間話「酒場にて——灰の夜」
《しぶき亭》の夜は、どこか重たかった。
笑い声はあるのに、底に沈んだ鉛のような気配が消えない。暖炉の炎が赤く揺れ、煤がはぜても、その熱は空気を温めきらなかった。
「おい、聞いたか。ミツルのこと……」
ひとりのブロッサムリングが声を潜めて口を開くと、近くの席の者たちがそっと耳を傾ける。
「九層で……やられたそうだ」
「嘘だろ。つい最近ここで黒麦酒あおってたじゃないか」
「……あぁ、でも、輪飾りと武具の一部が届けられたんだとよ」
ジョッキが触れあう音が止まり、とたんに酒場が静かになる。
「ねぇ」
別のウィステリアの女が口を開く。
「ミツルってさ、独りで潜るような奴だったか?」
その場の誰もが首を振る。
「ないな。いつも誰か引き連れてた」
「世話焼きなんだよな、あいつ……新人にも飯を奢ってたし」
「なら、一緒に潜ってた仲間はどうした? 無事戻ったのか?」
言葉は途切れ、全員が考え込む。
誰も答えを持たない。
「聞いた話じゃ……残りの仲間は戻ってないそうだ」
「全員、消えたってのか?」
空気が凍りつく。
「でもよ……死体は?」
「なかったらしい。ただ、通路には血と鎧の破片が……」
「ならダンジョンが吸っちまったんだろう。そういうもんだ」
そう言った途端、別の男が笑ってごまかした。だが誰も笑わない。
「……なんで輪飾りや鎧は残ったんだ?」
「そんな細けぇこと気にしてりゃ、冒険者なんかやってられるか!」
苛立ったような声が投げつけられ、若いブロは口をつぐむ。だが疑念は消えない。ミツルが仲間と共に消えた理由は誰にも説明できなかった。
その時、扉が開き、冷たい夜風が吹き込む。帽子を深くかぶった男が無言で入ってきて、カウンターに座った。
見覚えのない後ろ姿。常連たちは黙って視線を逸らす。
誰かが息を吐くように漏らした。
「ま、ミツルらしいな。『また酒場で自慢話してやる』って笑ってたし……次はあの世で呑んでるんだろ」
しんとした空気の中、無理やり作った笑い声が広がる。
帰らなかった仲間たちの名前は、誰一人口にしなかった。
そこに触れれば、もっと不吉なものに繋がりそうだった。
◆
夜も更け、冒険者がひとり、ふたりと腰を上げる。
残った者は、黒麦酒を傾けながら無言で火を眺めていた。
その時。カウンターの帽子の男が立ち上がり、扉へ向かう。
店内が一瞬だけ静寂に包まれ、その口から小さな言葉が零れた。
「……時間が経ちゃ、ダンジョンが全部吸っちまう」
それは酒場いる冒険者がよく口にしていた冗談と同じだった。
震える沈黙を破るように、誰かが笑い声をあげる。
「らしいな、ミツルの口癖だ!」
「……そうだ、あいつの冗談だ!」
いつの間にかミツルの口癖となった言葉を、笑い声と酒でごまかして、封じ込める。
けれど、杯の底に残った黒麦酒は、ひどく薄く、苦かった。




