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第十三話

 深夜の街は霧に覆われていた。

 街灯の明かりは白く溶けてぼやけ、石畳を叩く三人の靴音だけがはっきりと響く。 


 ホシノ、コンラッド、そしてフィナ。今日は市場下ダンジョンの裏入口〜十三層の清掃確認。先日の十五層――ロヴァンとカンナが“光”に溶けて消えた事件。 国からなかなか再清掃の許可が下りなかったが、目撃者による再調査・再清掃を強く押したおかげで、ようやく十三層までならと許可を取り付けた。


「動線は十二層まで。袋に余裕がなければ十三層を確認して戻る」


 ホシノの声には、いつも以上に重さがあった。

 フィナは「はい」と頷いた。けれど胸の奥のざわつきは止められない。前回の光の渦、“見届けよ”と響いた声、そして仲間の消滅。あの出来事がまだ脳裏を離れない。


 石段を降りると空気は湿り、喉の奥に鉄の苦味が溜まった。針葉樹の根のような匂いに、どこか舌の上に甘さが残った。


 ランプの橙が照らす通路で、壁や床に淡く光る粉が点々と瞬くのがはっきりと見えた。


(……粉、じゃない。あの時の……)



 十一層の広間は、古い祭祀場のような石の基壇が残っていた。その周りには瓶や布切れが散乱し、松明が焦げ跡を残したまま転がっている。

 フィナは箆でガラス片を拾い、防腐布でくるもうとした。

 その刹那――

 掌の中に濃い青白い光が弾け、まるで火花のように手の甲を走った。


「あっ——!」


 次の瞬間には布を貫き、光が指にぴたりと貼り付き、這うように熱が広がる。


「フィナ!」


 ホシノの声が低く鋭く響く。


「落とせ」

「は、はいっ!」


 慌てて振り払うと、光は石床に散り、すぐに掻き消えた。

 だが指先にはなお熱が止まず、なぜか舌の奥から甘さが込み上げてきた。飴を舐めたときのように、濃密な甘味だけが。


 飲み込むとその熱は喉を滑り落ち、胸の奥に小さな脈を刻んだ。



 作業は続く。

 血痕は液で剥がす。苔は薬剤で溶かす。釘や刃片は分けて袋に収納。――ただの清掃。でもフィナには、一つ一つの残渣から光の残滓が滲み出して見えた。


 その度に胸の奥の脈が応え、甘さが広がる。恐怖よりも、なぜか心地よさが勝ってくる。


 やがて壁の黒染みにモップを滑らせた時だ。

 吸着布の下から、まとまった光がかたまりとなってあふれ出した。


 ――白光。視界全体が一瞬で満ちる。


 眩しさに息を呑む間もなく、その光は彼女の中へ流れ込んだ。


「っ……!」


 肺に押し込まれるような重い衝撃。

 胸郭の奥で異物がどくんと鼓動し、喉が詰まる。フィナは両手を胸に当て、膝をついた。

 コンラッドが一歩踏み出す。

 ホシノがフィナに駆け寄ろうとしたのを無言で制止したのだ。


 フィナの身体に、青い線が駆け巡る。血管のように腕へ、首へ、走り、顔を照らす。


 ロヴァンやカンナと同じようで違う、何かが身体を巡る感覚――けれど、不思議なことに痛みはない。ただ温かさと、これまで生きてきて感じたことのない——満腹感。


 その瞬間、頭の奥に言葉が浮かんだ。


 ≪——欲シイモノハ、底ニアル≫


 唇が勝手に動き、声に変わろうとした。


 ――バシュン!


 衝撃が走る。

 ホシノのモップが背中に叩きつけられ、衝撃波が石床に響いた。フィナの身体は肺から空気を吐き出しながら、叩き伏せられた。


「ぐへッ!!……ぃたぁい」

「お前……?」


 低く、押し殺した怒声と戸惑い。

 光は弾かれたようにしゅうと収まり、皮膚の青は次第に薄れ消えていった。だが胸の奥に、小さな熱がしこりのように残っている気がした。



 その後の作業は淡々と続いた。

 フィナは震える指で瓶の破片を袋に落とす。視界の隅では、なお光の残粒がちらついている。


 ホシノもコンラッドも口を開かない。ただ、隣に立つ二人の気配がひどく重く感じられた。


 ――やがて通路を抜け、地上に戻った。

 事務所には、朝の気配がわずかに滲んでいた。

 

 道具は棚に戻され、報告書の紙音だけが響く。だがフィナには、脈打つ胸の熱がまだ治まらない。


 洗面台で指を濡らした時。

 水滴から、光の粒がふっと立ち昇り、空気に消えた。

 それでも恐怖より、なぜか懐かしさや愛おしさを感じた。長い飢えを初めて満たされたかのように。


「……お前は、どっちだ」


 振り向けばコンラッドがいた。無表情のまま、低く落とす。

 それから何も言わず出て行った。


 机に向かうホシノは、報告符から目を離さず言う。


「他人に話すな。まだ」


 一瞬だけ鋭くフィナを見て、再び視線を戻した。


 フィナは飴玉を口に放り込む。

 しかし甘さはすぐ薄れ、奥歯にはざらりと残る結晶感だけが広がる。その舌触りは、あの光粒と同じざらつき。



 窓の外。

 霧の中で、小さな光が揺れていた。気のせいかもしれない。けれどフィナには、何度も視界を横切る青白い粒がはっきりと見えた。

 見えるのは自分だけ。

 直感した瞬間、胸のざわめきは恐怖ではなく、確かな鼓動として響いた。

 その夜。眠りに落ちるまで、まぶたの裏で青い残光は脈打ち続けていた。

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