第十二話
深夜二時半。冒険者協会裏の地下搬入口は、厳冬の風に吹き抜けられて冷え切っていた。
搬入口から続く地下通路は、王城や研究所など国の主要施設と繋がっている。この通路は緊急時以外使用禁止であるが、その入り口がいま、月明かりに照らされていた。
鎖が揺れる金属音が、がらんとした空間に低く残響する。石床の中央に、二人の影が並んで座らされている。
ロヴァンとカンナ——腕は背後で鎖に縛られ、足首には魔封じの鉄環がはめられていた。
捕われたというのに、その顔には恐怖も怒りもない。むしろ人形のように、感情の色を完全に失っている。
その無表情に、フィナの胸はざわついた。初めて経験する“人間”護送が、ただでさえ神経を張り詰めさせる──それがこの二人なら尚更だ。
「国の依頼だ。研究所まで護送する」
ホシノの低い声が、冷えた空気に沈む。
コンラッドが横から近づき、鎖の結び目を一つひとつ確認する。フィナは数歩後ろで背負袋を抱えたまま、じっとその様子を見ていた。
鉄扉の影から、国軍の小型魔導車がゆっくりと滑り込んできた。車体は硬化符で覆われ、窓は外から覗けない構造。
二人を中央の収容席に座らせ、外側から二重の封鎖符が貼られる。魔力計の針が安定したのを見て、ホシノは頷き車上へ移動した。コンラッドとフィナはポニーにひかせた馬車で並走する。
◆
車が地下通路を走り出してしばらく。
静かな車内で、計測針がぴくりと震えた。次の瞬間、床下から鈍い衝撃が突き上げ、視界全体が灰色の閃光に覆われる。
「何だ——!」
運転する兵士が叫ぶ間もなく、収容席の封鎖符がぱしんと裂け、ロヴァンとカンナが同時に立ち上がった。背を丸め、一直線に窓へ。分厚い符張りのガラスが易々と砕け、息を呑む間もなく冷気と石粉が吹き込む。
「ちっ!後方距離八!!」
ホシノの声と同時に、コンラッドが弦巻きから拘束縄を放つ。
だが二人の動きは異様に軽い。濃い青白い光が足下に集まり、次の瞬間にはもう、遠くの通路に影だけを残していた。
「追うぞ」
ホシノが短く言い放ち、背のロッドを抱えて駆け出す。すぐにコンラッドが追従し、遅れまいとフィナも後に続いた。
◆
地下通路には、さきほどまではなかった大きな穴が口を開けていた。二人の影が躊躇なくその穴に飛び込む。
ホシノはそこから視線を逸らさずに、走りながら声を張り上げる。
「位置確認!どこのだ?」
「市場下、の可能性が高い」
「ええ!市場のダンジョンに繋がったんですか!?」
「なら穴は浅いな、飛び込むぞ」
ホシノ、コンラッドは有無を言わさず暗い闇の中に飛び込んだ。フィナは一瞬戸惑ったがええいままよと身を投げ出した。
滞空時間を感じさせず、すぐ底に着地できた。目の前には長い下り階段が続いている。ロヴァンとカンナが階段をひと跨ぎで降りていく影が見えた。
二人は異常な速さで駈ける。浅層の安全圏をわずか数分で突破し、そのまま七層、九層と深層への道を間違えることなく進んでいく。
ホシノ達が必死で追っても、視界の端に見えるのは遠ざかる青白い光の尾ばかりだ。
「速すぎる……っ」
荒い息を吐くフィナ。その足元の石畳には、瞬いては消える光粉がまるで道しるべのように連なっている。
やがて通路の影から現れた魔物たち——四牙獣、群犀、空飛び蛭——が一斉に襲いかかってくる。
だが狙うのはロヴァンたちではなく、後から追う三人のほうだけだった。前方の二人には牙一本すら向けず、躊躇なく背後の追手へ殺到する。
「おかしい……」
コンラッドが低く呟き、迫る牙を箒型の武具で払う。ホシノは短く魔力符を引き裂き、閃光で群れを散らす。だが、その短い抵抗が距離を広げるには十分だった。
十三層、十四層……通常なら半時以上かかる深さを、十分足らずで駆け降りていく。
フィナの身体には空気が重く圧し掛かり、耳の奥は低い唸りが撫でる。天井から垂れる水滴は冷たくなり、呼吸は乾いた鉄の匂いを帯びた。
「速度上げるぞ」
前を向いたまま、ホシノが問う。
「……はい」
そう答えるだけで精一杯だ。
曲がり角の先──二人の背影がはっきり見えた瞬間。
通路脇の石板が炸裂し、巨大な魔甲蟲が這い出してきた。黒い外骨格には亀裂が走り、節の奥に光がぎらつく。それはやはりロヴァンたちには見向きもせず、追撃する三人に迫ってきた。
「くっ——!」
コンラッドが肩で巨蟲を押し返し、関節の隙間へ布符を叩き込む。爆ぜる音と焦げた匂いが広がる。そのわずかな遅れで、二人はまた距離を広げた。
それでも十五層入口の梯子を駆け降りた先で、二人は立ち止まっていた。
周囲の空気が震え、青白い粒子が漂っている。
ホシノは息を整えぬまま手で制し、コンラッドとフィナに左右を固めさせる。
「ここまでだ」
低く響く声。
ゆっくりとロヴァンが振り返る。その目は、捕縛時の無表情とは違い、何か訴えかけるように光を帯びていた。カンナも無言のまま、フィナに体を向ける。
ホシノが踏み出そうとした、その刹那——
《——ヨク来タ》
耳ではなく、頭蓋全体に直接響く声。深く澄んだ響きが骨の内側を震わせる。
フィナは思わず耳を押さえるが、声は止まらない。
《——選バレルノハ、器ノアル者ダケ》
青白い粒子が渦を巻き、ロヴァンとカンナの輪郭がそこに溶け込んでいく。
ホシノが伸ばした手は、見えない膜に押し返された。コンラッドは顔をしかめ、足を踏み込もうとするが、空気が水のように重く、脚が進まない。
《——見届ケヨ。オマエタチノ清メル底ヲ》
光が弾け、青い粒子が激しく渦を描く。
次の瞬間、視界が元に戻った時には、二人の姿はなかった。残されたのは石床に散った粒の波紋と、胸の奥に残る低い余震だけ。
静寂の中、誰もすぐには動けなかった。
息を吐いたのはホシノが最初だ。
「……行ったな」
フィナは膝をつき、まだ揺らめく粒を凝視していた。コンラッドが現場記録の符を起動し、低く問う。
「国にどう説明する?」
答えず、ホシノは足元の粒を一握り拾い上げ、封魔瓶に収める。瓶の中で光は小さく脈打っていた。
「……まずは報告だ。それと——すぐに準備しろ。潜るぞ」
フィナは息を呑み、頷いた。
また底へ行くのか。そんな思いが胸を締め付ける一方で、身体の内から不思議な高鳴りが生まれつつあった。
闇の中、青白い粒はまだ漂っていた。
まるで、これから踏み込むべき深淵への道標のように。




