第二話
掃除人フィナは、今日も仕事のために『派遣おそうじ クリーニングポニー』の事務所に集まった。
月の光は曇った空に阻まれ、窓の外は漆黒の闇が広がっていた。ただ彼女の心に緊張はなく、どこか穏やかだった。
「今日は二件、あと記録係のテッサがついてくる」
主任のホシノは、いつものマスク姿でモップの柄をさわる。テッサは書類を抱え、ぴったりとその後ろにいる。
「テッサさん、今日は現場同行するんだ」
「ええ、残念ながら。拾得物のチェックと、いくつか確認したいことがありますので」
彼女の口調はまじめそのもので、フィナは軽くうなずいた。
現場に向かうテッサは普段より少しぎこちなく、落ち着かない様子がすぐにわかった。
◆
三人が向かうダンジョンは、朽ちた城の石垣の脇にひっそりと口を開けている。
入口周囲は風が通らず、しっとりとした埃と冷気が足首を包んでくる。
中に入ると、足元には尖った複数の金属片、血の付いた布切れ、皮鞘、羊皮紙の断片が風もないのにひらひらと揺れていた。
近づけば紙の端が黒く煤けており、魔法で焼けた匂いがかすかに鼻を刺す。
テッサは、拾得物はなんでも記録すると言わんばかりに革手袋を直し、拾った羊皮紙をそっと《防腐封筒》に滑り込ませる。
それを半目で眺めていたホシノは、地面に転がる壊れた皮鞘を指差し。
「皮革だから下処理頼む」
フィナは頷き、《カビ止め荷葉粉》を内側にふりかけ、湿気と黴の芽を潰してから袋に入れた。手に残った粉が涼しい感触を残す。
「……っと、これは記録係向きだ」
錆びた指輪を拾ったホシノは、《鉄胆油》を染み込ませた薄布で包んだ。
テッサは渡された指輪をよく観察し、タグに《処理済み金属・確認》と記す。
「誰かの歴史の欠片ですから、捨てられないんです」
そう語るテッサは、愛情と責任を込めて、ダンジョンの落とし物と向き合っていた。
◆
次のダンジョンは地下室にある鉄扉の奥。
鉄扉の蝶番は錆びつき、《鳴き蜥蜴》の尿跡が酸性の筋になって残っていた。
ホシノが《イドク錆殺し油》を一筋垂らすと、じゅっと小さく弾けて匂いが和らいだ。
薄暗い土床には、尖った複数の金属片、制服らしき布切れと乾いた葉が落ちている。
布切れの端には焦げた跡と赤褐色の斑点──《戦血》と呼ばれる魔素の強い血痕。
「そういえば、魔物同士のイザコザに首を突っ込んで制服がちぎれましたよね?」
「……そんな昔の話忘れた」
そう告げるテッサに、ホシノはなんとも言えない顔で応えた。
テッサは《吸魔粉》を布全体に振り掛け、うっすらと蒼光が消えるのを確認してから袋へ入れた。
「こういうのも拾わないと、後で困るのは人間なんです」
テッサの声は事務的だが、拾い上げる仕草はどこか柔らかい。
途中でテッサが、ほんの少し光沢を帯びた灰色の石を見つける。
外見はただの滑石だが、よく見ると内側で小さな火花のような魔素残滓が瞬いていた。
《低位魔導反応石》の可能性を疑い、防魔布で二重に包み、拾得タグに《要鑑定》と追記する。
(ここにあるもの、全部誰かの思い出なんだ)
フィナは口の中で飴を転がしながら、この仕事に関わる人にわずかな尊敬を抱いていた。
下層への細長い階段を降りると、通路はすぐに広間となり、踏み固められた土の上に大小の足跡が往来した跡がある。
湿気に混じって漂うのは、灯油と革の匂い。
人の往来が多い現場特有の、生活感と緊張が混ざった空気。
フィナは、片方だけの靴を拾い上げた。
先が金属で覆われている靴の甲には焼き切った靴紐の痕と、焦げた匂い。恐らく《拘束罠》から脱出するために急いで切ったのだろう。
ホシノは靴の内側を覗き込み、《靴底吸着草》の繊維が残っていないかだけ確認する。放置すれば寄生性の《魔腐草》が繁殖するためだ。
広間の隅には、小さなビンが転がっていた。
蓋にはひびが入り、内部で青緑色の液体が鈍く揺れる。《ドワーフ製油潤液》──金属には馴染むが人体には有毒だ。
テッサは慣れた手つきでビンを《破損品用強化箱》に収め、密封する。
ホシノが使うモップは、柄の根元から薬液を微量に滲ませられる仕組みで、彼は必要に応じて《グライドク吸着液》や《イドク赤胆塩》を切り替えている。
埃や砂、金属粉がモップ頭に触れると小さくぱち、と魔素の火花が散る。フィナは興味深そうにその燐光を見つめた。
「主任って掃除が好きなんですか?」
「あのな……モノは痕跡であり異物。それが落とし物であれ、魔物の死体であれ、俺たちはそれをダンジョンに残さない」
無表情だが言葉は重く、箒の動きは一切淀みがない。
袋の中で、ごく小さな金属音が鳴った──さっき拾った靴が金属片に当たった音だ。
フィナはその音に、持ち主の一瞬の行動を想像し、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
◆
朝焼けの空に、三人の影が街の灯りとともに薄く伸びる。
これからテッサは膨大な帳簿の整理に戻り、ホシノは次の準備に取りかかる。
フィナはふんすと、日々の掃除と細やかな気づきを胸に抱いていた。
「明日も変わらず掃除だ、ただし一件だけ」
ホシノはそう言って、疲れた顔も少しだけほころばせた。