第十二話:復讐
次の日から、黒の森での生存と呼ぶには過酷すぎる日常が始まった。
罠は、より巧妙になり、対象はウサギから、森ネズミ、時には小型のイノシシへと変わっていった。
【土工】の術は、罠作りだけでなく、拠点の拡張(寝床の整備、食料貯蔵庫の作成)にも使われた。
狩りを繰り返して、獲物の皮をなめし、粗末な衣服を作った。
【真理解析】で食べられる薬草と毒草を選別し、月雫の実以外の栄養も確保した。
塩の成分を含む岩石を解析で見つけ出し、それを削って、この森で初めて味付けされた肉を食べた日、わたくしは、声を上げて泣いた。
…そんな日を繰り返し、罠だけでは対処しきれないゴブリンの斥候との遭遇も増え、黒曜石のナイフでは限界を感じ始めた、ある日のこと。
『《…ルナイズ、北北東、距離300。》』
先生が、新たな標的を捉えた。
そこでわたくしが見つけたのは、ゴブリンの群れにでも襲われたのか、無残な骸となった、一人の冒険者の亡骸だった。
わたくしは、骸に短く黙祷を捧げ、その腰に差されたまま、幸運にもゴブリンが見逃していったショートソードを、そっと引き抜いた。
ずしりとした、鉄の重み。
それが、わたくしの武器となった。
来る日も来る日も、水汲み、罠の見回り、食料の加工、そして、ショートソードの素振り。
先生のナビゲートは、時に厳しく、時に的確で、わたくしは心身ともに回復していった。
そんな日々が、一年、過ぎた頃——。
洞穴の入り口に立つわたくしは、もう、あの痩せこけた、絶望に打ちひしがれていた少女ではなかった。
日に焼け、筋肉がつき、獲物の皮で作った衣服をまとい、腰には一振りのショートソードを携えた、一人の狩人の姿が、そこにあった。
一年ぶりに、わたくしは、拠点から離れた、森の境界線近くまで来ていた。
木々の隙間から、遠く、小さく、あの憎むべきアルクライド公爵家の屋敷の塔が、夕焼けに染まっているのが見えた。
『《…フン。随分と、マシな身体つきになったな、ルナイズ。》』
脳内に、先生の声が響く。
この一年、片時も離れなかった、師の声だ。
「先生のおかげですわ。」
わたくしは、穏やかな声で、そう答えた。
一年間の発声リハビリで、わたくしの声は、もう掠れてはいなかった。
『《ワガハイの指導の賜物だが、貴様の努力も認めよう。》』
先生は、珍しく素直にわたくしを認めると、あの、一年前に見た塔を指し示すかのように、言った。
『《さて、ルナイズ。貴様は、体力も魔力も、そして知恵も手に入れた。》』
『《——どうする?》』
「…どうする、とは?」
『《決まっているだろう。》』
先生の声が、あの日のような、怒りと無念を帯びた響きに戻った。
『《復讐だ!》』
『《貴様を虐げたイリス!貴様を汚点と呼んだ愚かな両親!あの傲慢なるアルクライドの一族に、復讐を遂げるのだ!》』
先生は、あの日のように、わたくしの憎悪を煽ろうとした。
だが、わたくしは。
わたくしは、静かに、その塔から視線を外し、自分の手を見つめた。
この一年で、すっかり硬くなった、狩人の手。
「…先生。」
わたくしは、ゆっくりと首を横に振った。
「わたくし、復讐は、もういいですわ。」
『《…なに?》』
先生が、心底、理解できないという声を出した。
『《貴様、あれほどの屈辱を、忘れたとでもいうのか!》』
「忘れません。」
わたくしは、きっぱりと答えた。
「あの二年間…あの運命の日からの屈辱も、恐怖も、寒さも、飢えも、決して忘れません。」
「ですが。」
わたくしは、黒の森の、奥深くを見つめた。
まだ【真理解析】でも”未知”と表示される、広大な世界。
「わたくしは、この一年、この森で生きてきて、気づいてしまったのです。」
「復讐のために生きるということは、わたくしの残りの人生すべてを、あの忌まわしいアルクライド家とイリスに、再び支配されることだと。」
『《…!》』
「わたくしは、もう、誰にも支配されたくありません。」
「わたくしの時間は、わたくしのものです。」
「あの人たちのために使う時間など、一秒たりとも、もう、もったいないのですわ。」
わたくしは、そこで言葉を切り、深く、森の空気を吸い込んだ。
「わたくし、旅に出たいです。」
『《…旅?》』
「はい。」
わたくしの瞳は、塔ではなく、まだ見ぬ世界へと向いていた。
「この世界を。このスキル【真理解析】で、見て回りたいのです。」
「わたくしの好奇心は、復讐心よりも、ずっと強いのですから。」
森の静寂の中に、沈黙が落ちた。
先生が、わたくしの言葉を、ゆっくりと解析しているかのようだった。
やがて。
先生は、心の底からの楽しそうな笑い声を上げた。
『《…フフ…ハハハ!ハーーッハッハッハ!》』
『《復讐よりも、好奇心が強い、だと!》』
『《アルクライドの血に縛られんとは!》』
先生は、最大級の賛辞を、その古風な言葉に乗せた。
『《——それでこそ、ワガハイの生徒だ、ルナイズ!》』
『《よかろう!貴様のその旅、ワガハイが、この世界の果てまで付き合ってやる!》』




