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第十七話

 深夜二時を回った街は、濃い霧と寒風にすっぽりと覆われていた。

 石畳を叩く風は獣の咆哮のように響き、街灯の光は鈍く滲んで、まるで水底から見上げる月のように揺らいでいた。


 その静寂を切り裂くように、《派遣おそうじ クリーニングポニー》深夜班の一行は国家防衛局の前に姿を現した。


「行くぞ」


 ホシノの低い声が、夜気を裂く。


「おこんばんはぁ〜! 緊急掃除依頼で〜す!! 深夜作業割増料金いただきまぁす!」


 テルコが豪快に両手を振って叫ぶ。

 その明るすぎる声は、禍々しい威容を誇る国防局の黒塊にはあまりに不似合いだった。


 門兵たちは一瞬凍りつき、すぐに顔を真っ赤にして前へ詰め寄る。


「何者だ! 立ち止まれ!」

「身元を示せ!」


 だが次の瞬間、ゲンゾウとトメが二人がかりで巨大な鉄扉を抱え上げた。

 鎖が外れる音、油の切れた蝶番が悲鳴を上げる。


「ほれ見てみ、錆びで軋んどるわ」

「ほんと、掃除も修繕も大仕事ねぇ」


 老夫婦はそんな会話を交わしつつ、常人では到底動かせぬ重扉を軽々と引きずってゆく。

 警備兵の喉から中途半端な悲鳴が洩れた。


「し、侵入者──っ!」


 局内に怒声が走り、複数の足音が石床に乱れた。

 深夜に叩き起こされた国防局長は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

 だが次に耳にした報告で、その顔は見る間に青ざめた。


「相手は……竜落の英雄、ゲンゾウとトメ。その弟子にして同格のホシノとコンラッド。加えて規格外主婦のテルコ。全員がカメリアクラウン級!」

「ば、馬鹿な……!」


 局長は乾いた声を洩らし、一気に判断を下した。


「――いいか。絶対に手を出すな。か、彼らは依頼で来た、それを忘れていた。局員は業務に専念しろ。目を逸らせ!」


 戦えば損耗必至。それを誰もが悟った瞬間だった。


 

 フィナの収容室。

 震える少女の元へ、静かに扉が開く。

 防衛局の看守が腰の剣へ手をかけた瞬間、コンラッドが無言で歩み寄り、その鋭い眼差しだけで相手を撃ち抜く。

 看守は氷漬けにされた獣のように立ち尽くした。


「……!」


 フィナの目が見開かれる。

 ゲンゾウが軽々と細い身体を抱き上げる。

 ホシノが背を張ってその背後に立ち、テルコがわざと明るく肩をすくめる。


「フィナちゃーん! お迎えぇ〜! 帰る時間よ♪」


 その声に胸を締めつけられたように、フィナの力は抜け、仲間の腕に身を委ねた。


 廊下を進む一行に、兵は誰も眼を合わせなかった。まるで空気のように彼らを無視し、隊列は粛然と出口へと向かった。


 外気は刺すように冷たかった。

 漆黒の街路に出た一行は、一瞬だけ足を止めた。

 石畳を吹き抜ける夜風は酷く冷たく、霧の帳が音を吸い取る。


 フィナは息を荒げたまま、まるで夢の中にいるように仲間の姿を見回した。

 ホシノは短く息をつき、月光を仰ぐ。白い光が横顔を照らす。


「戻れば国に追われる。けれど──潜れば迎えるのは底だ」


 誰も答えはしなかった。だが目と目が交わり、答えは同じだった。


 フィナは震えが止まらず、息が途切れそうになる。

 しかしホシノがその手をしっかり握る。


「……怖い」 


 囁きは掠れた吐息となって夜に消えそうだった。だが、ホシノの目線は揺るがない。


「大丈夫だ。俺たちがいる」


 温もりが伝わり、フィナはかすかに頷いた。


「休ませたいが……このまま潜る」


 ホシノが告げる。

 仲間の視線が交錯し、緊張が走った。

 だがフィナが顔を上げて言葉を重ねた。


「……行きます。皆さんと一緒に」

 震えを帯びた声。けれど瞳には、小さな火が灯っていた。



 石段を降りるごとに空気は重く湿り、苔と鉄錆の匂いが強まる。

  天井から滴る水が石床に弾け、粒子のような光を一瞬宿しては消えていく。


 十二層、十五層、十八層……。階を下るごとに光粒子は数を増し、壁の苔の隙間や石畳の割れ目から滲むように生まれては漂った。

 薄灯に照らされる度、その粒は蛍のように瞬き、視界の端に尾を残す。


 息を吸えば、鉄の匂いの奥に甘さが混ざった味がする。

 フィナは思わず唇を噛み、胸の奥の脈動に手を当てた。


「また……聞こえる」


 耳の奥に囁きが残る。≪欲シイモノハ底ニアル≫。

 足元を踏めば石畳の隙間からか細い光がふわりと舞い、やがて一行の進む方向をはっきり指し示す道標へと変わっていった。



 二十層を下り、空間が開けた瞬間だった。

 青い粒子は突如渦を巻き、波紋のように視界を覆う。


 浮かび上がったのは――過去の断片。

 剣を振る冒険者。仲間を支える掃除人。傷だらけで笑う者。壁に寄りかかり疲弊して眠る若者…。


 その一つ一つが淡く輝き、時間の隔たりを超えて重なり合う。


「……祖母の記憶だ」


 テッサが掌を広げ、目を見開く。


「あれが……伝説の掃除婦の残滓」


 ホシノは喉を鳴らした。

 目に映ったのは、血に塗れた竜へ素手で挑む巨躯の姿。

 拳が牙を砕き、深奥を突き破る。竜は絶叫して崩れ落ちる。


「……竜を素手で……」


 ゲンゾウが頷く。


「伝説と呼ぶには荒っぽいがな、事実だ。レイチーこそが竜殺し。だが奴は同時に、この底と融合した」


 テッサの瞳が震えを帯びながらも凛とした光を宿す。


「祖母はただの英雄じゃない。このダンジョンそのもの。……向き合わなければ、終わらない」


 胸が締めつけられた。

 テッサにとって幼い頃から聞かされてきた伝承。その背中をこうして目の当たりにする日が来るなど思いもしなかった。


「おばあちゃん……」


 小さく震えた声が漏れる。


 フィナは飴玉を強く握り、指先に冷や汗を滲ませる。胸の奥で、怖さと共にじんわり広がる懐かしさと甘さ。体内の震動が映像と共鳴し、己の存在までも浸されていくようだった。

 フィナは飴玉を強く握り、指先に冷や汗を滲ませた。

 胸の奥で、怖さと共にじんわりと広がる懐かしい甘さ。



 ホシノは仲間たちを見渡し、重く言った。


「……レイチーに接触する。討つなら、新しいコアは移る。背負う意味を理解して臨め」


 コンラッドが前に出、硬い声を発する。


「心配するな。俺たちが守る。絶対に一人にはしない」


 青い粒子が螺旋を描いて昇る。

 過去と現在、命と意思を縫い合わせて。

 ――世界の核心は、もう目の前にあった。

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