第十四話:そして、これから
「ぐっ…!」
衝撃は逸らしたものの、身体への負担は大きい。
何より、魔力の残量が、今の【魔導盾】で危険域に突入している。
(…緊急だったとはいえ、大きく展開しすぎましたわね。もっと小さく出さなくては…)
『《…チッ!ギリギリだな!》』
先生が、わたくしの思考を読み取ったかのように、舌打ちしました。
『《だが、今の攻撃で奴の「弱点」が更新されたぞ、ルナイズ!》』
わたくしは、泥まみれの顔を上げた。
【真理解析】の表示が、更新されています。
[弱点(1):眉間]
[弱点(2):瘴気外皮(左脇腹)、魔力循環の淀み]
『《見えたか!あの爪を【魔導盾】で受け流した瞬間、奴が体勢を立て直そうとして、魔力の流れが一瞬、左脇腹で停滞した!》』
『《あそこが、奴の核だ!》』
アビス・リザードは、まだ目の眩みが取れないのか、苛立たしげに首を振っている。
だが、その鼻は、確かに、泥水の中に転がるわたくしを、捉えていた。
「…ええ、見えましたわ。」
わたくしは、ショートソードを握り直し、泥水の中から、ゆっくりと立ち上がった。
足が震える。魔力の枯渇が、身体の自由を奪おうとしている。
次の一撃が、最後だ。
防ぐ魔力も、逃げる魔力も、もう残っていない。
「ガアアア!」
視覚が回復したアビス・リザードが、今度こそわたくしを仕留めんと、瘴気をまとった巨体で突進してくる。
地響きを立てて迫る死の塊。
『《来るぞ!【身体強化】【軽身】、起動!ヤツの真下に潜り込め!》』
「無茶を!…必要性がありませんわ。」
わたくしは、先生の指示を一蹴し、残った魔力を練り上げる。
(これで、最後…!)
突進してくる魔獣に対し、わたくしは真正面から跳躍した。
【軽身】で羽のようになった身体が、迫る巨体を優雅に、紙一重で躱す。
そして、空中で魔獣と交差するその瞬間。
(術式起動—【土工】!)
わたくしは、魔獣が踏み込もうとした足元の地面に干渉する。
沼地の水分を利用し、土の結合を解く。
一瞬で、そこは底なしの「ぬかるみ」へと変わった。
ズブッ!
「グォ!?」
踏ん張りが効かず、アビス・リザードがバランスを崩す。
巨体が大きく傾き、その鉄壁の守りである左脇腹を、無防備にわたくしへと晒した。
(——ここ!)
『《行けえええ!ルナイズ!》』
先生の絶叫が、脳内に響く。
【真理解析】が示す、ただ一点の弱点。
魔力の淀み。
そこには、鱗の隙間から、ドクンドクンと脈打つ魔力の光が見えた。
わたくしは、着地と同時に、最後の魔力を腕力へと注ぎ込む。
(術式起動—【身体強化】!)
筋肉が悲鳴を上げるほどの過負荷。
わたくしは、ショートソードの切っ先に、この森で手に入れた覚悟の全てを乗せ。
「——貫け!」
ズブリ、と。
硬い鱗の手応えを突き破り、剣が、魔獣の核を、確かに貫いた。
熱い血飛沫が、わたくしの顔にかかる。
「ギ…ギ……ァ…」
アビス・リザードは、わたくしを見下ろしたまま、その紫色の瞳から光を失い。
やがて、ゆっくりと、ズズーン…と音を立てて、泥水の中へと崩れ落ちていった。
「…はぁ…っ、はぁ…っ!」
わたくしは、魔獣の死体に突き刺さったままの剣に寄りかかるようにして、荒い息を繰り返した。
視界がチカチカと明滅する。
魔力は、完全に枯渇。
体力も、限界だった。
『《…フン。…仕留めたか。》』
先生が、どこか安堵したように、しかし、いつもの皮肉を込めて言った。
『《ワガハイの理論では、あと30秒は早かったがな。》』
「…先生の理論では。」
わたくしは、泥と血にまみれた顔で、やっと笑みを浮かべた。
「きっとわたくし、死んでいましたわ。」
勝利の余韻に浸る間もなく、わたくしは仕事に取り掛かる。
このままでは、血の匂いに釣られて他の魔物がやってくる。
今のわたくしに、それを撃退する力はない。
わたくしは、ショートソードを引き抜き、魔獣の死体に触れた。
(【真理解析】)
[対象:アビス・リザード(死体)]
[状態:生命活動停止]
[素材解析:魔眼、瘴気外皮、毒の爪、魔石]
「先生…この素材、何かに使えませんでしょうか?」
わたくしは、自分のボロボロになった皮鎧を見下ろした。
度重なる戦闘で、もう限界を迎えていた。
『《フン。貴様のその貧弱な防具よりは、マシなものが作れそうだな》』
先生が、思考する。
『《特にこの瘴気外皮は魔法耐性が高い。…旅に行くんだろう?》』
「…旅、ですわね。」
わたくしは、空を見上げた。
鬱蒼とした木々の隙間から、眩しい太陽の光が差し込んでいる。
三年間、この森に閉じ込められていたわたくしを、外の世界へと誘うように。
わたくしは、魔獣から価値のある魔石と魔眼、そして外皮の一部を、黒曜石のナイフで器用に切り出した。
慣れた手つきで処理を済ませると、なめし革のリュックに、慎重に詰め込んだ。
………
……
…
…数日後。
アビス・リザードの皮を使った、頑丈な新しい防具が完成した。
わたくしは、最後の荷物をまとめる。
干し肉、石で作った水筒、そしてこの前の卒業試験で手に入れた、最高級の素材。
わたくしは、三年間、わたくしを生かしてくれた、この洞穴のかまどの火を、丁寧に、水で消した。
ジュッ、と白い煙が上がり、洞穴の中が静寂に包まれる。
「…先生。」
「三年間、お世話になりましたわ。この『我が家』とも、お別れです。」
『《フン。感傷に浸るな、ルナイズ。》』
先生の声が、まるで隣から聞こえるかのように、わたくしの意識に溶け込んでいた。
『《貴様の「旅」は、ようやく、ここから始まるのだ。》』
わたくしは、頷いた。
そして、三年間、わたくしを雨風から守り、育ててくれた洞穴に背を向けた。
振り返らない。
街へと、その確かな一歩を踏み出した。
(わたくしの力が、この世界でどこまで通用するのか、今から楽しみですわね。)
左目に宿る先生と共に。
わたくしは、どこまでも続く旅路へと走り出した。




