第十四話
記録局の部屋は、深夜にもかかわらず暖気と紙の匂いに満ちていた。
壁一面の棚には拾得物台帳が並び、床には分類待ちの袋や封箱が積まれている。
テッサは机に座り、革手袋越しに布袋を持ち上げた。
本来なら、清掃後の拾得物は冷え切っていて無機質だ。だが今日の袋は違った。触れた瞬間に、わずかな熱が手のひらへ伝わる。体温ではない、もっと深いところから滲み出る温もり。
彼女は眉を寄せた。
「……妙ね」
紐を解く。途端、袋の口から青白い粒子がふわりと浮かび上がった。
まるで小さな虫が光を帯びて漂うようだが、その粒はいずれも呼吸しているかのように脈を打っていた。
テッサは即座に防護符を展開し、魔封瓶を取り出す。
慎重に粒を瓶に誘導すると、内側でぱっと散り、やがて再集合して一つの塊になった。
瓶が小さく揺れる。
塊が――鼓動した、心臓のように。
「……生体反応……?」
思わず声が漏れ、テッサは台帳に羽根ペンを走らせる。
王148サ59
城郭前第二市場
層:十一(再調査時)
担当:ホシノ
回収:血痕膜、骨片、武具破片
備考:青白粒子 脈動/生体反応?
観測者らしく言葉を慎重に選ぶ。だが手が震えた。
ただの光の粉塵が"生きて"いるなど、常識に反しているからだ。
これがダンジョン由来のモノであれば、ダンジョンは地上へとその根を広げていることになる。
ダンジョンの拡張……消え去るのではなく、残って、生き続けるとしたら。
◆
テッサは積み上げられた古い台帳を引き寄せた。
ページをめくると黄ばんだ紙から煤が舞い上がり、記録員の走り書きがかすれて浮かび上がる。
王98
旧神殿二十七層崩落
竜骸 消失
担当掃除人 L.
失踪/記録不能
L.――レイチー。彼女の祖母の頭文字だ。
幼少の頃から祖母の話はあったが、会ったことはない。生まれる前に失踪したから。
抱かれたことも話したこともないのに、時折「掃除は命を守るんだよ」という声が耳に蘇ることがある。それは、祖母の手記を読んでいたからか、母が祖母の言葉として話していたからなのか。
古い肖像でしか知らないはずの顔が、不意に鮮明に浮かび上がる。
(……祖母の活躍した50年前に、ダンジョンはより活発化した……冒険者の被害は増え、掃除人の被害は目に見えて減った……竜種が減り、魔物の種類が増えた……そして魔物の喰いあいがなくなる……)
(祖母は……竜のコアを壊した。コアは“脳”。なら、その“後”。何故ダンジョンは活発化したの?)
ページの文字がかすかに揺れる。胸に冷たいざわめきが走った。
◆
瓶がカチリと鳴った。
霜のようなひびが蓋に走り、光粒が内側から瓶壁へ押し寄せる。
テッサはすぐ補強符を貼り、息を詰めた。
粒は外を窺うように集まり、まるで"見ている"と訴えているようだ。
その時、扉が開いた。
ホシノが書類束を携え、コンラッドを伴って入ってきた。
「っ!……テッサ、今日はもう帰った——」
「主任」
テッサは立ち上がり、瓶を指差す。
「これ、生きています。封符にも反応しています。記録に残さなければ——」
ホシノは一瞥し、声を落とした。
「見なかったことにしろ」
「なぜ……!」
「街は“ダンジョンから自分を脅かすものが出てこない"と信じている。その通念が秩序を支えている。が例外があると知れば、人の心はまず崩れる。……混乱は死に繋がる」
「でもっ!」
声を荒げかけたテッサを、コンラッドの沈黙が押し止める。
その背が語っていた。――知っている。だが言わない。そう確信させる空気だった。
古参たちはすでに情報を持っている。だが口にはせず、ただ秩序のために沈黙を選んでいる。
◆
静寂の中、瓶がふるりと震えた。
合図とも、警告ともつかない動きに、テッサの背筋が冷たくなる。
祖母の失踪と竜の崩落――五十年前の事件と、今生き続ける残光。
ふたつが重なる瞬間を、彼女は初めて触れてしまった。
だがまだ知らない。
祖母レイチー自身が、竜の脳を壊したその時からダンジョンの“脳”となったことを。
クリーニングポニーで知る者はわずか。ホシノ、コンラッド、ゲンゾウ、トメ、そして協会の長のみ。
記録係のテッサは、その手前に立っているだけだった。




