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第三話

 その日、事務所に入って最初に目に入ったのは、入り口脇で無言のまま立っている、背の高い50代くらいの男だった。

 全身の筋肉は黒いツナギで覆われ、大きなアザのある顔に黒マスク。腰には一本の箒。それだけ。目と髪は灰色で、生き物を測るようにこちらを見ている。


「今日、フィナはコンラッドとペアよ」


 テッサが拾得物台帳を持ちながら言う。ホシノの姿はない。


「よろしく、です」


 返事はない。うなずきだけ。



 行き先は郊外の廃城跡。入口が中層四層目に繋がっているタイプだ。


 事務所の裏庭にテッサが案内した。荷台付きの小さな馬車と二頭のポニーが繋がれていた。栗色と白のまだら模様。鼻先から白い息が揺れ、耳がこちらを向いた。

 フィナが近寄ると、栗色のほうが首を揺らす。


「……この子たちが、クリーニングポニー?」

「八代目と九代目よ」


 テッサが事務的に答える。

 荷台に並んでいるのは、箒、モップ、防毒マスク、防腐布、短い柄のスクレーパー、ランプ、拡張収納袋、各種薬液。瓶の中の液体は、表面がじんわり赤く光っている。

 フィナは荷台の隙間にお菓子袋を忍び込ませ、馬車に乗り込んだ。


 コンラッドが手綱を引くと、蹄の音はほとんどしない。静音蹄鉄の効果らしい。

 石畳から土路へ。街路灯の明かりが薄れていくのと同時に、郊外の冷たい空気が頬を刺した。



 廃城跡の前で、ポニーは勝手に足を止めた。魔誘符の指示で行き先を覚えているらしい。


 荷台から降り、入口手前で装備を確認する。ホシノは最低限ではあるものの説明をするタイプだったが、コンラッドは一言もしゃべらない。


 地下階段を下りると、湿った空気に冷気が混ざる。

 ランプの光に照らされるのは、床一面に散らばった黒い羽と、獣毛のような硬質の毛の欠片。

 ところどころ、羽がかすかに青緑に光っている。魔力の残滓だ。


「掃く」


 低い声が背後から落ちてきた。フィナは無意識に背筋を伸ばして頷く。

 

 コンラッドの箒がすっと床を払う。

 普通の掃き動作なのに、毛先から薄白い粒子が舞い上がりもせず、すべてが“音もなく”一方向へ寄っていく。


 寄せられた羽毛はひと塊になった瞬間、箒の根元に埋め込まれた《吸孔札》に吸い込まれ、跡形もなく消えた。

 魔甲蟲が二匹、羽毛の中で蠢いたが、動いた途端に淡い銀光に包まれ、砂のように崩れた。


「……どうやって?」

「箒」


 やはり説明はない。

 短いやり取りだけ残して、作業は次の区画へ滑るように進む。  

 


 五層目。広間中央には、乾ききらない赤黒い染み。横倒しになった木製テーブルは脚が三本折れ、樹皮の香りと同時に酸味を含んだ生臭さを漂わせている。

 フィナがしゃがみ込み、革手袋越しに染みへ触れると、指先にぬるりとした感触。


「血と発酵酒の混在……かなり滑りますね」

「酸化前に落とす」


 コンラッドが渡してきたのは、小瓶に入った緑がかった液体。《グライドク吸着液》。

 雑布に染み込ませ床を撫でると、固まっていた染みがその輪郭を残したまま剥がれ上がり、するりと布に絡みつく。


 剥がれた面から立ち上る湯気のような白い霞は、肺に入ると軽く痺れを残すため、防毒マスク越しでもわずかに鼻腔が熱くなった。


 コンラッドは倒れたテーブルから木片をまとめ、「燃える」とだけ言って山に積む。


 灰を集めるフィナの視線が瓶の破片に吸い寄せられた瞬間、鼻へ甘い香りが刺さる。《甘嘆酒》──強い麻痺作用を持つ酒精成分だと気づき、すぐ拾得物袋に入れてタグを結ぶ。

 フィナは残り香に顔を顰め、袋からクッキーを出して口に放り込んだ。


 そのとき、広間の奥にある壺がまだらに光っていた。


「まどぉうぐ?」

「《魔毒壺》。触るな」


 コンラッドがフックランプを向けると、壺の内側にだけ紫色の光が満ちた。すぐに防腐布で包み、背の拡張袋に収めた。



 六層、狭い通路が迷路のように入り組んでいる。古びた木箱をどけた途端、影が飛び出した。《スニッパーウィーズル》。鼬の魔物で歯は金属をも裂く。


 噛みつかれる寸前、コンラッドの箒がふっと横に振れる。毛先から無色透明の波が走り、鼬の身体が宙に浮いたように後退し、そのまま通路奥の闇に沈んだ。


「…………どうやって??」

「掃いた」


 足元に散らばった木屑、錆びた釘、魔鎧片と呼ばれる装甲破片──フィナはそれらを一つずつ拾い、《封菌袋》や金属用の《魔鎮布》に分別していく。

 膝についた土がじんわり冷たいが、気にもしなくなっていた。



 七層。腐食で穴だらけになった鉄箱が横倒しになっている。蓋の隙間から短剣と小銭入れが覗いていた。


「拾得物」


 渡された小銭入れからは音がしたが、フィナは開けない。


「……見ないって習いました!」

「正解」


 奥の壁際には燭台の台座から落ちた灯具と油じみ。コンラッドが芯を抜き取り、油膜ごと布に包み、新しい芯を差し込む。


 通路の突き当たり、石壁の崩れ目から冷気。吐息に混じって、わずかな《下層瘴気》の匂い──薬草を焦がしたような苦い匂いが上がってくる。


「下層の漏れ。塞ぐ」


 二人で石片を運び、《イドク赤胆塩》を振りながら土を詰め、魔素汚染の拡散を防ぐ。



 八層。最終区画。

 噴水跡の広間中央には、巨大な蝙蝠グレイヴウィングの死骸。翼手は半液体形化して床にこびりついている。


「……初めて見た」

「初めてでも、やることは同じだ」


 防毒マスクを装着。コンラッドは棺桶ほどの拡張収納袋を開き、フィナは防腐薬エンバルサ入りの布で死骸の関節部を素早く包む。たちまち防腐薬が反応し、死骸の輪郭がゆっくりと縮まっていく。


 中からはしばらく鈍い音が続いたが、やがて緩やかに静まった。呼吸を合わせて袋に収め、封をする。

 残った獣毛は箒で集め根元の《吸孔札》に。床を綺麗に拭き、壁一面《イドク硫漬布》で押さえて胞子の飛散を抑える。

 広間は、ただ石の匂いと水の名残だけになった。



 地上へ戻ると、白んだ空気の中で栗色のポニーが耳を動かした。


 荷台に道具と回収物を積み終え、コンラッドが手綱を握った。

 蹄の音は、行きよりもさらに静かだった。

 しばらくして、コンラッドがぽつりと言った。


「慣れたな」

「……そう見えます?」

「ああ。箒がよく動く」


 それはたぶん、褒め言葉だった。

 フィナは少し口元をほころばせたが、隣を見るとすでにコンラッドは前を向いていた。


 街の境界が見えてきたころ、東の空に淡い桃色が差し込み始める。

 今日の仕事は終わり――だが、帰ればまた次の出発準備が待っている。


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