次の瞬間に狂人として、衛兵に捕まってしまいます。)
『《ハッ!ようやく、貴様のその頭脳も、人間の常識を思い出したようだな!》』
先生が、楽しそうに笑う。
『《いいか、ルナイズ。人前では、ワガハイとの会話は、思考のみで行え。》』
(…それは、先生こそ。)
わたくしは、きつく束ねた髪を一度揺らし、リュックを背負い直しながら、反論した。
(わたくしが、街のチンピラに絡まれるようなことがあっても、脳内で『この大馬鹿者が!』などと叫んで、わたくしの集中を乱さないでくださいましね?わたくし、先生のせいで、うっかり相手を殺してしまいそうですわ。)
『《…フン。》』
先生は、それきり、面白くなさそうに黙り込んだ。
(…さて。)
わたくしは、森の出口、最後の茂みの前に立った。
『《…行くぞ、ルナイズ。》』
先生の声が、厳かに響く。
『《——ワガハイの足を、引っ張るなよ。》』
(ふふ、先生に足なんてありませんわ。)
わたくしは、小さく息を吸い込み、最後の茂みをかき分けた。
三年間、わたくしを隔絶していた森が、終わりを告げる。
目の前に、太陽の光に照らされた、一本の街道が、どこまでも続いていた。




