風の廊下で出会った人
昼休みが終わる少し前、机の上に積まれた書類の山を見つめていた。
まるで小さな山脈のようだ、と心の中でため息をつく。
王都の文官になって三年。人と深く関わらず、与えられた仕事を淡々とこなす毎日は悪くない。私には、それがちょうどいい。
「セレスティア、この書類、第一騎士団へお願いできるかしら?」
上司のマリアンさんが声をかけてくる。柔らかい口調の奥に、いつも芯の強さを感じる人だ。
「はい。すぐに行ってきます」
「助かるわ。副団長に渡してね」
書類を抱え、王城の長い廊下へ出た。
風がよく通るこの廊下は、季節を問わずひんやりとしている。頬を撫でていく風が、少しだけ気持ちを軽くしてくれた。
歩きながら、ふと実家のことを思い出す。
小領地の伯爵家。妹のアリシアは家族の愛を一身に受け、私はその隣で手のかからない長女として扱われてきた。
褒められることも、求められることも少なく、いつの間にか感情の出し方を忘れてしまった。
だから、風が好きだ。
風は何も言わず、ただ通り過ぎてくれる。
気づけば、騎士団棟の前に着いていた。扉をノックすると、低く落ち着いた声が返ってくる。
「どうぞ」
中には、一人の青年がいた。灰色の髪が光を受けて柔らかく揺れ、机の上の書類に目を落としている。
「文官課のセレスティア・エルノートです。こちら、来週の警備計画の書類です」
「ありがとう。そこに置いてくれ」
短く、それでいて穏やかな声だった。顔を上げた彼の瞳は淡い青。氷ではなく、水のような静けさを湛えている。
「副団長殿にお渡しするようにと伺っていましたが……」
「ああ、それなら僕です」
彼は軽く笑った。
「ライナー・アストレイ。副団長を務めています」
その笑顔に、少しだけ肩の力が抜けた。
受け取った書類を丁寧に扱う仕草にも、彼の人柄がにじんでいた。
「遠いところまで、ありがとうございます。文官の方々には頭が上がりません」
「いえ、私たちこそ騎士団の方々に助けられています」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
「この廊下、風が強いでしょう。通るたび髪が乱れて困るんですよ」
「ええ。毎回、前髪が言うことを聞かなくなります」
「それは僕も同じだ」
彼は笑いながら乱れた髪を整えた。その仕草に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
こんなふうに、人と穏やかに話したのはいつ以来だろう。
職場に戻りたまった仕事に取り掛かる。
その姿を見た同僚が軽く笑った。
「また黙々と仕事してる。ほんと、冷たい人だよね」
悪意のない冗談。でも、胸の奥が少し痛んだ。
翌日も、書類を届けに騎士団へ向かった。長い廊下の向こうから、ライナーが歩いてくる。
「今日も風が強いですね」
「ええ。昨日より冷たいです」
「季節の変わり目です。風邪をひかないように」
それだけの会話。けれど胸の奥が、不思議と温まった。
風が心の奥まで通り抜けていったような気がした。




